【短編】ようやく君に好きだと言える

スタジオ.T

烏川花実(うかわはなみ)


 神さまというのは、ひどく残酷だと私は思う。


 どうしてこんな時に。今じゃなくても良いのに。


 よりによって最低最悪なタイミングで、最低最悪なことが起こるように、神さまが意地悪をしているんだと、時折思うことがある。


 例えば、それはテストの日に鳴らなかった目覚まし時計。

 例えば、それは大事な待ち合わせの日に切れてしまうスマホのバッテリー。

 例えば、それはお気に入りの服を着てきた時に降り出すにわか雨。


 ……例えば、それは私の好きな人が交差点を渡ろうとしてきた時に、右折してきた白い軽ワゴン車。


 病室で眠る香住かすみくんの顔は、素敵な夢でも見ているみたいに、穏やかな顔をしていた。時折ピチョンと水滴を垂らす点滴くらい、彼はゆっくりと深い呼吸をしていた。


 もう一ヶ月も目を覚ましていない。

 軽ワゴン車と衝突した香住くんは、自転車から投げ出されて、コンクリートの地面に頭をぶつけてしまった。目立った傷はなかったけれど、脳へのダメージは深刻で、それ以来彼はずっと目を閉じている。


烏川うかわ。俺はお前のことが好きだ」


 付き合ってほしいと、彼に告白されたのはちょうどその事故が起こる前のこと。不器用な彼らしくて、校舎裏に呼び出されて、面と向かって告白をされた。


『私も好きだったの! 一年の頃から、ずっと!』


 そんなふうに返事をすれば、きっと私と香住くんは、一緒に帰っていただろう。香住くんは優しいから、たぶん自転車から降りて、歩く私にペースを合わせてくれたに違いない。 


 ひょっとしたら、手くらい繋いでいた。なんて、そんな未来もあったかも。


 しかしあろうことか、私は、


「へ、返事は後でも良い?」


 先送りにしてしまった。


 恥ずかしかったとか。照れ臭かったとか。急過ぎだよとか。いろいろと理由はあったけれど、全部今となってはどうでも良い。


 あぁ、もう何やっているんだろう。私はこの選択をずっと後悔している。  


「……分かった。返事待ってるから」


 その時の香住くんは、立ち入り禁止の赤いカラーコーンよりも、ずっと真っ赤な顔をしていた。


 彼は一人で帰ってしまった。


 そして、車にはねられた。


 何も知らない私は、その日の夜、ラインを使って、


「今日の返事はオッケーです。よろしくお願いします(スタンプ)」 


 なんてつまらない返事を彼に送った。

 送った時は、恥ずかしさで布団の中でもだえていたけれど、どれだけ待っても返事がなかった。


 既読すらつかなかった。


 あれ?

 もう寝ちゃったのかな。


 ひょっとしたら、変にらしたから、気持ちが変わってしまったとか。あるいは、昼間の香住くんの告白は、全部私の妄想だったとか?


 うわー。

 今日教室で顔合わせたら気まずいなー。

 

 と思いながら、学校に行ったら、クラスがざわついてた。


「香住くん、昨日帰る途中に車にはねられたって」


 え?

 嘘だよね?

 何言っているんだろう? 事故? 怪我? どれくらいひどいの? 


「入院してるんだって。頭打って。目、覚まさないんだって」


 泣いている子もいた。


 ……神さまって(そんなものがいるとしたら)最悪だ。


 私も泣きたかった。

 でも、それよりも後悔の方が大きかった。


 もし、


「……香住くん」


 もし、あのときちゃんと好きだって言えていたら。

 

 事故から一ヶ月が経った頃、私は香住くんのお見舞いに行くことができた。容体が安定したから、ようやく面会が許された。


 正直、怖かった。

 病院のベッドで眠る香住くんを想像するだけで、泣いてしまったこともあった。


 でもそれ以上に、彼に会いたいと言う気持ちが強かった。


 香住くんの親も、彼とそっくりの優しい人で、一人で来た私のことを、温かく迎え入れてくれた。


「昨日はね。少し笑ったのよ」


 香住くんの顔をのぞき込みながら、彼のお母さんは言った。


 昏睡こんすい状態が続いている。

 ひょっとしたら、目を覚ますかもしれないし、このまま目を覚さないかもしれない。


「担当のお医者さんが言っていたんだけれど、声をかけ続けるのが、良いんだって。眠っているように見えても、ちゃんと聞こえているから」


 人の良さそうな笑みで、香住くんのお母さんは言った。

 

