第6話 孝介さんとお仕事

軽トラのエンジン音で目を覚ました。

孝介さんが仕事に出掛けるようだ。

時計を見るとまだ六時過ぎだが、すでにセミが元気よく鳴いている。

私は布団から出て一階に降り、顔を洗って軽く朝食を済ませる。

そんなに急ぐ必要も無いのに、慌ただしく歯を磨いて服を着替えた。

「タマちゃん、今日から学校はお休みだよ?」

みゃーが不思議そうな顔で尋ねてくるが、私は昨夜のうちに準備しておいたリュックを背負う。

食料と飲み物、タオルや双眼鏡などが入っていて重い。

「え? 山でも行くの?」

ふふふ、みゃーもこの重装備が気になるようだ。

荷物が周到に用意されていたことから、私が思い付きで行動しているのではない、ということも察知しているはずだ。

秘密に進めていた計画を、私はいま実行に移す。

「名付けて、孝介さん観察計画」

孝介さんの一日を、隠密おんみつに、赤裸々せきららあばいてやろうという壮大な計画である。

下調べも綿密にした。

孝介さんの今日の予定は、ピーマンの収穫。

だとすれば、駅に向かう途中にあるあの畑だ。

「あー、それで昨日の晩、こーすけ君に明日は何をしますかって訊いてたんだ?」

なっ!? 私の綿密な下調べがバレてる!?

「さあ、な、何のことだか」

「なんか中森さん、だったっけ? あの橋のところのおじさんが腰を痛めたとかで、その代わりにカボチャの収穫をすることになったみたいだよ?」

ぬあっ! 私の周到な計画が!

……いや、まだ大丈夫だ。

カボチャ畑といえば神社の向かいにあった筈。

寧ろ神社の石段から双眼鏡で観察しやすいと言える。

ふふふ、神は私に味方している。

「変なところで似た者同士だなぁ」

みゃーが溜め息混じりに言う。

どういうこと?

いや、まあいい。

孝介さんの味方につこうとするみゃーの撹乱かくらん作戦かも知れぬ。

「みゃー、孝介さんに電話で教えるのは無しだからね」

「そんなことしないって」

よし、これで邪魔する者はいない。

普段から私が生物観察にいそしんでいるとはいえ、孝介さんもよもや自分が観察対象になるとは思うまい。

「じゃあ、行ってくる」

久しぶりに眼鏡を掛ける。

変装と言うほどでは無いけれど、パッと見の印象は違うだろう。

「熱中症に気を付けなきゃだめだよ」

「抜かりは無い」

私は颯爽さっそうと家を出た。


朝から夏空に太陽がギラギラしてる。

私は去年の夏に、孝介さんから貰った麦わら帽子を目深まぶかかぶった。

農家のおっちゃんが被っている野暮ったいものじゃなくて、紺色のリボンの付いた、夏の田舎の美少女に必須のアイテムと言える代物なのだ。

……私に、似合うのかなぁ。

でも、去年は近所のおっちゃん達に、「麦わら帽子のタマちゃん」と呼ばれるくらい、私のトレードマークになっていたから、きっと大丈夫。

少なくとも孝介さんにとっては、私は夏の田舎の美少女に違いないのだ。

たぶん……。

「あ、オニヤンマ」

目の前を横切った雄姿ゆうしに心かれ、ついつい追いかけてしまいたくなるが、ぐっとこらえて神社に向かう。


鎮守ちんじゅの森が見えてきて、その近くに孝介さんの軽トラも見える。

孝介さんは……いた!

私は思わず駆け寄りたくなるが、ぐっと堪えて神社に向かう。

今日の気温は高い。

ここは山が近いとはいえ、盆地なので日中は暑くなる。

都会の暑さとは違って、日陰に入れば随分と過ごしやすいのだけど。

まずは神社の参拝を済ませ、石段の中ほどに腰掛ける。

「ふぅ」

頭上を木々がおおっているだけで、とがっていた空気が丸くなるようだ。

孝介さんの姿もよく見えるし、逆に向こうからこちらは日陰で見えにくいという絶好の観測地点である。

私は双眼鏡を取り出した。

鳥などの観察をするために孝介さんが買ってくれたけれど、あまり使っていないのは申し訳ないような。

でもまさか買ってくれた人を観察することになるとは、孝介さんもビックリだろう。

「む!」

早くも事件の気配だ。

孝介さんに近付くダサい車、あれは可憐な年増の花凛ちゃんでは?

もしや二人は、私達の知らないところで逢引きを繰り返していたのか!?

……たまたま通りかかったようで、挨拶を交わすと走り去っていった。


私は孝介さんを観察しつつ、足元のヤマアリを目で追ったり、セミの声に耳をかたむけたりした。

どこかから、正午を知らせるサイレンが聞こえてきた。

孝介さんは軽トラからお弁当を取り出し、車体にもたれるようにして畦道あぜみちに腰掛ける。

「いただきます」

孝介さんが手を合わせるのを見て、私は声を出す。

ゼリータイプの携帯食を、私はチューチューと食べた。

みゃーが作ったであろうお弁当を、孝介さんはガツガツと食べた。


「暑いなぁ……」

午後になって、気温はぐんぐん上がっているようだった。

木陰にいる私でさえ、じっとしていても汗はしたたり落ちてきた。

双眼鏡の向こうでは、孝介さんのたくましい腕が土と汗にまみれて躍動していた。

日差しをさえぎるものなど何も無い広い空間で、ぽつんと一人、黙々と作業を繰り返していた。

私は木陰の無い石段の下の方に移動して、太陽をにらむ。

炎天下とは、こういうことを言うのだろう。

皮膚を焼くように、じりじりと熱が伝わってくる。

眩暈めまいがしそうだ。

ふと手を止めた孝介さんが、ポケットからスマホを取り出した。

少しほほを緩めたように見えた。

待ち受け画面は、私とみゃーのツーショットの筈だ。

特に操作する様子もなくスマホをポケットに仕舞うと、孝介さんは歯を食い縛るように力強く作業に戻った。

汗が目に入ったのか、孝介さんは顔をしかめて腕でぬぐう。

顔も泥だらけになり、その泥も、汗が流していく。

この麦わら帽子も、この双眼鏡も、孝介さんが流した汗の代価だ。

私の身の回りにあるもの全てが、そうやって私を満たしている。

ヒグラシが鳴き出す頃、私は家に向かって歩き出した。

何故か涙が止まらなくて、私は何度も立ち止まりながら家へと帰った。


「ただいまー」

孝介さんが帰ってきた。

私は晩御飯を作る手を止めて、玄関へと駆け出した。

「孝介さん孝介さん!」

泥だらけの孝介さんに抱きつく。

「ちょ、汚れるぞ!?」

私は構わず孝介さんの胸に顔を埋める。

汗と、土と、孝介さんの匂いが私を包む。

「美月のやつ、いったいどうしたんだ?」

「なーんか、惚れ直しちゃったみたいよ」

みゃーの、やれやれと言いたげな声が聞こえてきたけれど、頑固な私は抱きついたら離れない!

泥と汗に塗れた孝介さんを、私は涙と鼻水塗れにしてやるんだ。

そして、そんな私の頭を孝介さんはポンポンと叩いて、私が泣き止むまでずっと、優しく微笑んでいてくれるのだ。

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