第6話


「ごめん、兄さん。お待たせ」

「いや、そんなに待っていないから気にするな」


 そして、ひかるの後ろから現れたのは、ひかるより頭一個分ほど小さく華奢で黒く長い髪の『少女』が現れた。


 服装は……どこかの学校の『制服』だろうか。それに、右腕には真っ白い包帯が巻かれているが『ギプス』を付けているワケではない様だ。


「こっ、こんにちは」

「こんにち……は??」


「なんで疑問系?」

「いやいや」


 ニヤニヤしながら笑っているひかるを俺は、少女に対し「悪い、ちょっとこいつに話がある」と一言断りを入れて、呼び寄せた。


「何?」

「いや、何? じゃないだろ。そもそも、この少女は誰だ?」


 少女の方をチラッと見ながら、俺はひかるに尋ねた。


「ああ。この子の名前は『愛染あいぜん雪乃ゆきのさん』って言うんだよ」

「そうか……って、そういう『名前を知りたい』ってワケじゃなくてだな」


「ん? ああ、彼女は……」

「光。まっ、まさか」


 俺は、その後に「お前の彼女か?」と言おうとしたが――。


「ははは、兄さんの言いたい事は分かるけど、違うよ」


 笑いながら光は否定し、少女を空いている椅子に座らせ、シュークリームを冷蔵庫に片付け、少女の前に飲み物を差し出した。


「そっ、そうか」


 光もここに入院していなければ、高校に通っている年齢だ。場所はともかく、彼女がいても不思議ではないとは思っていた。


 だが、今の様に実際に言われそうな状況だと、「ここまで身構えてしまうモノか」と、光に「違う」と否定された事に安堵した自分を恥じた。


 それにしてもさっき光は「飲み物がない」と言っていたが、それは『少女の分しかない』という意味だったようだ。


「ほら、僕。最初に言ったじゃんか。聞いて欲しい話があるって」

「あっ、ああ」


「それ、僕じゃなくて彼女の話を聞いて欲しいって事なんだよ」

「なっ、なんだ。そうだったのか」


「まぁ、ちゃんと説明しなかった僕も悪いけど」

「いっ、いや。そもそも俺が先走ったのが悪い。気にするな」


 そうして俺は、しばらく放置してしまった少女。いや、愛染さんの方へと振り返った。


「ごっ、ごめんなさい。わざわざ時間を取ってもらった上に、変な誤解を与えてしまって」

「いや、その『誤解』という部分は俺の勘違いだ。謝るのはむしろ俺の方だ」


「そんな、私が……悪いんです」

「…………」


 たった数回しか言葉を交わしていないが、コレで『彼女の自己評価の低さ』が何となく分かった様な気がした。


「それで、話ってなんだ?」

「えと」

「ああ、それは僕が説明するよ。雪乃さんは話せる部分だけ話せればいいから」


 光がそう言うと、愛染さんはコクリと小さく頷いた。


「…………」


 いつもの依頼は依頼人自身で「こういう事をお願いしたい」という説明をしてくれる事が多いのだが、たまに依頼人本人が説明出来る状態ではない事がある。


 そういった場合は、一緒に来た友人や家族が説明をする事になる。


 でもまぁ、そういう状況の時の依頼は大抵『何か厄介事に巻き込まれてしまった』場合が多い。


 そして、この二人の様子を見た限り。どうやら今回がその『厄介事に巻き込まれた』状況の説明と同じだった様だ――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「一週間くらい前の夜にさ。雨が降った日あったの覚えている?」

