第2話 蛍とバイク

「タマちゃん、こんな時間からどこ行くの?」

玄関で靴を履きかけていた私を、みゃーが呼び止める。

「蛍の乱交を見に」

梅雨の最中さなかだけど、今夜は雨が降っていない。

「乱交じゃなくて乱舞らんぶでしょ?」

「乱れて舞って交尾するのだから同じことでは?」

みゃーが嫌な顔をした。

みゃーはまだまだお子様なのです。

生命を燃焼させるように光を放ち、ただただ子孫の繁栄のために乱舞して交わることのどこに嫌悪する要素がありましょう。

「一人で行くのは危ないから駄目だよ」

「心配ない。乱交を一人で見たからって寂しくなったりしないし」

「誰もそんな心配してないけど!?」

最近、みゃーが孝介さんみたいなツッコミをしてくるように感じるのは、ただの気のせいだろうか。

「みゃーも行く?」

「私は晩御飯の片付けがあるし……ていうか、先日、三人で見たばかりでしょ?」

そう言って視線を向けた先には、ビールを飲んで眠っている孝介さんがいる。

「今日、輝いていた蛍が、明日も輝くとは限らない」

「いや、なんかカッコいいこと言ってるみたいだけど、それって全てに当てはまるよね?」

「昨夜、ケダモノのようだった孝介さんが、今夜は酔っ払って使い物にならない?」

みゃーが溜め息をいた。

「家から半径五百メートル以内」

「え?」

「それ以上、遠くへ行っちゃダメだからね!」

何故かみゃーが保護者みたいなことを言うが、私は気にせずに、初夏の夜を満喫すべく外へと踏み出した。


時刻は午後九時過ぎ。

都会では出歩いている人が幾らでもいる時間だけど、田舎の夜は暗く、喧騒けんそうはどこにも無い。

街灯は少ないし、車も滅多に通らない。

山影は、それこそ黒いペンキを塗りたくったように真っ暗だし、怖くないと言えば嘘になる。

でも、見上げれば満天の星が……まあ、梅雨の中休みみたいなものだから、星は期待して無かったけど、それでも雲の切れ間から、都会では見られない深い夜空が顔をのぞかせる。

「おーほしさーまーきーらきらー」

きらきらがいっぱいだ。

星も、草木の匂いも、みゃーのニッコニコも、孝介さんの優しい声も。

……決して怖いから歌っているわけではないのです。


しばらく歩くと自動販売機が三台並んでいる場所があって、周囲を明るく照らし、ホッとさせる気配に満ちていた。

おお、珍しく人がいるではないか。

……三人の、遠目にも判る派手な髪色と、やさぐれたたたずまい。

田舎のヤンキーさんでした……。

私は飲み物を持ってくるのを忘れたので、三人の視線を感じながら自販機の前に立つ。

……ひどい虫の数だ。

それを理解しているのであろう田舎のヤンキーさんは、自販機から少し離れた位置にたむろしている。

ふ、コンビニも無く、こんな自販機の前で虫のように集まるガキどもにビビることは無いのです。

「おねーサン」

何故かブラックコーヒーを買ってしまった私に、田舎のヤンキーさんが声をかけてきた。

女の子ばかりなのは幸いだ。

「どっからきたの? この辺の人じゃ無いっしょ?」

いわゆるヤンキー座りをした少女達が、興味深げに私を見ている。

かたわらにはバイクが二台。

私はめられてはいけないと思い、すまし顔でブラックコーヒーを一口飲んで言い放つ。

「地元民ですが?」

少女達はキョトンとする。

何かおかしなことでも言っただろうか?

