第23話 写真と言葉

地方の大学だからか、キャンパスは広大だ。

方向音痴の私は、入学当初に迷子になることがしばしばだったが、さすがに今はそんなことも減った。

……まあ、皆無ではないのですが、幸いなことに、携帯電話が圏外になるような場所は無く、いざとなればみゃーという助っ人が駆け付けてくれる。

そんな広いキャンパスの中で、敷地の北側にある森が私のお気に入りの場所だ。

色付いた木立の奥に、ひっそりとたたずむ池があって、春にはモリアオガエルの卵塊らんかいが見られたりする。

「多摩さん」

そんなお気に入りの場所で、みゃー以外の人から名前を呼ばれるのはわずらわしい。

振り返ると、顔は知っているものの、名前も知らない男性が立っていた。

「ここ、いい場所だよねぇ」

にこやかな表情が、何故か煩わしい。

世間的にはイケメンの部類に入るのだろうが、私的にはただのオスなのです。

いや、オスとも認識されない、ただの生命体でしょうか。

「では」

「ちょ、いま話し掛けたとこでしょ!?」

「別れの挨拶をしたところなのですが」

「いやいや、気が早いよね」

決め顔のつもりか、爽やかに笑ってみせる。

もしかして、まだ粘るつもりなのだろうか。

「主人が首を長くして私の帰りを待っていますので」

「え? 結婚してるって噂、マジ?」

燦然さんぜんと輝く結婚指輪が目に入りませんか?」

私は左手を高々と掲げた。

「いや、でもまあ、結婚してるからって、他の男性としゃべっちゃ駄目ってことはないでしょ?」

「駄目ですが?」

「ええっ!? もしかして、旦那さんの嫉妬が凄いの?」

「俺の嫁に近付くヤツはぶっ殺す! と、常日頃から挨拶のように口にしていますが」

「そ、それは誰かに相談した方が……」

私は思わず笑ってしまう。

孝介さんがそんなセリフを言うのは想像しがたいけれど、いつか言わせてみたいものです。

「多摩さんが……笑った」

「え?」

「い、いや、その……旦那さんは気性の激しい人なの?」

「いえ、めっちゃ大らかな人ですが?」

「は?」

「私が私を、彼のもとに束縛しているのです」

「……それって、自分で世界を狭めているんじゃ?」

「その人と出会ってから、私の世界はめっちゃ広がりましたが」

「さっきみたいな笑顔は、特別じゃないの?」

「?」

「あんな風に笑う多摩さん、初めて見たから」

「さあ……自分が普段、どんな表情をしているか常に意識しているわけではありませんが、ずっと毎日、家では笑っている気がします」

「……そっか」

かく言う彼も、最初の印象よりはいい顔をしているように見える。

穏やかで、心地よさげな表情だ。

「うん、解った」

何が解ったのか解らないけれど、私はニッコリと頷く。

「なるべく干渉はしないけど、挨拶くらいはいいよね?」

ああ、そういうことか。

「まあ、気が向いたら返事くらいはします」

「ひどっ!?」

私はまた少し笑う。

彼もまた、何だか眩しそうな目をして笑っている。

「じゃ、今日はありがとう。またね」

「ええ」

彼は立ち去る。

その後ろ姿を目で追ったりはしないし、その背中に興味も無いけれど、その余韻よいんは悪くない。

池の水面みなもには紅葉が映っている。

秋の色が入り乱れるみたいに落ち葉がそれを掻き回すと、私の関心は色の饗宴に奪われた。

赤、橙色、黄色、白に近い黄色、緑と、土の色、それから、空の色。

どれもこれも私の生活を彩ってくれるのは、孝介さんがいるからだ。

それらの色に包まれながら、それらの色をあなたと眺めたい。

さてさて、早く帰って孝介さんに会わねば。

今日一日のこと、今日見た色を孝介さんに伝え、そして、更に華やかに彩ってもらうのだ。

「タマちゃん!」

おや?

「車に乗って待ってたのに、やっぱりここにいた!」

そういえば一緒に帰る予定でした。

みゃーは鬼の形相ぎょうそうで私に近付きながら、ふと足を止めて池の水面に目を向ける。

私が見て感じたものを、きっとみゃーも共有する。

「葉っぱがくるくる回って、水面が万華鏡まんげきょうみたいだねぇ」

確かに、水面が描く色模様は、ゆらゆらと多彩に変化して万華鏡を思わせる。

だが、その言葉は極めてかたよったフェチズムをも連想させた。

私はそれを、口に出さずにはいられない。

「……マン毛狂」

あ、また鬼の形相に戻った。

共有したものをぶち壊してしまうのは、私の悪い癖なのです。

それにしても、平仮名にすれば全く同じ言葉を言っただけなのに、瞬時に私の意図を読み取り変換するとは、さすが我が愛弟子まなでし

「あ、そうだ」

みゃーはそう言って、普段の明るい女の子の顔に戻ると、池の写真を撮り始めた。

いつものことだけど、みゃーの怒りは持続しない。

怒っている暇があったら楽しいことを見つけた方がいいと、みゃーは常々、そう思っている。

「その写真を孝介さんに?」

「うん。でも、写真じゃ万華鏡の感じは伝わらないなぁ」

確かに、目の前にある色合いや質感と、写真との隔たりは大きい。

この写真から、どれだけのものが伝わるか判らないが、みゃーは何かを感じる度に、それを写真に撮って孝介さんに送る。

孝介さんはそれに、いつも丁寧な感想を返してくるようだ。

形や匂い、色や温度、伝えられるものは全て伝えたい。

みゃーはつたない写真で、私は拙い言葉で。

「タマちゃん、はい」

「え?」

みゃーがスマホを差し出してくる。

「写真で伝わらないぶんは、タマちゃんが言葉で伝えて」

どうやら孝介さんと電話が繋がってるらしい。

「もしもし」

「あれ? 美矢の番号なのに美月?」

「みゃーが送った写真の補足説明を私めが」

「あー、池の写真?」

「はい」

「紅葉の映った池に、落ちてきた葉っぱが波紋を描いて、色が混じるわけじゃないけど入り乱れる様が綺麗だった?」

エスパーか!

微妙な差異はあれど、ほぼ言い当てているので補足説明が必要ない。

敢えて言うならば──

「好き」

「え?」

電話を切る。

あなたに伝えたいみゃーの写真も、あなたに伝えたい私の言葉も、補足するならそれに尽きる。

結局、写真も言葉も、伝えたいのはそれだけなのだし。

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