第8話 てるてる坊主とお願い

ヒグラシが鳴き始めて、少しノスタルジックな色合いに包まれる居間で、私は何故かにらむようにカレンダーに目をやった。

……明日は晴れてもらわないと困る。

縁側に出て西の空を見ると、少しよどんだような赤色に染まっていた。

……微妙かなぁ?

やや濁った夕焼けは、天気が崩れる兆候のような気もするし……。

私は裁縫道具を用意して、本格的なてるてる坊主を作ることにした。

「てるてるぼーずータマぼーずー」

私の美声に誘われたのか、台所で御飯ごしらえしていたみゃーが居間をのぞいてくる。

「てるてる坊主? ……あ、そうか、明日か」

「うん」

「タマちゃんはどうするの?」

「どうもしないけど?」

「じゃあ明日は、タマちゃんの好物ばかりの晩御飯にするね」

「みゃーの好物にすれば──ちょ、針を使ってるから危ない」

背中からみゃーが抱き締めてきた。

私と同じ気持ちを、みゃーは共有してくれている。

……いや、でも多分、全く同じと言うわけでもないと思う。

「晴れるといいね」

ほら、ほがらかな声は、一点の曇りもない。

「うん」

私の声は、どうなんだろう?

みゃーが顔を描いたせいか、ニッコニコのてるてる坊主が出来上がった。

二人の共作になったそれを、縁側の軒先のきさきるす。

「晴れなかったら首をチョンと切るのです」

私が物騒な言葉を口にしても、てるてる坊主はニッコニコのままだ。

その言葉とは裏腹な、心のどこかにあるかも知れない気持ちを読まれてはならないから、私はてるてる坊主から目をらした。


翌朝、目を覚ますと同時に、窓からの強い日差しに気付く。

良かった。

空を見上げると、雲一つ無い晴天だ。

一階に降りると、台所でみゃーが洗い物をしていた。

「孝介さんは?」

「今日は土曜だけど、片付けておかなきゃならない仕事があるからって畑に行ったよ」

「こんな日なのに?」

「んー、でも早めに帰ってくるんじゃないかなぁ」

まったく、あの男はクソ真面目すぎるのです。

「取り敢えず、午前中に二人で行っとこうか」

「うん」

みゃーと二人、大切な場所に行って、大切な人を想う。

空は、まだ晴れていた。


午後になると、空にかげりが見え始めた。

時おり太陽が顔を隠し、ふっ、とせみの声が止む。

「タマちゃん、空ばかり見ててもしょうがないでしょ」

「天気予報は?」

「降水確率二十パーセント。午後は山沿いなど、所により雷雨があるでしょう」

遠雷が聞こえる。

ここは山沿いで、夕立も多い。

こっちに来させるな。

私はてるてる坊主を睨み付けた。

「降ってもどうせ俄雨にわかあめ。すぐに止むよ」

縁側を、微かに涼しい風が通り抜ける。

空の表情が変わって、虫や鳥たちが息をひそめたように静かになる。

まだ一部に青さを残しているが、雨を降らしてやろうかどうか、迷っているように見えた。

ぽつ、と最初に屋根が鳴り、次いで葉っぱや地面が音を立てる。

まばらで、不規則で、弱い音。

いてもたってもいられなくなって、私は玄関に駆け出した。

「ちょっとタマちゃん、どこ行くの!?」

「神社!」

私は傘も持たず、神社に向かって走る。

焼けたアスファルトは、空が気まぐれのように落とす雨をすぐに消してしまうけれど、やがて大きな雨粒が落ちてきて、上書きするように路面の色を変えていく。

私は神社の石段を駆け上る途中でつまずき、ひざを強打した。

「罰が当たったのかなぁ……」

空に向かってつぶやく。

雲はどんどん黒くなり、その厚みを増していった。

私は石段を上りきり、木々に覆われた境内けいだいに入る。

そういえば去年、三人で雨宿りに駆け込んだことがあったっけ。

あの時はみんな財布を持ってなくて、みゃーが千円札だけ持ってて──あ、財布を忘れた。

……何しに来たんだろ、私。

賽銭さいせんの後払いって、受け付けてくれるのかな……。


雨脚が強くなってきて、森がざわめくみたいに雨音を閉じ込める。

私は社殿にもたれながら、木々を透かして空を仰ぎ見る。

誰にも過去があって、その過去が大切なものならおかすことは許されない。

そしてその過去が、今に繋がる何かを残しているなら、それは尊重されるべきだ。

私達が彼を愛しているなら、彼の過去も愛したい。

