第5話 言う必要がない事と嘘 ●

結局のところ別居に至った理由はいわゆる温度差というやつだ。

その頃妻は長男の教育について深く悩んでいた。彼女にしてみたら自分が抱えているものを共有したかったのだろう。


けれども僕は「大丈夫何とかなるって!」と

心配症の彼女が、深刻になりすぎないように明るく振る舞った。

けれどそれがいけなかった。

彼女にしてみれば、


《私がこんなに悩んでいるのに、なんてノーテンキでお気楽なの人なのだ。》


と思ったに違いない。

まぁそれは当然推測でしかないのだが……。


かくして僕は自由な身となったわけだが、

給料は一度妻に渡して最低限必要な分をもらうシステムだ。とはいえ自分に与えられた生活費が最低限なうえに、風呂なし、テレビなし、という生活に耐えきれず、

ダブルワーク、いやむしろトリプルワークを始めた。

朝は当時勤めていた派遣先工場に行き、

そこの仕事が少ない時は、別の短期の工場でバイトをして、夜は週に何度か賄いつきの焼き鳥屋さんでアルバイトをして足りない分を補った。

けれども余分に稼いだお金も酒に消えた。

なんせ楽しみなど何もなかったのだ。

一人で安ーい体に悪い焼酎を呑んで、

寝るだけ。

 時々焼き鳥屋の店長と社員さんとその時一緒にアルバイトをしていた、少し歳上の女性と店を閉店後の片付けが終わったあとに、

何でも無い会話をする事が唯一の楽しみだった。


しかしそんな時も長くは続かない。


半年程した頃、

もうそろそろ帰ってきたらどうか?

という電話がきた。


やはり子供を父なしの子にするのは抵抗があったので素直に応じた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


図書館から帰ると布団に横になっていた妻が起き上がってきた。


「起きてきて大丈夫……?」



「まぁね。」



「前から読みたかった漫画が借りられたわ。

面白いから読み終わったら読んでみて。

あと東野圭吾のこの本、前から読みたかったんだ。」

 


「そうね。」



「少し寝られた?」



「ごめんね……。せっかくの休みなのにご飯作らせて。」



「いいよ。図書館行かせてもらったし。

ゆっくりしておいて。」



「よかったら先にお風呂入ってきたら。

さっき沸かしておいたし。私は最後に入るから。」


「そう?じゃあお米研いだら、お風呂先に入ってくるね。それからご飯つくるねー。」



「うん。」



なにやら低姿勢の妻に少し安堵する。

少し寝られたのかもしれない。

妻が不機嫌なのはおそらく眠りが浅いからだ。睡眠不足というのは精神を不安定にさせると何かの本で読んだ覚えがある。



嘘をつく事は良くない事だ。

それは誰でも知っている事だ。

けれど言わない方が良い事ってあると思う。

例えば顔に傷がある人にその傷目立つね。

という必要はない。

太っている人に君はとても太っているね。

という必要はない。

デートの最中に、ここは前の彼女と行った事があってあの時は楽しかった。

という必要はない。

余命の短い人に、人生太く短くですよ!

という必要はない。


本当の事かもしれない。

でも言わなくてもいい事かもしれない。

いう必要がない事を言わないのは、

「嘘」と呼ぶのであろうか……。



本当は図書館に行く前に焼き鳥屋さんでバイトをしていた時の少し歳上のパートさんと会っていた。

別に不倫とかそんなんではない。

僕が働いている食品工場の別の部署で偶然パートを始めたのだが、少し気まずい辞め方をしたので、制服を会社に返してほしいと頼まれただけだ。



ただそんな誤解を招く様な事をわざわざ言わない方がいいだろう。

事実だけを並べたら、

病気の妻を放って、

子供を義理の母に面倒みさせて、

自分は女に会いに行ってるわけだから。



風呂から上がると妻がテーブルに伏せっていた。もう日がほとんど沈みかけて、キッチンテーブルに伏せる彼女を照らすのはカーテンの間から入る落ちかけた夕日の光だけ……。


「離婚しよう……」


伏せったまま悲しいのに強い意志のある口調で彼女がそう言った。




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