第12話 実家と伝言

お盆前に、孝介さんからお金を渡される。

毎月お小遣いは貰っているけれど、それとは別のお金だ。

はて?

「……これで、お前を抱かせてくれ?」

「なんでやねん!」

「こんな大金、理由なく貰えませんが」

一万円札が……五枚もある。

「そのお金で、実家に帰れ」

「なっ!? ついに私は、ここを追い出されるのですか!?」

「違うって」

「至らぬところが多々あるのは重々承知しておりますが、何ぶん娘ゆえ、大目に──痛っ!」

「誰が生娘だ」

「もうお前は生ものでは無い、干物だとおっしゃるのですね」

「言っとらんわ!」

「手切れ金なら五万は安すぎます。一億くらいは用意してもらわないと」

「一億借金してでも居てもらいたいのに何を言ってるんだお前は」

……相変わらず、さらっと自覚無く恥ずかしいセリフを口にする人です。

危うく、まだ誰にも見せたことの無い「デレタマ」を発動してしまうところでした。

「美月」

「なんですか」

「どうしていきなり膝の上に?」

あれ?

……私としたことが、少しばかり取り乱してしまったようです。

ですがまあ、ここは座り心地のいい定位置みたいなものなので、しばらくこのままでもいいでしょう。

「で、どうして実家に帰れなどと?」

私はクールな口調で問う。

「ちょ、頬擦ほおずりするな、話しにくいだろ」

私はクールに頬擦りしながら、このままクールに口をふさいでやろうかとも考える。

クールな私にとって、孝介さんの考えていることなどお見通しなのだし。

「お前、去年は一度も実家に帰ってないだろ? やっぱり、たまには顔を見せるべきだと思うんだ」

ほら、そんなことだと思った。

「もし実家に泊まるのが嫌なら、ホテルに泊まってもいい。それさえ嫌なら、その時は、そのお金は好きなことに使っていい」

孝介さんが用意したお金を、私が自由に使うことなど出来ないと判っているくせに。

「美月は俺の境遇を知っている」

「はい」

きっと何度も、もう一度会いたいと願っただろう。

たった一言でいいから、言葉を伝えたいと願っただろう。

「俺と美月の境遇は違うけれど、いつか親と別れる時が来るのは同じだ」

言いたいことは判る。

そこに、世間一般的な、説教じみたものは何も無い。

親孝行しろとか、常識として年に一回くらいは顔を見せろとか、そういったことでは無い。

「その時に、ほんのわずかでもお前が後悔することの無いようにしておきたい」

あるのは、ただただ私のために、憂慮すべきことは排除したいという想いだけだ。

たとえ私が親との関係が希薄であったとしても、この先ずっとないがしろにしていれば、いつかその存在を喪ったときに何かしらの悔恨かいこんを残す可能性はある。

人というものは、どうしたって後悔する生き物だ。

だけど、避けようの無い後悔すらも、孝介さんは可能な限り取り除いておきたいのだ。

なんというおバカさん。

私はクールに孝介さんを抱き締めて、

「判りました」

とクールに呟いた。

「ちょ、美月、痛い痛い!」

……ちょっとだけ、私は熱くなってしまったようです。

では、心を落ち着けて。

「実家に帰らせてもらいます」

「その言い方はヤメロ!」

大らかなようで、何かと注文の多い旦那様なのでした。


実家には一泊だけして、私はすぐに家へと帰ってきた。

「どうだった?」

孝介さんは、少し不安そうな顔をして訊く。

「向こうは晴れていましたが、東京に空は無い、などと思ったり、孝介さんの頭の上に出ている青い空が、私のほんとの空なのだと思ったりしました」

「智恵子かよ!」

実際、あっちは私の居場所じゃないなぁ、と思ったのは確かだ。

実家では、歓迎されることに居心地の悪さを感じたり、暫く見ないうちに父親の白髪が増えていたり、何かと違和感を覚えることが多かった。

けれど、そんな環境の中にあっても意外と私はおしゃべりだった。

そして意外と、両親はそれを楽しそうに聞いていた。

「晩御飯にみゃートマトが出てきました」

トマト好きのみゃーは、トマトの世話をよくする。

みゃーが如何にトマトに愛情を注いでいるか、そんなことも両親に話した。

「タマゴーヤも出てきました」

私はゴーヤ好きというわけでは無いけれど、庭先で手軽に作れるので水やりはよくしている。

そんなことも話した。

田畑と庭の草花、縁側の空気と、夜空に瞬く星々。

孝介さんの汗と、収穫の喜び。

そんなことまで話せた。

「そうか、食べてくれてるんだ」

孝介さんは嬉しそうだ。

「毎月のように野菜と私の写真を送っているなんて知りませんでした」

「え? あ、いや、わざわざ言うことでもないし」

何故この人は、私の親まで大切にしようとするのか。

わだかまりは消えないかも知れないけど、美月はもっと愛される資格がある」

何を言っているのか、このお人しは。

「愛情の後払いだと思って、お前は受け取っておけばいい」

べつに今さら、親の愛を欲してはいないけれど……。

でもまあ、空気が冷え切っていたような昔よりは、ずっといいことなんだろう。

「孝介さん」

「ん?」

「父から伝言です」

「何て?」

孝介さんは微笑をたたえて私の言葉を待つ。

ふふ、暢気のんきな顔をしていられるのも今のうちなのです。

「早く孫の顔が見たい、だそうです」

「ぶっ!?」

「さあ、父の願いを叶えるため、今すぐ行動に移すのです」

「いや、美月が大学を卒業して、教職に就いて安定して……七年後くらいか?」

何というクソ真面目。

「まあ、ゴムがどれだけ減っているかで、みゃーと何回したか判る現状も壊したくはないですが」

「なっ!?」

「きっちり律儀に同じ回数をこなしている夫に不満も無いですが」

「うぐっ!」

「そうですね、家計簿にゴム代の累計額の欄を設けておきましょう」

「いや、勘弁してくれ」

我が夫は困った顔をしているけれど、孝介さん、父にとって孫というのは、あなたの子供でもあるんですよ?

あの父が、あなたの子供の顔を早く見たいと言っているのですよ?

それって、とんでもなく凄いことです。

私の愛する人が、私の親にも愛されるというのは、とっても幸せなことなんですよ?

孝介さん、判ってますかー?

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