「来てくれて、嬉しいわ」


「そんなことないです。私なんて……。すいません。お邪魔しに来てしまって」  


「良いのよ。こんなに可愛い子がお見舞いに来てくれるなんて、この子も幸せだわ」


 何か温かい飲み物を買ってくるわね、と言ってお母さんは病室から出て行った。


 私は香住くんと二人きりになった。


 窓際にある小さな丸いすに腰掛ける。

 香住くんは、入院してしまってからずいぶんとやせてしまっていた。少しだけ日焼けした腕が、シーツの上にポツンと伸びている。 


「香住くん、久しぶり」


 目は閉じていても、声は聞こえている。

 何を話そうかと考える。天気が良いねとか、最近の学校はねとか。何か話そうとしたが、香住くんと共有できる話なんて、ほとんどなかった。


 私が持っている彼との思い出は、ほとんど一方的なものだ。


「ね、覚えてる?」


 一年の時の文化祭のことだ。

 衣装係だった私が、大失敗をした時の話。主役のために作っていた衣装のサイズを、私は間違えてしまった。


 しかも、それが分かったのが本番前日のこと。自分のうっかりさに腹が立った。


 他の友達は手伝うよ、と言ってくれたけれど、自分のミスで迷惑をかけるわけにいかない。


 誰もいない教室で、夕方になるまでずっとっていた。早くしないと、間に合わない。


 カタカタと動くミシンは、誰もいない教室に響いていた。


 カタカタカタカタカタカタ。

 ジッと聞いていると、無性にさみしくなる音。


 でも私のせいで文化祭を台無しにするわけにはいかない。必死に作業をしていると、外はすっかり暗くなろうとしていた。


 あぁ、もう、間に合わないかも。

 最悪だ。

 

「大丈夫か」


 視線を上げると、香住くんだった。

 大道具係だった彼は、顔に青とか赤のペンキが付いていた。私の顔と手元をジッと見ながら、彼は言った。


「終わってないんだろ。手伝うよ」


「あ、良いの良いの。ミスっちゃってさ。これくらい自分でやらないと。もうすぐ終わるから」


「別に一人で背負うことないだろ」


 作りかけの衣装の半分を取って、香住くんは言った。


「烏川が、一生懸命頑張っていたのは知っているから」


 そう言った香住くんはてきぱきと作業をしていた。

 ありがとうと私が言うと、彼は何も言わずにうなずいた。


 香住くんのおかげで、衣装は無事に完成した。

 きっとあのままやっていたら、完成しても中途半端な出来だったかもしれない。綺麗にできたのは、全部、彼のおかげだ。


 その時からだった。

 香住くんから目が離せなくなってしまったのは。


「私ね」


 こんな気持ちになったのは初めてだった。

 これが恋なのかもしれないと、初めて思った。

 

 でも臆病な私は、遠くからずっと見ているだけで。香住くんが好きだって言う子は、私の他にもいるのも知っていた。


 だから、逆に告白された時、飛び上がるほど嬉しかった。


「……私、香住くんのこと、ずっと好きだったんだよ」


 寝ている彼に向かって、告白する。

 今なら、いくらだって言えるのに。どうしてあの時、言えなかったんだろう。


 後悔しても遅かった。


 あーあ。

 最低最悪なのは、間違いなく私だ。


 思わず彼の手を握る。

 すがるように、強く握る。

 涙がボロボロと落ちていく。みっともない。でも止めることもできない。

 

 ずっとうつむいていた。手を握っていた。その時ふと、彼の手がトクンと震えた気がした。


「あ……れ?」


 動いた?


 慌てて握り返す。そうすると、指の先っぽの方が、ピクピクと動いているのが分かった。


「動いてる……」


 気のせいじゃない。


「香住くん?」


 呼びかけると、 二、三度、彼のまぶたが震えた。


「聞こえてるの?」

 

 呼びかけに応えるように、手の力が強くなる。


 それから重い鉄のシャッターみたいに、ゆっくりと彼の瞳が開いていく。


「う……」


 カラカラに乾いた声が、聞こえた。


 彼が私の方を見る。

 信じられないというふうに、彼の目が揺れるのが分かった。


「うかわ?」


 動いた。


 起きた。


 目を覚ました。


 夢じゃない。彼の手が、かすかに握り返してくるのが分かるから。


「か、香住くん? 分かる?」


「……ここは……」


「びょ、病院。香住くん、事故で」


 車にはねられたことを思い出したのか、ゆっくりと彼はうなずいた。


「お、お母さん呼んでくるから……!」


 私が立ち上がろうとすると、私を握る香住くんの手に、ギュッと力が入るのが分かった。


 何か言いたそうに彼はこっちを見ていた。  


「どうして」


 烏川がいるの、と彼は私に声をかけた。


 ジッとこっちを見る目は、私の言葉を待っているような感じだった。


「あ、あの」


 彼の目を見て、私は震える唇を開いた。


「あのね……!」


 涙と共に言葉があふれてくる。


 恥ずかしくて、情けない。


 でも、私はようやく、君に好きだと言える。


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