第42話 最後の時 ●

9月になると心凌は途端に何かと理由をつけて、僕の誘いを断るようになった。

最初はたまたまかな?と思っていたけれど、

二度三度となるとやはり避けているのはあきらかだと感じた。

それでもどうにかこうにかして、

ようやく今日の約束にこぎつけた。



もう最後だしとレンタカーを借りて、

最初に二人で行った海の砂浜を目指した。


わかっていたはずだけれど、

心凌はあと5日ほどしたら日本を離れるのだ。

そう思うと何を話して良いかわからなかった。相変わらず手を繋ぐ以上の関係はなかったし、進展するようなアクションも何もおこさなかった。

もちろん心凌の方からも何かを求めてくる事など何もなかった。


「もうすぐ中国に帰るんだね。」


「はい。」


「寂しくなるな……。」


「さみしいか?」


「うん。」


「じゃーあなたが中国に来ればいい。」

そう言ってにこやかに笑いかけた。


「心凌の家まで何時間かかるの?」


「うーん。大連まで飛行機で1時間30分くらい、そこから電車で……12時間?」


12時間!!

遠いなー。まぁでも考えてみれば九州から

青森まで行くみたいなものだもの。

そりゃかかるよな。


「ハハハハ。無理だよ。無理。」


「なんで?」


「遠いしパスポート無いし…それに……。」


それにそんなお金もない。


「それに何?」


答えに困って黙っていたら、


「パスポートは大丈夫。作ればいい。

誰でも作れる。私でも作れる。」


と普段から身分証明の為に持ち歩いているパスポートを開いて見せた。


「見せて!」


「ダメ。」


「なんで?」


「パスポートの写真よくない!だから見るはだめ!!」


フフフ。本当に面白い娘だ。

こんな日がずっと続けばいいのに……。


「何をわらう?!」

少しふてくされた声でそう言った。


「なんでもないよ。僕は心凌とずっと一緒にいたい……。日本にずっといる?」


それを聞いてまた

「ふふふ」

と笑った。


「ビザない。日本にいたら違法滞在?

あなたは中国に来ない。ずっと一緒には

できない!」


そういうと先程までニコニコしていたはずの顔が少し寂しげに見えた。


それから少し二人とも黙って砂浜を歩いた。

僕が少し前を歩き、

そのあとに心凌が手を後ろに組んでゆっくりと歩いてくる。

今日で最後

もう次は無い

と思うと素直になれない。

今すぐ抱きしめて、

それでどこかへ連れ去りたい。

というドラマのような衝動が

頭をぎる。


けれど時折ふく冷たい海風が

冷ややかに僕の気持ちを嘲笑う。


何考えてるんだよ俺は、

このまま心凌を連れ去って、

いったいどういう生活を送るというのだ、

二人で生活するのは問題ないかもしれない。

でも子供たちの養育費はどうやって払うというのだ?


いつだって想像力が足りないから失敗する。

石橋は叩いて渡らない。

先の見通しがつかない。

こんな事ならばあの時……、

自転車のチェーンが外れたのを見たあの時、

声なんてかけなければ良かったり


夕方の海岸線に赤い太陽が沈んでいくのが見えた。

もう今日という一日が終わりを告げようとしている。


振り向くと心凌が立ち止まって、

僕の方を見上げた。

しばらく無言で見つめあって、

それから僕は彼女をギューと強く抱きしめた。

心凌も自然と腕を僕の腰にまわした。

しばらくお互いの温もりを確かめあって、

それからゆっくりと彼女の顔をもう一度じっくりと見つめた。

そのまま顔を近づけて、

心凌が目を瞑る……。

と思ったのも束の間、

彼女の左手が僕の唇を制する。


「だめ。私はあなたの友だちよ。」


とニコニコと笑ってそう言った。

けれどそのすぐ後に悲しげな真顔になった……。

と思うのは僕の勘違いだろうか?


友達か……。


「ご飯食べにいこうか?」


「はい。」


友だち……。

それで良かったのかも知れない。

距離を縮めすぎると、

引き返せなくなる。

求める事が大きいと、

失うという事に耐えきれなくなる。

最初からわかっていたじゃないか。

きっと彼女は僕よりもわかっていたのかも知れない。


 一度レンタカーを返してそれから地元の居酒屋さんに入った。好きな物を頼ませて、僕はそれをつまみながらビールを流し込んだ。

心凌はスマホを手に綺麗に盛り付けられた、料理を写真を撮っていた。

正直その時に何を食べたかなんて

覚えていない。

ひどく楽しく、

なんでもない事で笑って、

わずか半年くらいの間だけれど、

一緒に行ったところの話をして……。 


そういえば出会った頃より、

日本語が格段上手になったな……。

なんて思ったりして、

それでやっぱり

少し寂しい気持ちになった。


「心凌、今日できっと最後だからさ一杯付き合いなよ。」


そう言ってグラスにビールを注いだ。


「おいしいか?」


「あー大人の味。美味しいよ。」


しばらくグラスを眺めて何を思ったか一気に飲み干した。



「大丈夫?」


少しボーしてるみたいだ。

しまったな。

飲まさない方がよかったか。


「心凌?大丈夫?」


「ない。」


「ん?」


「大丈夫じゃないよ。」


「え?!」


「私は勉強きらい!だから15歳で勉強をやめました。それからずっと父の畑を手伝いました。でもテレビで日本を見ました。

すごく興味をもちました。日本はとてもいいところ。私日本に行きたい思いました。

でも中国は簡単には他の国へ行けない。

中国はそういう国。だから私は仕事探しました。でも日本語話せない。わからない。だから仕事ない。研修生の話を聞きました。

私行きたいと、父にお願いしました。

でも研修生になるにはお金がいります。」


ゆっくりとはっきりとした口調で、

そこまで話すと喉が渇いたのだろうか?

グラス手を伸ばしたので、


「お水もらうか?」


と聞いたら僕の目の前にある瓶ビールに手をかけて自分のグラスに注いだ。

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