「こんな田舎の地元民って、胸を張って言われても……ねえ?」

リーダーっぽい女の子がそう言うと、他の二人もコクコクとうなずく。

「え? 素敵な場所ですが? 蛍もいるし、オケラも鳴いてるし」

「まあ、自販機の明かりに誘われたカブトムシもそこにいますけどね」

「え? おー! カブトムシがこんなところに!」

「……」

少女達が苦笑いする。

私はすまし顔でブラックコーヒーを口に含んだ。

「おねーサン、苦くない?」

「苦いのです」

少女達が爆笑した。

馬鹿にされているのかも知れないけれど、親しげな笑いにも思えた。

やさぐれた佇まいなんて掻き消えて、屈託くったくの無い笑い声が辺りに響く。

何だか自販機の周りが、少し明るくなったみたいだ。

「で、何してんの? まさかブラックコーヒーを買うためだけに?」

「いえ、蛍を見に散歩です」

「へー、まあ蛍なんて、その辺の用水路にもいるっしょ」

「私が見たいのは、天の川みたいな蛍です」

「んー、天の川かぁ」

少女は曇り空の向こうに、実際の天の川を探すかのように顔を上げた。

少しはすにも見えた表情が、とてもあどけないものに変わる。

「よし、穴場に連れてってやるよ」

そう言ってニカッと笑ってくれたので、私はブラックコーヒーを三本買った。

何故か嫌な顔をされた。


二台あったバイクのうちの一台は、二人乗りが可能なようで、リーダー格の女の子が予備のヘルメットを貸してくれる。

不安はあるけどドキドキしながら、その子の後ろに跨がった。

「孝介さん、ごめんなさい。あなたの美月は不良になってしまいました」

私の呟きはマフラーの音に掻き消され、お尻から伝わってくる振動が身を固くさせる。

「しっかりつかまってろよ」

少女が言い終わると同時に、バイクは動き出した。

風が生まれ、世界が動き出すような感覚。

自販機の明かりは、みるみる遠くへ……遠くへ?

なかなか遠ざからないのです。

「このバイク、スピードが出ないのですか?」

「あんまりスピード出すと、メットに虫がぶち当たって大変なんだよ」

……なるほど、車も走ってないし、警察もいそうにないから自由に走り回るのかと思いきや、田舎は田舎で大変なのです。

時速はたぶん、三十キロほど。

ゆっくり流れる景色と、身体に流れ込んでくるバイクのリズムが心地よくなってきた。

「ねー!」

「なんだー?」

大きな声で話しかけ、大きな声が返ってくる。

「楽しいです!」

「はは、そりゃ良かった!」

バイクの振動とは違う揺れが、少女の背中から伝わってきた。

夜の空気が、私達と混ざって融け合うみたいだ。


二十分ほど走って、少女の言う穴場に着く。

時速三十キロで二十分ということは、約十キロ移動したことになる。

私の行動半径から外れた、全く知らない場所だ。

遠くに民家の灯りがポツンと見えるだけで、辺りは真っ暗。

小川のせせらぎと、虫の合唱。

蛍は……ぽつり、ぽつりと光を灯して、まるで重力など無いみたいに虚空こくうに浮かんでいる。

「っかしいなぁ、何年か前に来たときは、こう、あっちからあっちの方まで、帯みたいに光っててさぁ」

暗くて顔はよく見えないけど、悔しがっている様子が伝わってくる。

「その日の気温とか、時間とか、あと、当たり年とかもあるみたいです」

「そっかぁ……なんか悪かったな。こんなとこまで連れてきたのに」

「いえ、とても綺麗です」

それは、本当に綺麗だった。

精霊みたいだ、なんて言うと笑われそうだから言わないけれど。

でも、彼女達も道端みちばたに座って、何かに魅入られたみたいにしばらく蛍を眺め続けた。


帰ったら、孝介さんに報告しよう。

蛍はとても綺麗で、そしてお友達が出来たのだと。

きっと、孝介さんは私を褒めて、あの大きな手で頭を撫でてくれるだろう。

嬉しいことが一つあると、それは必ず二倍になって、私を幸福で満たしてくれるのだ。

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