第8話


 愛染さんが言うには、その説明をしようとしている神無月さんの顔は笑っているのに、目が全然笑っていなかったらしい。


「その神無月さんという人が言うには、私が公園を全速力で走り去った姿を見て、誰か通行人の人が不審に思って警察に連絡をしてくれたらしいんです」


 実は、愛染さんは気が付いていなかったようだが、会社から帰る途中だった人が愛染さんの後ろをつける不審な人を見かけ、その場で警察に連絡を入れた様だ。


 そして、先に現場に到着した境さんが『煙幕』を焚いたらしい。


「でも、なんで煙幕なんか?」

「あっ、えと。その煙幕で犯人も眠らせ、その間に警察に連絡をして安全でかつ穏便に引き渡すつもりだった……と」


 その話を聞く限り、神無月さんが言うには、彼女が吸ってしまった『煙幕』には睡眠の作用があった様だ。


「……………」


 しかし、いくら犯人を捕まえる為とは言え「煙幕を焚く」なんて方法を使う人はそうそういないと思う。


 ただ、境さんはどうにも『非日常を楽しむ』傾向が強かった。


 そして、そんな状況に陥った時、普通であれば『萎縮』したり『怯え』たりするが、境さんの場合はその逆に『楽しむ』傾向が強かった。


「ただ、あの時は雨が降っていて私がいた場所はちょうど風下で」

「……………」


「しかも、橋の下でそれが雨よけになってしまったらしいんです。それに対して犯人がいたのはちょうど風上。それでその煙幕を焚いたのが……」

「まさか、犯人の近くだった?」


「……はい」

「はぁ、マジか。でも、犯人も君に近づいていたはずだろ?」


 それこそ、話し合いなんて出来る様子でもなかった様に聞こえた。


「はい。犯人は確かに私に近づいてはいたけど、突然の煙幕に立ち止まってしまって、肝心の煙幕をあまり吸わなかったらしいんです。風下の私は思いっきり吸ったのに」


 おかげ様で愛染さんはその場で気を失い、その気を失う寸前に境さんの声を聞いたという事だった様だ。


「それで、私がその場で倒れた後にすぐ、犯人はその境さん? という人めがけて攻撃を仕掛けたみたいなんですど」


 そう言うと、愛染さんはそこで言葉を句切った。多分、その後の事は神無月さんから聞いても理解出来なかったのだろう。


「あー、今のでなんとなく分かった」

「え、分かるの? 兄さん」


「ああ。その境さんは確か、キックボクシングだったかテコンドーだったか……。とりあえず、そういった『その道のプロ』から勧誘をされるくらいに強い。それこそなんで境さんはあんなに蹴り技が強いの? って言われるくらいだ」


 まぁ、境さん本人は『手よりも足の方が長いから』とか『足なら靴などでいくらでも防御出来るから』とか言っていたが、多分『興味があったから』という位の理由で、特に深い理由なんてないのだろう。


「それで、それがどうかしたのか? まっ、まさか」

「ああ、多分そのまさかだろうな」


「はい。神無月さんという方が言うには、その境さんが犯人に対して華麗かつとんでもない威力の回し蹴りを繰り出し、その結果。犯人の顎にクリーンヒットし、犯人は気絶して、病院に搬送されて現在は事情聴取をしようにも気絶しているので、回復次第になりそうだ……と言っていました」


「なるほどな。まぁ、その状況じゃあ『逃げる』のも難しいだろうな」

「うん、激痛で動けなさそう」


 その説明で、俺は『どうしてその場に境さんがここにいないのか』という理由が分かった様な気がした。


「それで、境さんはお説教を受けていていないと言われました。やはり、やり過ぎではなかったのか……という事で」

「まぁ、確かに『やり過ぎ』というところはひどく同意するな。いくらプロではないとしても、あの人の蹴りの威力はプロと変わらないからな」


「それほどなんだ」

「ああ、木製バットなんて簡単に折るぞ、あの人は」


 俺がそう言うと、光は「へっ、へぇ」と若干引いていた。そりゃあそうか、普通の人がそうそう木製バットなんて折らないか。


「で、入院しているのがこの病院ってワケか」

「はい」


「まぁ、正確にはもう入院は終わって腕の治療のために通院しているんだけどね」

「そうか。じゃあ、その入院中に光と知り合ったというワケか」


「そうそう。あまりにも暗い顔をしていたからどうしたのかな? って思って」

「あっ、あの時はごめんなさい。こんな事を話せる相手がいなくて」


 確かに、こんな話を話せる相手はそうそういないだろう。


「それで、どうして今この話を? 今の話を聞いた限り犯人は捕まっている様に聞こえるんだが?」


「ああ、うん。実は、犯人はさっき言った通りその場で捕まったんだけど、この事件。どうにもそれで万事完結って思えなくてね」

「と、言うと?」


「私も『犯人は捕まったから解決』って、思っていたんです。でも、そもそも『どうして私が狙われたんだろう』って思い始めて」

「……………」


 それはそうだろう。こう思うのは何も不思議な話ではない。


「だが、警察も教えてくれたんじゃないのか?」

「はっ、はい。教えてはもらったのですが、その『私は間違えられた』と」


「間違えられた?」

「はい」


「でも、それ以上は教えてもらえなかったんだって」

「そうか、なるほどな。つまり、今回の依頼は『事件の詳細を知りたい』というところか?」


「はっ、はい。お金は……なんとかしますので」

「分かった。まぁ、未成年にそんな大金は要求しないから安心しろ。それに、事情が事情だ。そこら辺はちゃんと考える」


 俺がそう言うと、愛染さんは「あっ、ありがとうございます」と頭を下げた。


「じゃあ、話がまとまったところで、食べようか。シュークリーム」

「ん? ああ、そうだな」


 愛染さんは「いっ、いえ。私は……」と帰ろうとしていたのだが、光は「えぇ、食べて行きなよ」と呼び止め、結局。三人で御昼下がりの優雅なお茶会をしたのだった――場所は病室だったが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る