「ん? ああ、あったな。確か、小雨からすぐに強くなっていたのを覚えている」


 そのせいで、洗濯物がびしょ濡れになってしまったが。そんな俺の話は今はどうでもいいだろう。


「うん。その日に……」


 そう言いながら、ひかるチラッと愛染さんを方を見た。ひかるは無言だったが、その様子はまるで「大丈夫? 話せる?」と言っている様に見えた。


「その。男性に、襲われたんです」

「…………」


 その彼女の言葉を俺は無言で聞いた。


「あの日、雨が降っているという事以外は、いつもの夜……のはずだったんです。どんどん雨が強くなっているなぁ。なんて思いながらも……」

「その日、なんで夜に出歩いていたんだ? 結構視界も悪かっただろ」


 俺がそう尋ねると、愛染さんの代わりに光が「ああ、それはその日。ちょうど塾だったらしいんだよ」と答えた。


「ん? 親御さんの送り迎えはなかったのか?」

「えと、塾が住宅街の中にあるから、送り迎えは大丈夫だろうって思ったらしいんだよ」


 確かに、住宅街の中にあれば『誰かしら見ている』だろうと愛染さんの親御さんは考えたのだろう。


「それに、私の両親は共働きでいつも同じ時間に帰れるか分からないので」


 そういった状況も相まってそう考えたのだろうが、実際はその考えは甘く、実際のところは全然大丈夫ではなかったというワケだ。


「最初に異変に気が付いたのは、いつも通っている大きな公園の中に入る少し前です。私が歩いていると、ふと人影が見えて……それで、抜いてもらうとその場で立ち止まったんです。だけど、なぜかその人影も、止まって」


 普通、前を歩いている人のスピードが遅ければ、その相手を追い抜くはずだ。


「しかも、公園に入ったところで後ろを振り返ったんですけど、そこには誰もいなくて」

「それで、不審に思いながらそのまま歩き始めて、一度だけワザとタイミングをずらすした時に聞こえた音で『誰かにつけられている』と思ったらしいんだよ」


 しかも、愛染さんが歩けば一緒に進み、止まれば同じ様に止まる。


 雨が降っていた事も考慮したとしても、これだけ同じ行動をされて不審に思わなかれば、相当鈍感な人だろう。


「コレはもう、完全に『つけている』よね? 兄さん」

「ああ、そうだな」


 そして、愛染さんはいつもは通らない曲がり角でスピードを上げ、持っていた傘を放り出して走り出した。


「いつもは公園の横を通っているんですけど、その日はワザと公園を突っ切るように走ったんです」

「その公園では、この時間帯はたまにダンスの練習などをしている人がいたり歌を歌っていたりする人がいるらしくてね。それで、雪乃さんはワザとそれらをしている人や見ている人の印象に残るようにって、その公園を突っ切ったんだけど」


 しかし、雨が強くなってきた今のこの公園の中には人は誰もいなかったらしい。


「…………」


 しかも、追いかけている相手もワザと追いつこうとしていないのか、愛染さんのペースに合わせていた様だ。


「正直……不気味だな。なんでそんな事をするのか分からない」

「うん。それで、雪乃さんも相手の思惑が分からないまま、さらにスピードを上げて走ったみたいなんだけど」


 しかし、曲がり角を曲がったところで雨でぬかるでいた地面に足を取られ、愛染さんは盛大に転んでしまった。


「じゃあ、その怪我は」

「はい。その時に転んでして出来た怪我……です」


「ただ、さっき兄さんが『不気味』って言った行動の理由は雪乃さんを河川敷に誘導したかったからみたい」

「それ自体も気味が悪いけどな」


 転んだ時に思いっきり打ち付けた腕をさすりながら愛染さんは、その事に気が付いた。


 そして、一瞬キラッと光った光に振り返ると、そこには黒いズボンに黒いフードを深くかぶった人物が立っていた。


「そいつの顔は見たか?」

「いえ、その『人』はフードを深く被っているせいで表情どころか顔も。ただ、息も荒く、かなり興奮していたみたいで」


 しかも、身長だけでは男性か女性か……という判断も出来ず、服装もゆったりとしたものを着ているせいでさらに性別の判断が出来ない。


「その時、その人が持っていたの右手には包丁と左手に持っている黒いモノは多分スタンガンだった……と、今となっては思います」

「その状況は文字通りの『絶対絶命のピンチ』だな」


「私は学生時代に剣道をやっていたんですけど、傘はさっき走るために捨ててしまって持っていなくて。でも、自分以外の人もいなくて、だから自分でなんとかしなくちゃって、思ったんですけど」


 そんな愛染さんの気持ちとは裏腹に、先ほどの盛大に転んでしまったせいで利き腕に痛みが走ったらしい。


「!!」


 その痛みに意識が持っていかれそうになっていると、犯人は愛染さんに向かって勢いよく突っ込んできている。


「もうダメだって思って」


 そして、愛染さんが死を覚悟した時……。


「そしたら、声が上から降ってきたんです。『――さて、種も仕掛けもございません』という声が」


 しかし、突然聞こえてきた聞き覚えのない男性の声に愛染さんは一度閉じた目を開き、何とも間抜けな声を上げていた。


 そして、ふと気が付くと突如真っ白な煙に包まれ、俺は声を上げる前に意識が遠退き、その場で気を失ってしまった――との事だった。

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