だから、今日という特別な日が晴れることを願ったのに、私は心のどこかで、雨が降ればいいのにって、きっと考えてしまったんだ。

今日が、孝介さんのご両親の命日で、そして花火大会の日なのに。

自分の嫉妬心が大嫌いだ。

自分の独占欲も大嫌いだ。

孝介さんのことも、花凛ちゃんのことも大好きなのに、どうして二人の大切な日をねたんでしまうのだろう。

「タマちゃん」

不思議なものだ。

その声がしただけで、陰鬱いんうつな気配に満ちていた境内が、しっとりと柔らかな空気に変わる。

みゃー……。

傘を差したみゃーが、私の前にしゃがんだ。

「もうすぐ雨は止むよ?」

こんな時でも、みゃーは笑顔を絶やさない。

明るい笑顔、優しい笑顔、いたわるような笑顔、はじけるような笑顔。

あらゆる笑顔が、見る人の心をきほぐす。

みゃーは私の親友であり、憧れであり、そして、家族だ。

「タマちゃんは、どうしてここへ来たの?」

「私のせいで雨になったから」

「……悔しいよね」

「え?」

「どうして、こーすけ君がいちばん悲しかった日に、そばにいられなかったんだろうって、そう思っちゃうよね」

「……」

「そして、そんな悲しい日に、想いを閉じ込めなきゃいけなかった花凛さんに、同情しちゃうよね」

「違っ、私はそんなんじゃ──」

「だから応援したくなるのに、二人が特別な繋がりを持つことに、嫉妬しちゃうよね」

「……え?」

みゃーが……嫉妬?

「雨はタマちゃんのせいじゃないよ」

「でも!」

「それに、もうじき上がる」

いつしか森は、ざわめくと言うより語らうような音に満たされていた。

シトシト、ポタポタ、サラサラ、チョロチョロ。

オノマトペ達の共演。

私の心の中でも、こんな風に様々な音色みたいな感情が、浮かんだり沈んだり、生まれたり消えたりを繰り返してる。

「そろそろ、こーすけ君も来るよ」

「どうして?」

そう問い返しながら、早く顔が見たいと思ってしまう。

「帰りに神社に寄ってって電話したから」

孝介さんの顔を見たら、まずは何を言えばいいだろう。

雨を降らせてごめんなさい?

どうせ笑顔で、「美月が降らせたのか、凄いなぁ」とか言われて、私が「えへへー」ってなるだけだし、雨も止みそうだし……。

「まあ、嫉妬するのがバカらしいくらい、こーすけ君は私達が好きだけどね」

うん、嫉妬するなんて無意味だと判ってる。

だったら、嫉妬してごめんなさい?

これもどうせ笑われる。

頭をポンポンと叩かれて、私がふにゃあ、ってなって終わりだ。

どう転んでもチョロタマだ。

でもきっと、私は孝介さんにとってチョロい美月でいいのだろう。

「ほら、来たよ」

みゃーが言い終わる前に私は駆け出していた。


「二人で願い事でもあったのか?」

孝介さんが笑顔で訊く。

「雨が止みますようにーって」

みゃーもまた、笑顔で答える。

私は、ただぎこちない顔をして、何がバレたわけでもないのに孝介さんの顔をうかがっていた。

「なんだ、お前らも今日が花火大会って判ってたんだな。大丈夫、こんな雨なら中止にならないから、後で三人で行くぞ」

え?

去年のように、花凛ちゃんと二人で見るつもりじゃないの?

「どうした?」

「花凛ちゃんは?」

「え? 花凛がどうした?」

「花凛ちゃんと行くんじゃないんですか?」

「は? 何で花凛と?」

「花凛ちゃんも一緒がいい!」

何故か私は、そんなことを口走っていた。

自分でも支離滅裂で訳が判らない。

ただ、二人の特別な繋がりに嫉妬しても、その繋がりを否定したくはない。

孝介さんが、私の頭をポンポンと叩いた。

「……そっか。うん、そうだな」

それでいいのかどうか、判らない。

もしかしたら、花凛ちゃんにとっては迷惑かも知れないし、余計なお世話かも知れない。

それでも、我儘で欲張りな私は、大好きな人達とは常に一緒にいたいのだ。


花凛ちゃんに誘いの電話をかけると、

「マジで!? 行く行く!」

と、めっちゃ明るい返事が返ってきた。

私は嬉しくて、そして、拍子抜ひょうしぬけしながら、少しだけみゃーみたいに笑えたのでした。

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