第51話 心の距離感○
久しぶりに彼と会う……。
そう思うと面と向かって話すのが、
なんとなく気恥ずかしく思えた。
それにいったい何から…というか
何を話して良いのかわからず、
息がつまる気がした。
だから私は会うなりすぐに
「海に行きたい」
と彼に伝えた。
彼は無表情に良いとも悪いとも判断つかない顔で、相変わらず意思のない同意をした……
ように私は感じた。
前を走るエルグランドのブレーキランプが、カーブにさしかかる度についたり消えたりを繰り返した。
「下手くそだなー。」
と心の中で呟きながら車間距離を多めに取って走行した。
私は車の運転には自信がある方だ。
何をするにしても慎重な方だし、
免許をとりたてのころに父に助手席にのってもらい随分鍛えられた。
父は物事をズバズバというタイプで、
(少なくとも私に対してはそうだった)
キツイ事もたくさん言われた。
私の何でも言ってしまう性分は父譲りかもしれない。
もうじきに交差点に差し掛かるであろうところで、前の車のブレーキランプが先程より頻繁に
完全に停まったところで彼の方に目線だけむけてみる。
彼は助手席でずっと窓の外を眺めている。
やはりなんとなく話しかけづらい。
ふと思う。
車間距離と人と人の距離感ていうのは、
実は似ているのかも知れない。
近づきすぎたら衝突しそうだし、
離れすぎたら見失う。相手の出方をよく観察していないと危険だし、相手のペースに巻き込まれてもやっぱりよくない。
距離の取り方が上手ではない人とは、
上手に距離を取るべく努力が必要だろう。
そう思うと……。
私は人の距離感を掴むのが下手くそな方なのかもしれないな……。
などと感じながらもう一度助手席の方に目を向ける。
信号待ちの車の中、無口な彼が少し怖くて、
緊張しすぎて少し泣きそうな気持ちになる。それでやっぱりなんて声をかけて良いかわからずにいた。
信号が緑に変わると心底ホッとして、
また車をゆっくりと走らせた。
車窓から入る冷たい風が少し心地良かった。
本来寒がりの私。
冬場はなかなか温まりにくい車。
服の中に何枚かのカイロを貼って
薄紅がかった白いダッフル系のコートを
着込んだままハンドルを握っていたのだけれど、流石にすこし暑くなってきた。
この時期にしては少し暖かいくらいの風が
この格好には丁度良かったのかもしれない。
「大丈夫?」
と突然彼に聞かれてびっくりする。
「え?!うん大丈夫だけどなんで?」
「いや……一言も喋らないから。」
いやそれはあなたも同じでしょう。
と心でつっこみ。
「ふふふっ。」
それでなんか笑えてきた。
今私たちの心の距離感はどうだろうか?
きっとお互い遠慮がちに牽制し合ってる。
「ごめん。俺疲れた顔してるでしょう。」
「うん。だからむしろ私は、あなたに大丈夫なの?と聞きたい。」
それから少しだけ沈黙。
あれ?聞いたらダメだった?
「うーんと…、本当のこと言うと大丈夫じゃないんだ……。今日の朝、夜勤が明けて帰るはずだったんだ。ところが日勤の社員が体調崩してね、少し残ってくれってさ。そしたら気がついたら、昼の2時だった。」
「え!?」
2時ってわずか2時間前じゃないか!!
「早く言ってよ。今日はもう帰ろう。家まで送るわ。」
「いや……。でもせっかく会えたんだから。だ……だけど、悪いけれど少しだけ……。
少しだけ眠らせて……。」
そう言うとこちらの返答も聞かずに、
すぐに「すー…すー…」と寝息を立て始めた……。
かわいそうに……。
相変わらずこの人は断るのが下手だ。
だからいつでも良いように使われるだけ
使われて、結果耐えきれなくて仕事を辞めるハメになるのだろう。
この人も……私とはまた違うタイプの距離感を上手に保てない人なのだ。優しすぎて付け入るスキがあるから、その隙間にどんどん入り込まれる。
とりあえずそのまま寝かせて海は向かう事にした。来た道を戻って彼を家に送る。
という選択肢も当然あったわけだけれど、
彼の意向を尊重する事にした。
彼の意向を尊重する。
というのもあるけれど、
本当は彼が
「せっかく会えたんだから……。」
と言ってるのを聞いて少し気分が良かった。
私だけじゃなかったんだ。
彼も私と会いたいという意志があったのだ。じゃなければ「せっかく会えた」
とは言わないと思う。
それから海岸線の道沿いにある、
小さな公園の無料駐車場に車を停めた。
コンパクトなハイブリッドカーは、
エンジン音も静かで、カーステから流れる
ピアノミュージックがさぞかし気持ちが良かったのだろう。
すっかり深い眠りに落ちていた。
先程まで直視出来なかった顔をまぢまぢと眺めて見る。優しく穏やかな顔は相変わらずだけど、少し太ったかな?
なんとなく顔の血色も良くない。
なんだか黒い?日焼けじゃなくて何か身体のどこかが病んでそうなそんな黒さ。
どうせスーパーの惣菜弁当ばかり食べているんだろうな。相変わらず自己管理できてないのだろうな……。
あれ?目の下……こんな
本当にもう……。
この人は一人で暮らして大丈夫なのだろうか?
そう思うとなんだか可哀想になってきて、
助手席側に擦り寄って彼の手を握ってみる。
温かいなー。
彼の手はいつも温かい。
だから夏場は暑すぎて、悪戯っぽく笑いながら、その汗ばんだ手を繋ぐのを拒んだりした。時々それで拗ねたりしてね。
けれども冬場は重宝するのだ。
手も心も温まるから。
その温もりが私をさみしい気持ちにさせる。
周り少し見ながら、
誰もいない事を確認して抱きついた。
心臓の鼓動が聞こえた。
「どうした?」
「ごめん。起こしてしまった。」
慌てて離れようとする私を、腕で抱いて静止する。
「大丈夫。ごめん寝てしまって。それでどうした?悲しそうな顔して?」
「さみしい。」
思わず本音がポロリ……。
そういうと彼の腕が私を優しく抱きしめた。
そして二人でしばらく静寂をすごした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます