第43話 安心できる男 ○
カウンター越しに60代くらいの職人らしき男性が、次々と入ってくる握りのオーダーを淡々とこなしている。
目の前にあるショーケースには
新鮮そうな肴の切り身が綺麗に置かれている。清潔感漂う感じが私を安心させた反面、
店内の様子はおよそ落ち着いた感じで、
馬鹿笑いしたり大騒ぎしたりするような客層はみあたらない。
少し高級な飲み屋さんというよりかは、
和食の寿司割烹のような空気感が漂う感じで少し緊張した。
jazz調の音楽が静かに流れている。
近くにこんなお店があったんだ……。
あったとしても見向きもしなかったし、
気づかなかったかもしれない。
「大将、サーモンの握りを二巻と蛸ももらおうかな……食べる?」
「え?あっはい。じゃーサーモンの方はもらいます。」
「じゃーサーモンは四巻にしてもらえる。」
「へい。かしこまりました。」
手慣れた様子でオーダーする宮本に安心感を覚える。
「なんか呑みなよ。何が好きなの?」
とか言われてメニューを渡された
端から端までひとしきり眺めて、
大して吞めもしないのに、
一度呑んだことのある、飲みやすいお酒に目がいく。
「澪」
「いいじゃない、それいこう!!」
など言われてすっかり彼のペースに呑まれる。
「学生時代は、これでも結構モテたんだよ。夏はねボディーボードなんかをしに、男の子ばかり何人かで行くの。それで波に乗って遊んでると女の子が声をかけてくるわけ。
あの頃は良かったな。何もかもが楽しかった。」
「なんか意外。」
「何が?」
「結構遊んでる感じ。」
「ふふふ。それはそうでしょう。学生時代にしか満喫できないじゃない。仕事なんてはじめたら長期の休みも取れないし、夜通し遊んだら次の日休むわけにもいかないもの。」
そう言いながらテーブルに運ばれてきた、
青い瓶の蓋をプシュと空けて、
淡い緑色に縁取られた綺麗なグラス調の
お猪口にお米の香りの
発泡している日本酒を注いでくれた。
宮本はビアグラスを少し傾けて、
私のお猪口に向けたので、
グラスは当てずに
微炭酸のような発泡系の口当たりが広がり、
日本酒とは思えない甘い果実のような香り
が鼻からぬける。
甘すぎず、いわゆる酒臭があまりしない。
口角が自然と上がり声をださず微笑んだ。
なんだかドラマのワンシーンのようで
とても気持ちがよかった。
「君は?どんな学生時代を過ごしたの?」
「わたしは……。学生時代は音楽に明け暮れてました。もちろんこういう性格なんで勉強もたくさんしましたけどね。前にも話したけどピアノが好きでね。軽音のサークルに入ってキーボードを弾いてました。アルバイト代全部つぎ込んで、Rolandのキーボード買ったんですよ。懐かしいな……。」
あの頃の景色が頭を巡りだす。
合宿で小さな離島へ行ったっけ。
あれ?なんて曲だったかな?
ハイローズの……。
アップテンポの曲が頭に流れて、
長い間すっぽりと抜け落ちていた、
記憶の断片が前頭葉の角からひっぱり出される。
「へー軽音って感じじゃないのにね。」
「どういうこと!!」
少し膨れっ面をしてみせると。
笑いながら、
「冗談じょうだんだって。」
と言って私の肩にポンポンと触れた。
求められるってきっとこういう事なんだろうな。
「彼氏はいたの?」
「あーセクハラですよ。」
「そんなこと言わないで教えてよ。」
「いましたよ。ずーと長く付き合っていた彼がいました。こう言ったらなんですけど、
かなりのイケメンでしたよ。サッカーが好きで、何より顔がかっこよかった。この人が、なんで私なんかを選んだんだろう?ってなんとなく引け目に感じるくらい。」
「ふーん。カッコよくて長く付き合っていたのに、なんで別れたの?」
こうして異性と二人きりで肩を並べてお酒を呑むなんて何年ぶりだろうか?いや……。
もしかしたらはじめてかもしれなたい。
そもそも私はあまりお酒なんて呑めないし、
二人でなんか呑んだ事もないのだ。
席に案内された時より心なしか肩と肩の距離が近づいている気がする。
きれいに整えられた長めで少しグレートーンの髪型。昼間仕事してきたとは思えないくらい、しっかりと型のついたストライプ柄の
ワイシャツ。クールビズでネクタイはしてないけどボタンを二つ開けた首元と、汗染みのないエリ。どれをとっても清潔感に溢れている。仄かに香る香水はおそらくSAMURAIだと思う。わたしはこの香水の香りに弱い。
強烈な香水臭ではなく、この仄かに香る感じがたまらなかった。同じ男性でもこうも違うのか?
と何やら誰かと一瞬比べてしまったけれど、
その比べた誰かが誰なのか?それを忘れてしまうくらい心が満たされている。
「別れた理由?えーと浮気かな?いや、違うな……。」
初めの彼氏と別れた理由。
それは『価値観の違い』だ。
私は自然を満喫したり旅行にいったり、
いわゆる形の残らないもの、
自分が経験して心に残る物が好きだった。
けれども彼は旅行なんて……。
それにお金をかけるくらいなら、
ゲームやパソコンがほしい。
二人で旅行に行くくらいなら、
友人たちとみんなで過ごしたい。
そういう人だった。
価値観の相違はやがて綻びを生み、
こちらが愛想つかしたのだ。
「宮本さんは?学生時代は彼女は?」
「うん。正直いっていなかったよ。」
「え?意外!!」
いくらでも話が尽きなかった。
いつもなら、
もう遅いから……とか
子供たちは大丈夫だろうか?とか
こんなに遅くに食べたら
お腹痛くならないかな?とか
いろいろな不安がずっと付き纏い、
私の行動を制限するのに、
彼は私から不安という二文字を忘れさせた。
頼りたい。
寄りかかりたい。
引っ張ってほしい。
私が男性に求める事は
いろいろとあるけれど、
きっと私が何よりも求めている事は、
いつも私より先にいて、
私が考えるより先に
進むべき道を示してくれる
『安心感』
なんだと思う。
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