第9話 お酒と乙女心

孝介さんは、アルコールは弱いが日本酒が好きだ。

地元の純米酒が気に入っているようで、飲むときはゆっくりと味わうように飲む。

ウチの旦那様はシブイ、とか思ってしまう。

片や花凛ちゃんは、自分でワイン党などと言っていたけれど、我が家にワインは常備していないし、焼酎などをあおっている。

「結局、酔うなら焼酎が一番コスパいいのよねぇ」

……こんなセリフを言っている時点で、ワイン党なんかじゃなくてただの酒飲みだ。


花火を見に行った後、花凛ちゃんと一緒に我が家に戻れば、当然のように酒盛りが始まった。

別に今日みたいな特別な日じゃなくても、月に一回くらいは二人で飲み会をする。

みゃーも慣れたもので、素早くさかなになりそうなものをこしらえ、私は私で、花凛ちゃんの話に相槌あいづちを打つのに忙しい。

「ところでさぁ、私なんかはこのとしで独身じゃない?」

花凛ちゃんは酔いが回ってくると自虐モードに入る。

まだ三十一なのだから、昨今ではこれからと言っていい年齢かと。

「だから、男性と一緒に暮らす感覚が判らないっていうか、色々と面倒なことが多いんじゃないかって思っちゃうのよね」

「面倒なことって?」

孝介さんは既に顔が赤い。

お酒に弱いウチの旦那様は可愛いのです。

「ほら、生理現象とか、見せたくない自分とか、色々あるじゃない」

む。

思わずみゃーと顔を見合わせる。

この年増、いらぬことを言い出すのではあるまいな。

「別にトイレとか当たり前のことなんだから、隠す必要も無いだろ」

孝介さんは孝介さんで、無垢むくというか乙女の事情を判っていない。

「そうじゃなくて、ほら、あるでしょ。極端な話、好きな人の前ではお腹が鳴っても恥ずかしいものだし」

みゃーとまた顔を見合わせる。

乙女かよ、とツッコんでしまいたくなるが、花凛ちゃんは乙女であり、乙女ゆえの疑問なのだろう。

「あー、おならとかゲップとか?」

っ! 

孝介さんが、核心に辿たどり着いてしまった!

「あれ? そういえば、美矢も美月も……したことあったっけ?」

さあどうする?

日常は、私達の乙女心に支えられている側面があるという事実を、いったいどこまで明かす?

いや、私達とて架空のアイドルではないのだから、生理現象がバレたところで日常は崩壊しないだろうけど。

「あるわけないでしょ」

みゃ、みゃー!?

さ、さすが正妻のオーラを持つ女。

しれっと迷いもなく平気で嘘を放った。

「いや、人としてそれはおかしいだろ」

その通り。

生きている以上、乙女といえども避けては通れない道だ。

「なあ美月」

「何を言ってるんですか。私もしたことはありませんが?」

嘘は言っていない。

事実、孝介さんの前では、したことは無い。

「あれぇ、そういう体質の人もいるのかなぁ」

ふふふ、酔っている孝介さんは、あまり深く考えることが出来ないようです。

「そんなわけ無いでしょうが!」

酔っている花凛ちゃんは、しつこく食い下がりそうだ。

さて、どう対処すべきか。

目配めくばせをしたところで酔っ払いに伝わりそうも無いし、それどころかあばきにきているようにも見える。

この窮地を脱するには、やはり正妻の傲慢ごうまんさが必要なのか──

「ええ!? 花凛さんはするタイプの人なんですか!?」

「なっ!?」

思わず花凛ちゃんと私の声がかぶる。

みゃー、なんて恐ろしい。

あたかも「する」タイプと「しない」タイプに人類は二分されるかのような物言い。

こんな風に問われたら、孝介さんの手前、花凛ちゃんが出す答は決まっているではないか。

「や、やぁねぇ、私もしないタイプに決まってるわよぉ」

……痛々しい。

だが、乙女であらんとする姿は美しくもある。

「そっかぁ、そういうタイプの人もいるんだなぁ……」

ウチの旦那様は、素直過ぎるのです。

「まあでも、絶対ってことは無いけどねー」

「ねー」

そして乙女達も、万が一に備えて予防線を張っておくのでした……。


夜もけてきて、孝介さんも舟をぎだす。

この様子だと、じきに床に突っ伏して眠ってしまうだろう。

花凛ちゃんの方は、変わらぬペースで飲み続けている。

そろそろ止めるべきだろうか。

「女性も三十を過ぎれば、色々とあってお酒を飲みたくなる気持ちも判りますが」

「三十を過ぎればって、私まだ三十一よ!」

……過ぎてるのでは?

「ていうか、美月ちゃん、今まで一度もお酒飲んだこと無いの?」

「ええ。今年二十歳になるので、なったら飲もうと思ってますが」

「二十歳……未満……」

可憐な年増の花凛ちゃんが、ガクッと項垂うなだれる。

かと思いきや、今度は天井てんじょうを見るくらいの角度で、流し込むようにお酒を飲む。

「で、二十歳になったら孝介の晩酌ばんしゃくに付き合うわけね」

「それは、俺の濁り酒を飲め、的な?」

「え? 孝介って濁り酒が好きなの?」

可憐で純真な花凛ちゃん。

「まあ、孝介さんは普段はお酒を飲みませんので」

「でも、私が来たらよく飲んでるじゃない」

「それは、嬉しいからじゃないでしょうか」

「嬉しい?」

「旧知の大切な人が家を訪ねてきてくれること、そして私達と仲良く接してくれることが」

「……孝介は、優しいから」

「性的暴力なら毎日受けていますが?」

「ちょ、どういうこと!?」

酔っ払いが、一瞬で委員長に変わる。

「私がバカなことを言うと、いつも頭を叩くのです」

「……それで?」

「その度に性的なうずきが生じます」

「ただのドMじゃない!」

「いえいえ、それだけでは無いのです」

「何よ?」

「これはたまにしかありませんが、イヤです、ダメですと何度言っても、容赦なくパンパンパンと」

「た、叩かれるの?」

「腰を打ち付けられます」

「……ヒドイ……惚気のろけてるのね!」

「あ、いえ、そういうつもりじゃ──」

「美月ちゃん」

「え?」

花凛ちゃんの、酔っ払いでも委員長でもない、ただただ純真な女性の顔に戸惑う。

「今日は、誘ってくれてありがとう」

落ち着いた大人の口調と、誰よりも少女みたいな可憐な笑み。

「花火、一人で見るのに慣れちゃってたから、とても楽しかった」

たった一人で見る花火よりも、私達と見た花火の方が綺麗だったらいいのに。

そう願わずにはいられない。

昔、一人で作ったケーキを一人で食べたときよりも、みゃーと一緒に食べたときの方がずっと美味しかったように。

あ、そうだ。

今度、花凛ちゃんにもケーキを焼いてあげよう。

大切な人が増えると、美味しさもきっと増えて──

「ひっく」

え? しゃっくり?

慌てて手で口を押える花凛ちゃんが、恐る恐るといったていで孝介さんの方を見た。

満ち足りた顔をして、ウチの旦那様はお眠り中だ。

しゃっくりさえ恥ずかしいと思う乙女心に共感するものがあって、私達三人は顔を見合わせてクスクス笑う。

「ひっく!」

今度は盛大なしゃっくりが出て、何故か涙が出るほど大笑いした。

どんな夢を見ているのか、眠っている孝介さんもひたすら幸せそうな笑みを浮かべていた。

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