第15話 夏の終わりと怖い話
「そういえば、夏らしい怖い体験をしたのですが」
三人でお茶を飲みながら、縁側に腰掛けて午後のひとときを過ごす。
「何かあったのか?」
孝介さんは
「先日、ヤンキーさんのサツキちゃんとバイクで出掛けたのですが」
孝介さんは、少しだけ眉を
「その、美月はサツキちゃんと仲良くしてるみたいだが、大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「いや、まあ、ヤンキーって、何かとお前とタイプが違いそうだし」
「孝介さんは見た目だけで彼女をヤンキーと差別するのですか?」
「見たことねーよ! お前がヤンキーさんって言ってんだろ!」
「そうでした」
「バイクの二人乗りも不安だし」
孝介さんは心配性でもある。
「大丈夫です。彼女は安全日なので」
「関係ねーだろ!」
「あ、安全運転の間違いでした」
「百二十五㏄か?」
百二十五㏄?
「さあ、サツキちゃんの尿の量までは……」
「聞いてねーよ! バイクの排気量だよ!」
「さて? バイクの肺活量など存じませんが」
「……まあいい。で、何があったんだ?」
「聞きますか? 孝介さんの知らない世界を」
「いいから話せ」
どうせ大したことではないと思っているのでしょう。
孝介さんに
「仕方なく、私は重い口を開くのでした」
「いや、めっちゃ話したそうだからな、お前」
「……サツキちゃんと出掛けたのは、忘れもしない一昨日のことです」
「いや、一昨日で忘れたらマズイだろ」
「私はそれを、まるで昨日のことのようにハッキリと思い出せます」
「たった一日違いじゃねーか!」
私は孝介さんのツッコミなど意に介さず、当日のことを思い出しながら、淡々と語ることにした。
強い日差しの照りつける農道を、私とサツキちゃんはバイクで走っていた。
眩しくて暑い、ありふれた夏の午後の風景だった。
涼しい山の方に入ってみるか、とサツキちゃんが口にしたとき、私は気軽に頷いてしまった。
山の向こうに、高く発達した積乱雲が見えていたけど、そんなことは気にも留めていなかったのだ。
その雲が、山に不穏な陰を落としていることにも。
「美月は話し方が上手いな。怪談の序章という感じがよく出てる」
話の途中で、孝介さんがそんなことを言う。
私は気を良くして、更に話を続ける。
小さな川に沿って進むと、いつしか農道は林道といっていい
木々の緑が頭上を覆い、日差しを
でも、本当に気温が下がっただけなのだろうか。
皮膚ではなく、身体の中に冷たいものが生じたみたいな変な感覚。
サツキちゃんはバイクを停めて、一度私を振り返った。
どうする?
サツキちゃんも何か感じたのだろう、目で問い掛けてくる。
でも、二人とも、まだ軽い気持ちだった。
炎天下から、急に緑濃い山の中に入って、少し身体が戸惑ってるだけだろう。
そんな風に考えていた。
孝介さんもみゃーも、熱心に聞き入っているようだ。
私の声にも熱がこもる。
「どうする?」
今度はサツキちゃんも声に出して訊いてきた。
私は
「あー、山から害獣が下りてくるのを防ぐための門だな。出入りは自由だけど、開けたら閉める決まりだ」
「なるほど、やはりあれは、山から物の
「いや、うん、まあ……」
孝介さんは何故か言葉を濁した。
私は気にせず、門の先の世界を語ることにした。
門を越えたからといって、特に変化があるわけでも無かった。
だが、ここまで入ってくる車は少ないのか、路面が荒れてきた。
砂利道に変わったところで、私達はバイクを降りて歩き出す。
ただ涼みに来ただけなのだから、奥へと進む理由など無い
遠く、雷鳴が聞こえた気がした。
その頃になって私達はやっと、辺りの暗さが木陰のそれではなく、空が黒い雲に覆われているからだと気付いた。
それから雨が降り出すまでは、あっという間だった。
私達は顔を見合わせた。
バイクまで走ろうか?
