第4話 雨と花凛ちゃん

学校帰り、駅から傘を差して歩く。

こんな雨の日なのに、みゃーと帰るタイミングが合わないとは。

まあ、汽車に乗るのは楽しいし、改札にある切符の回収箱に切符を入れるのも楽しい。

お気に入りの傘は孝介さんが選んだもので、「美月にはネイビーが似合う」とか言って買ってくれたものでもあるし、差さなきゃ勿体無いし。

ただの紺色だと男物っぽくなってしまうけれど、白の縁取りが少しだけオシャレかな?

私は傘をくるくる回しながら、水溜まりだらけの農道をスキップするように歩き、ときどき立ち止まって、用水路をのぞき込んだりする。

田圃たんぼの向こうに歴史資料館が見える。

私にとっては結婚式場だ。

私は左手を空にかかげた。

「見よ、この薬指に輝く結婚指輪を!」

「美月ちゃん、何してるの?」

「なっ!?」

町役場のダサい車に、可憐な年増の花凛ちゃん!?

「……いま失礼なこと思わなかった?」

「思ってませんが?」

「ならいいけど、これ見よがしに結婚指輪を見せつけてなかった?」

凄い被害妄想なのです。

処女をこじらせると、女はこうなってしまうのでしょうか。

……まあ、これ見よがしに結婚指輪を掲げていたのは確かですが、花凛ちゃんに対してではないのでセーフです。

「乗っていく?」

「公務中では?」

「昔の同級生と会うとね、未だに堅物委員長のイメージが抜けてないみたいなのよねぇ」

自嘲気味に笑う花凛ちゃんは、ルールにとらわれて雁字搦がんじがらめになっていた過去を払拭ふっしょくしたいのだろうか?

「いいではないですか」

「え?」

「これだけ年月が過ぎても、そうやって認識されるということは、その頃から花凛ちゃんが確固たる自分というものを持っていたからでしょう」

「……」

「よっぽど仲の良かった友達ならともかく、ただのクラスメートなんて曖昧なイメージしか残らないものです。堅物な委員長、素敵じゃないですか。花凛ちゃんが、委員長としての仕事を全うした証です」

「美月ちゃん……」

「私なんて、高校を卒業して一年半しか過ぎてませんが、大半のクラスメートは大雑把なイメージしか持ってないと思います」

「どんなイメージを持たれてると思うの?」

「美人だけど無愛想とか、可愛いけど取っつきにくいとか」

「いや、あの、美月ちゃん?」

「美しくて近寄りがたいとか、深窓しんそうの令嬢みたいで話しかけにくかったとか」

「ぜんぶ褒め言葉でしょ!? 自慢なの!?」

「まあこれは冗談ですが、花凛ちゃんの場合は、みんな照れ臭くて言わないだけで、美人の堅物委員長って思われていたんじゃないでしょうか」

花凛ちゃんは優しい目を私に向けてから、ふと空を見上げる。

傘を叩く雨の音が強くなってきた。

「いいから乗って。過去がどうあろうと、今の私はそうするのが自然なの」

「そこまでおっしゃるなら、公務中の国家公務員が運転する公用車に乗せていただきます」

何故か花凛ちゃんが笑う。

「あなたがさっき言った自分に対するクラスメートのイメージ、当たってるかもね」

私がシートベルトをしたのを確認して、花凛ちゃんは車をゆっくりスタートさせる。

「何を隠そう、不器用で無愛想で仏頂面でぶっきらぼう、4Bタマちゃんとは私のことですが」

「それ、聞いたことあるわ。5Bだったけど」

「なっ!? もう一つBが? ぶ……不恰好? 不細工?」

また花凛ちゃんが笑う。

安全運転で、決して前から目をらさないけど、その横顔は柔らかい。

「美人のBだったはずよ」

「中身を褒められることが無いのです」

「5Bタマちゃんなんて愛称で呼ばれるのは、親しみを込めてだと思うわよ?」

「だとしたら、孝介さんのお蔭です」

「孝介?」

「ええ。孝介さんは私の脚を、いえ、心を開かせてくれました」

「いま脚を、って言いかけなかった?」

「そんなわけ無いでしょう。どんな腐れビッチですか」

「そ、そうよね、運転に集中していたせいで聞き間違えたみたい。ごめんね」

……謝らせてしまいました。

ツッコミ上手ではありますが、素直すぎるきらいがあるのです。

ふとドリンクホルダーを見ると、ブラックの缶コーヒー。

私のよく知っている銘柄。

もしかしたら、私と花凛ちゃんは似ているのかも知れない。

「花凛ちゃんは、今でも孝介さんが好きなのですか?」

「ぶっ!」

コーヒーを飲んでいるときに言わなくて良かった。

花凛ちゃんが噴き出したのは空気のみで、まだ乙女の体裁ていさいは保たれている。

「そ、そうかも……知れない」

「うわ! うーわ! 孝介さんの妻である私を目の前にして、なんという大胆発言! とんだ腐れビッチなのです」

「ちょ、ヒドイ!」

「か、花凛ちゃん、前見て前!」

動揺すると安全運転も崩壊するとは、恐ろしい女なのです。

まあスピードはゆっくりだし、周りに車も走っていないし、ちょっと蛇行しただけですが。

「花凛ちゃん」

「何よ」

少しねているようで可愛らしい。

ポンコツの私にマウントを取られるとは、チョロい女なのです。

「家に寄っていきますか? 雨なので孝介さんも在宅でしょうし、お茶でも飲んでいかれては?」

「公務中よ」

笑うところでしょうか?

「あー忙しいわー」

そんなことをわざとらしく言いながら、何故かワイパーの動きを速くさせる。

……ツッコむところなのでしょうか?

雨さん、もっと強く降ってあげて。

思わずそんなことを願ってしまいます。

スピードを上げるならまだしも、超安全運転でワイパーだけがせわしなく動いているのは、とてもシュールな光景に見えますし……。


「さ、着いたわよ」

やっぱり家には孝介さんの軽トラがある。

たぶんこの時間だと、晩御飯の下準備でもしているのだろう。

「ありがとうございます。本当に寄らなくていいんですか?」

「いいわよ」

「あ、そうだ、花凛ちゃん」

「何?」

「花凛ちゃんは雨が似合うと思います」

「暗くてジメジメした女ってこと!?」

なんとメンドクサイ。

「しっとりとした、大人のいい女という意味ですが」

花凛ちゃんがバックミラーを覗き込み、前髪をササッと整える。

「やっぱり、お茶でもいただこうかしら」

澄まし顔で言うのが可愛らしい。

「あ、ちょっと待って」

バッグから口紅を取り出した。

……お茶を飲むのでは?

私の夫に会うのに私の目の前で化粧をするとは、とんだ腐れビッチです。

……ファンデーションまで取り出した。

やれやれ、年増は大変なのです。

更にマニキュアまで取り出して──

「おいコラ!」

おっと、思わず妻として声を荒らげてしまいました。

「ゴメン! もうちょっと待って」

でも花凛ちゃんは、悪意の無い少女みたいな顔で手を合わせるのです。

まったくもう……今度、釣りで勝負をするときに、コテンパンにやっつけてやるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る