第14話 アイスと子供の自分

台所にある冷凍庫を覗き込む。

あれ? アイスが一つも残っていない。

「みゃー、私のアイス知らない?」

お昼ご飯の後片付けをしているみゃーの背中に声をかける。

「アイスなら昨日、夜中に起きてきてタマちゃんが食べたでしょ?」

……あれは夢の中の出来事では無かったのか。

「みゃー、今日は買い物に行く?」

「行かないよ。アイスなんか一日くらい我慢できるでしょ」

……もうすぐ九月だというのに、今日の暑さはこの夏一番ではあるまいか?

「残暑が厳しいざんしょ……」

スネ夫ママの口調で呟くように反論するが、みゃーは冷めた目を返してくるばかりだ。

いつもニッコニコなのに、厳しいお母さんモードに入っているみたいで、私はつい目をらしてしまう。

毎日のようにアイスを二つは食べていたから、さすがにみゃーも怒っているのかなぁ。

仕方ない、一人で歩いてコンビニに行こう。


農道をテクテク歩き、時おり立ち止まって空を見上げる。

「本日は晴天ナリ」

日差しをさえぎるものなど何も無く、ぽかんとほうけてしまいそうな広い空。

田圃たんぼを渡る風が、せるほどの稲の匂いと、踏切の音を運んでくる。

緑の絨毯じゅうたんの向こうを汽車が横切っていく。

窓から手を振る子供の姿が見えて、私は躊躇ためらいつつ胸元で小さく手を振った。

こんなとき、みゃーなら思いっきり手を振ってあげるんだろうなぁ。

右見て左見て、踏切を渡る。

二本のレールがギラギラと太陽の光を反射して、陽炎かげろうに揺らいでいる。

「あ、ハグロトンボ」

まるで蝶々みたいな、そのひらひらと舞う姿を追いかけているうちに国道に出た。

家を出てから二十分が過ぎている。

ここからコンビニまでは、あと十分くらいだろうか。

アイスを買うために炎天下を徒歩三十分。

……割に合わないのでは?

しかも家までアイスが持つはずもなく、食べ歩きも行儀が悪いから、店の前で食べるしかない。

……食べ終わってから、また三十分歩くのは割に合わないのでは?

……ペットボトルのお茶なら、飲みながら帰ってもいいかなぁ。


コンビニの中は涼しい。

私はアイス売り場を未練がましく見てから、飲料コーナーの前に立つ。

ん?

……。

どえらいことに気付いてしまいました。

財布を持ってくるのを忘れたようです。

普段から、冷静沈着、用意周到、容姿端麗な私としたことが。

私はスマホを取り出して、孝介さんの電話番号を画面に表示させる。

いやいや、仕事中の孝介さんを、こんなことで呼び出してはならぬ。

いやしかし、かつてアッシーと呼ばれる男性達がいて、いい女には足代わりに利用されたという。

……ふむ、私にはその権利があるかも知れない。

実際に足代わりにするかどうかはともかく、電話くらいするのは構わないだろう。

孝介さんのイケボを耳許で聞くのは活力の源でもありますし。

私は店の外に出た。

強い日差しに目を細め、この太陽の下で働いている孝介さんを思って電話をかける。

「もしもし、あなたの美月ですが」

「おう美月、どうした?」

「実は今、コンビニにいるのですが」

「一人でか?」

「ええ」

「歩いて?」

「まあ、その、散歩がてら」

少し、笑う気配がした。

「じゃあ俺も涼みがてら迎えに行くよ」

孝介さんはそう言って電話を切った。


コンビニの駐車場の端っこに座って、国道を行き交う車を見る。

トラック、普通車、普通車、軽自動車、普通車、あ、軽トラ──違った。

軽自動車、トラック、あ、パトカー……久しぶりに見た。

「あれぇ、タマちゃんじゃない」

私のすぐ近くに駐車したスポーツタイプの車。

その車の助手席から降りてきた女性が、私に声をかけてくる。

同じ大学に通う、顔見知り程度だけど馴れ馴れしい人だ。

運転していた男はチャラくて、しかも車は白線を踏む位置に駐車させている。

ヘタクソなのです。

……まあ、免許を取れなかった私が言うのもなんですが。

「タマちゃん、この近所ぉ?」

「ええ」

みゃーとは少しは会話をするようだけど、あのみゃーが珍しく、「好きではない」とハッキリ言っていた人でもある。

みゃーが好きになれないものを、私が好きになれる筈が無い。

「一人ぃ?」

「もうすぐ主人が迎えに来ます」

「あ、そっかぁ、タマちゃん結婚してるんだっけぇ」

ただでさえ暑いのに、まとわりつくようなねちっこい話し方をする人だ。

彼氏の方は、日焼けした暑苦しい顔でヘラヘラ笑っている。

同じ日焼けした顔でも、孝介さんは精悍せいかんで爽やかなのになぁ。

あ、軽トラが駐車場に入ってきた。

私が立ち上がったので、その女は私の視線の先を見る。

「は? 軽トラぁ?」

小馬鹿にしたような口調。

「あは、友達の美矢ちゃんも軽トラで、旦那さんも軽トラなんだぁ?」

孝介さんは、白線と白線のちょうど真ん中に、ぴったり平行に車を止める。

カッコいい!

颯爽と車から降りてきた姿も、泥が付いた長靴も、汗の滲む帽子もカッコいい!

見知らぬ男女といる私を見て、孝介さんは少し戸惑いつつ、笑顔を浮かべて近寄ってくる。

「え、マジ? だっさ、オッサンじゃん」

聞こえなかった筈はないのに、孝介さんは笑顔のままだ。

「美月、友達か?」

声も、いつもの優しい声だ。

「同じ大学に通う人です」

決して友達ではない。

それなのに、孝介さんは帽子を脱いで頭を下げた。

「いつも美月がお世話になってます」

ふふふ、さすが大人なのです。

これぞ大人の貫禄かんろくなのです。

まったく、コイツらにも見習ってほしいところではあります。

なのに、男はヘラヘラ笑ったままで、女は勝ち誇ったような目で私を見ていた。

こんなクソガキ共は、大人として軽くあしらってやりたいところですが……。

でも──

私も、まだ大人じゃないんだ!

気付けば私は、女の頬を平手打ちしていた。

ついでに男の股間を蹴り上げていた。

「ちょ、何すんの──ぶっ」

更に反対の頬をもう一発。

「おい美月、やめろ!」

孝介さんが止めに入るが、私は止まらない。

愛する人をバカにされて、黙っていられるほど出来た人間じゃない。

否定する人間は私が否定する。

ののしって、取っ組み合いになって、髪を掴んで……。


その後のことは、あまりよく憶えていない。

孝介さんが二人に頭を下げていたのは知っている。

それに対して、二人が何か捨て台詞のようなものを吐いて去ったことも。

「痛っ!」

孝介さんに頭を叩かれた。

でもやっぱり、孝介さんは笑顔だった。

「これで、好きなものを買ってこい」

千円札を握らされる。

私はアイスを三つ買った。

孝介さんのぶんと、みゃーのぶんと、私のぶん。

孝介さんはコンビニに入らなかった。

泥で汚れた格好を気にしているのかも知れない。

涼みがてらなんて言っていたけれど、最初から私を迎えるためだけに来てくれたのだろう。

軽トラの助手席に乗る。

さっき私の頭を叩いたばかりなのに、孝介さんは笑顔のままで、何故か今度は優しく頭を撫でてくれた。

私の見る窓の外の景色が、滲んでぼやけていることに気付いたからなのかも知れない。

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