いや、木の下にいれば、ある程度の雨は
でも、これ以上強く降ってきたら?
その時、木々を透かして見た林道の先に、何か違和感を覚えた。
……トンネル?
確かに周囲の地形は険しくなっていたけれど、まさかこんな林道にトンネルが?
私達は先へ進んだ。
私はサツキちゃんと手を繋ぎ、やがてハッキリと姿を現したそれの前で立ち止まる。
それは、素掘りのトンネルだった。
コンクリートで塗り固められていない、ゴツゴツした岩肌が剥き出しの、照明も何も無いトンネルだった。
「あー、あそこか」
孝介さんが、何かを思い出したみたいだ。
「ご存知で?」
「子供の頃に行ったことがある。出口は見えてるんだけど、かなり暗かったような」
「痴女妄想が
「
「痴女が妄想でバッコンバッ──あいたっ!」
「下ネタなのか怪談なのかハッキリしろ」
「し、下ネタではありませぬ」
「よし、続けろ」
命令口調の孝介さんに、私はひそかにときめきながら話を続ける。
トンネルに入ってすぐに、雨脚は強くなった。
そう思うほど、トンネルの外が白く霞むような激しい雨だった。
トンネルがあって助かった、そう思って私達は顔を
長さは五十メートルほど。
大した距離では無いし出口は見えているから、照明など無くても抜けられる。
いや、私達には文明の利器があり、スマホのライトが使えるのだ。
「そこで私達は見てしまったのです!」
「何をだ」
「トンネルに飛び交う
「……」
あれ? 孝介さんもみゃーも平然としてる?
暗闇にワシャワシャと蠢くカマドウマは、生き物が好きな私であっても相当に怖いのですが……。
「本当に怖いのはここからです。幸い、雨は直ぐ上がったようで、トンネルの向こうに光が差してきました。やや駆け足でトンネルを抜け出た私達は、そこで見つけてしまったのです!」
「五軒くらいの民家があっただろ?」
くっ、これだから地元育ちは。
「まあ民家というか、夏草に埋もれるように廃屋がありました」
廃墟、それも人の営みの痕跡が残るそれは、妙に生々しくて不安な気持ちにさせるのだ。
破れた障子、色褪せた古い新聞、欠けた茶碗。
そして、誰もいない筈なのに、どこからか見られているような気配。
「俺が子供の頃は、お爺さんが一人だけ住んでいたんだけどな」
「え?」
「中学の頃だったかなぁ。そのお爺さんがいなくなったって、ちょっと騒ぎになって」
「え?」
「家を調べたら、晩御飯を食べてる途中で
「そ、それで、そのお爺さんは見つかったのですか?」
「いや、確か警察や近隣の住民も一緒に捜索した筈だが、見つからないままだった」
「……」
まあきっと、深い山中での一人暮らしが嫌になっただけなのです。
そうに決まってます。
あの場所で何か視線を感じたことなど、気のせいに決まっているのです……。
夜には秋の気配。
私は孝介さんの部屋に忍び込む。
「どうした、美月」
寝かかってたようで、ちょっと申し訳ないけれど。
「今夜はちょっと冷えますね」
「いや、涼しくて気持ちいいが」
「私としては、体温をお
孝介さんが笑みを浮かべる。
たぶん、バレてる。
「トイレは行かなくていいのか?」
「……さては発射音が聞きたいので──痛っ!」
「じゃ、おやすみ」
「孝介さん孝介さん、そんなご無体な」
腕を掴んで揺する。
「ったく……行くぞ」
苦笑する孝介さんの、その
ふふふ、さあ来い幽霊め!
孝介さんがいればキサマなど怖くは無い!
私は何も無い空間に向かって、威勢よく拳を繰り出した。
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