第7話 ウコンとゲンコツ

「孝介さん」

「ん?」

「美月は先日、どえらいものを見てしまいました」

暑い、よく晴れた日の昼下がり。

のんびり縁側に座り、私が作った素麺そうめんを二人で食べる。

みゃーは高校時代の友達と集まるとかで、今朝早く東京に出掛けた。

つまり、今は孝介さんと二人きりというわけだ。

孝介さんは箸を止め、続きをうながすように私を見た。

「なんと、孝介さんより立派なウン──私もうら若き乙女ですので、ここは敢えてウコンと言わせていただきますが、孝介さんはこれを随時、脳内で変換してください」

孝介さんが首をひねる。

私の言ったことが、よく理解できていないようだ。

「つまりですね、ウコンのコとンを入れ替えて聞いてもらえれば──あいたっ!」

どうやら理解していただけたようで何より。

「俺より立派なウン──ウコンなぞあるわけねーだろ! しかも昼飯の最中に何の話だ!」

荒ぶっていらっしゃる。

それも当然のことかも知れない。

何せ、自身より立派なウコンがあると言われて、素直に聞き入れる殿方がいるとは思えない。

それは股間に、いや、沽券こけんに関わる重大事だ。

何処いずこより、いまし荒ぶる神とは存ぜぬも、かしこみ畏み申──あいたっ!」

「俺をタタリ神にするな!」

荒ぶっていらっしゃる。

私は孝介さんをなだめるように、タマちゃんスマイルを浮かべた。

大学では、滅多に見られないと言われる希少価値の高いものである。

「まあまあ、私の話を聞いてください」

あまり効果は無くて、「まあいい、続けろ」みたいな顔をされてしまいましたが。

「実は先日、私を威嚇いかくしてくるカマキリがいたので、首根っこをとっ捕まえてやったのですが、それを誤って水溜まりに落としてしまったのです」

「カマキリを水溜まりに……ああ、そういうことか」

むむ、何だか話が見えたかのように、孝介さんは苦笑いを浮かべてコクコクとうなずく。

甘い、甘すぎるのです、孝介さん。

世界は広く、毎日が未知との遭遇。

私の見たあの驚異的なモノを、孝介さんはまだ知らない。

「いいですか、孝介さん。水溜まりに落ちるということは、カマキリにとって生きるか死ぬかという状況です」

「まあ、そうだな」

「そういった状況の中で、彼がお漏らししてしまうのは……お漏らしと言っても大の方ではありますが、まあ仕方ないと言えましょう」

「大ねぇ……」

また苦笑。

ふ、あなどっていられるのも今のうちだけですよ。

「孝介さん、金魚のふんはご覧になったことがありますか?」

「ん? ああ」

「よく金魚の糞みたいになどと揶揄やゆしたりしますが、奴らは時に、キレの悪いそれをぶら下げながら、素知らぬ顔で泳いでいたりします」

「そ、そうだな」

「まあ私だって、トイレなんてしたこともありません、なんて素知らぬ顔をしてますが」

「いや、お前がトイレに入るのは日常の風景──イテッ」

ネコパンチを食らわせておきます。

「それはともかく、金魚の糞なんてものは、もろはかな泡沫うたかたのようなものに過ぎません」

「なに言ってんだ、お前」

「理解できないのも無理はありません。ですが私は、孝介さんの知らない世界を知ってしまったのです」

「……」

刮目かつもくして聞け」

「いや、聞くのに刮目はいらねーよ」

「なんと、水溜まりに落ちたカマキリは、そんな金魚の糞を嘲笑あざわらうかのように、確固たる存在感を放つウコンをひり出したのであります。その長さは優に自身の体長を超えるものでありました」

「へー」

「いや、そんな軽い返事で済ませないでください。人間が身長よりも長いウコンを出したらどうなりますか? ギネスに載るか精神崩壊するかってレベルですよ? これを立派と言わずして何と言おう。いや天晴あっぱれ」

「美月、感心してるところ悪いんだが」

「何ですか? あなたの美月が嘘を言うとでも?」

「それ、ウコンじゃ無くてハリガネムシだから」

「……ハリガネムシ?」

「ああ」

これはアレですね。

自分が知らないこと、見ていないことを認めたくなくて、空想上の産物を出してきてマウントを取ろうとしているのですね。

ふふふ、いい歳をして負けず嫌いの中二病なところも可愛いですが。

「お前が見たのって、これだろ?」

負けず嫌いの孝介さんが、スマホの画面を私に向けてくる。

どうせウコンっぽい虫の画像でも見つけて──え?

「……ハリガネ……ムシ?」

「ああ。カマキリの体内によく寄生してるんだ。俺も子供の頃に見てビックリしたことがある」

「……寄生虫?」

「そう。水中で交尾、産卵するから、カマキリなどの宿主の脳を操って、自殺行為、つまり水に飛び込ませるというから二度ビックリ」

「……ま、まあ知ってましたけどね」

孝介さんはニッコリ笑う。

私が色んなことに関心を持ち、新たな知識を吸収するのが嬉しいと言いたげに。

結局、あなたは大人で、いつまで経っても私は子供なのですね。

何となく衝動的に、私は孝介さんの首にかじり付く。

といっても甘噛みだけど。

「……何してんだ?」

きへーひへまふ寄生してます

ポンポン、と大きな手が優しく頭を叩いた。

「共生だろ」

孝介さんは微笑み、そして美味しそうに素麺を食べ始めた。

私は、共に生きているだろうか。

寄り掛かってばかりいないだろうか。

「孝介さん」

「どうした?」

「タマ素麺は美味しいですか?」

「ああ、美味いよ」

私は物憂ものうげな目をして、素麺の入った器を見つめる。

氷はほとんど溶けてしまっていた。

「何だか、素麺までハリガネムシに見えてきま──」

「やめい!」

暑い夏の昼下がり、縁側に並んで座る二人に、降り注いでくるかのような蝉時雨せみしぐれ

私の頭に落ちてきたのは、手のひらではなくゲンコツでした。

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