第24話 自己憐憫と私の知らない世界 ○

「おつかれさまでしたー!」


「はい。お疲れ様です。」


17時30分になるとチャイムが鳴り響いた。

そのチャイムが鳴ると同時に、事務所ではたらくほとんどの人たちがソワソワとし始めて、各々が腰を上げて動きだす。

『定時』というやつだ。

私は今までいわゆる現場人間としてしか働いた事がないので、定時で帰るという経験がなかった。いつだって交代勤務で休みだってバラバラだった。だからこの定時で帰るという感じがとても新鮮に思えた。


宮本から与えられた課題もある程度こなせたし、見聞きした情報はメモノートに細かく記入した。


なので帰ってもいい状況ではあるが、

帰っていいやら悪いやら……。

聞きたくても肝心な宮本がどこかへ行ってしまって帰ってこない……。

とよっぽど困った顔をしていたのだろうか、斜向かいにすわる私より10歳くらい年下の(だと思う)女性が声をかけてきた。


「すごいきれい!!」


「え?」


「すごくきれいにノートにまとめてますね。めっちゃ読みやすそう!」


キレイとかいうから…何が?と思っていたら、

なんだ……メモ帳のことか(笑)


「ありがとうございます。えーと吉川よしかわさん?でよかったですか?」


「あーよく間違えられるんだけど、吉川きちかわなんです。ていうか今日初めて総務に入ってそこまでまとめられるのってすごい!尊敬しちゃいます!!」


「そんな事ないですよ。『キチカワ』て読むんだ珍しいですね」


私は名前覚えるの苦手だ。だからこんなふうに出会って少々変わった苗字の方が忘れないかもしれない。

綺麗にナチュラルブラウンに染まった長い髪の毛。重力にとことん逆らうまつ毛、凛とした眉、色が白くて化粧映えする顔立ち、作業着なのにかわいらしくみえる。人当たりも良く、男性社員からもウケが良さそう。

何となく吉川を見ていると自分は歳をとった中年女で髪も癖っ毛に弄ばれて、ハッキリした顔立ちの彼女とはまるで違うなー……

なんてちょっと嫉妬にも似たにメランコリックな気持ちに苛まれた。

まぁもちろん彼女は何も悪くないのだが…。



「吉川さんはこの会社は長いのですか?」


「うん。高卒から働いてるから……、

あっ!!

危ない危ない歳バレるところだった!

とにかく長いですよ。」


「そうなんだ。またわからない事教えてくださいね。」



歳下でも先輩。敬語を使うべきだと思って話していたが、あまりにもタメ口だと少し違和感を感じる。でも悪い人ではなさそうだ。

あんなに綺麗で可愛らしかったらもっと自信がもてるだろうか?

彼女と違って自己憐憫じこれんびんな私。本当は知っている。

不安や不満は考えれば考えるほど積もるばかり。生き方やり方に自信をもって生きるほどわたしは強くないのだ。


「宮本さん待ちですか?」


「はい。」


「そっかー。また今度ご飯でも行きましょう!まぁその前に歓迎会やると思うけどね。

じゃー先に帰りますねー。おつかれさまー!」


「はい。おつかれさまでした!」


あんな風に生きられたら、もっと見えてくる世界もちがうだろうか?

彼女は高卒、私は四大卒、学歴が全てじゃないとわかってはいるけど……。


「おつかれさま。ごめなさいもっと早く戻るつもりだったんですけど。ちょっと工場長との話しが長くなっちゃって……。」


ほどなくして宮本が戻ってきた。


「ん?どうしました?浮かない顔して?」


「え?いや何でもないです。」


「ならいですけど…何度もいいますけど、

わからない事や不安な事があったら必ず相談してくださいね。不安は早めに解決しないと心がつぶれちゃいますよ。」


そう言って微笑んだ。

またもや心を見透かされた気分だった。

この人には敵わないな…。

でも弱いと思われたくないからやっぱり気丈にふるまう私。


「……ありがとうございます。また何かあったら相談しますね。」


それから今日やり終えた事を宮本に伝えて、明日やる事の指示を受けた。


私の知らない世界……。

何となく今まで避けてきた私とは違う人たちの境遇を受け入れる事は、

少し不安でどこか新鮮でそして刺激的だ。

男たちが働く職場……

パソコンと向き合う仕事……

定時刻のある会社……

自信に溢れる生活……。



何年生きていても新しい世界を受け入れる事はとても勇気のいる事だ。

でもその私の知らない場所に少しずつ足を踏み入れてみようと思った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る