森を歩く

 あの日以来何も起きない。

いや、

あってほしいわけではない。


 しかしあれが本当に起きた出来事なのか?

はたまた夢だったのか全くもってわからないのだ。


 実際にあの日家を出てから駅に着くまでの記憶はない。どうやって駅に着いたのか?

何故ベンチに座っていたのか。

何一つ納得出来ることがないのに、

何も起きないのだから、

困惑しかない。


 そう思いながら今日も丁寧に

 ドリップコーヒーをいれる。


それが深月の仕事だからだ。


 先程まで聞こえなかった店内のBGMが

少しずつ明確にJAZZを奏でてきていた。

 タブレットと難しい顔で向き合っていた

サラリーマンも一段落つけて伝票を手にした。

一通りテーブルが片付いたの

16時で仕事を終えて店を後にした。


 今日もアスファルトを焼いた太陽熱で、

体の水分が蒸発していく音を感じていた。


 店の目の前の横断歩道で信号待ちをしていると、くしゃくしゃな顔をした老人が信号無視をして車の進行を妨げ、クラクションをならされていた。自分が悪いにも関わらず老人はしかめっ面をして車に罵声を浴びせていた。


 夕方の太陽は頭を焼き付け、


体力と羞恥心を奪うのかもしれない。


 


私は人が苦手だ。


怒っている人を見るとドキドキする。


毎日視線に怯えながら生きている。


陰でコソコソ話していたら、


悪口を言われてるいる気になる。


要するに自信がないのだ。




人ごみや、満員電車も苦手だ。


学校生活を終えると都会に出たがるが、


私には理解できない。


深い森で静かに暮らしたい。


好きな書き物をして、


自分で野菜を育てて、


毎日森を歩く。




なのに喫茶店で働く理由は…。


私にもわからない…。


 いや本当は自分で良くわかっているが、


心の奥に負った傷は簡単には説明できない。


森よりも深いのだ…。



 田舎に憧れながら、 


 都会を彷徨う。


 私は今日も深い森を歩く…。


地元の駅に着いて駐輪場に向かって歩きだす。


突然の頭痛、

走るノイズ、

目の前を動く情景が

ひどくスローに見えてくる。

目を瞑ると、

幾千もの朱い糸が流星のように

流れだす。


今まで何もなかったのにも関わらず

脳内のアドレナリンがとまどなく分泌されるのを感じた。


目を開けると

あの日以来初めて朱い糸が見えた。

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