食の流動

伊達サクット

食の流動

 ここは海に面したモグモグ王国城下町の港。

 はるか海の向こうから、貨物船がやってくるのが見える。

 湿った風の潮の匂いが鼻を突く。海鳥の鳴き声は甲高い。

 真っ白なシャツを着た、日焼けした屈強な海の男達の中に混じって、魔法料理研究家エディアと師匠ゼダが埠頭に立ち、船の様子を見守っていた。


「待ちかねた種が来るぞ」

 ゼダが禿げ上がった頭を汗で湿らせて、感嘆の声を上げる。

「ええ」

 エディアが頷いた。

ついに彼らが待ち望んでいた『ミックスシード』が届くのである。

 彼らは、料理という文化を極めて重要な位置づけとしているこのモグモグ王国において、魔法を駆使して未知の料理を開拓することを使命とした魔術師『魔法料理研究家』であった。

 エディアの師匠ゼダはその生涯をジュースの開発に捧げた男だった。

 肥沃な大地と温暖な気候に恵まれたモグモグ王国は、多くの果樹園を有し、さまざまな果物、野菜が栽培されている。

 それらの果物からもたらされる果汁を魔法で融合させ、混ぜ合わせたものがジュースである。

 モグモグ王国で実る果実は独特な風味のものが多い上、手作業で果汁をしぼって混ぜ合わせてもうまく混ざらず、ジュースとしての調和が取れない。

 そこで、ゼダとエディアはさまざまな魔術を施した材料と果汁を混ぜ合わせることによって、栄養価の高い、風味の良いジュースを開発してきたのだった。


 特に完成度の高いジュースは王宮の国王に献上され、王侯貴族達の間でも愛飲された。それによって、ゼダとエディアの所属する魔術師ギルドは褒美を受け取り、彼らの研究費は潤うのだった。

 今回、はるか彼方の異国より取り寄せたミックスシードは、この国では育たない魔法料理の材料である。この種が育つ国では錬金術の媒体として扱われている、非常に高価で希少価値の高い種で、手に入れるために何人もの戦士が命を落とすという話であった。

 ゼダの狙いは、このミックスシードに融合魔法をかけて果汁と混ぜ合わせ、それぞれの果汁の旨味を相殺せぬよう、全ての栄養を濃縮させた最高傑作『究極のジュース』を作ることであった。


 船の荷揚げを確認してひとしきり感動した後、ゼダは一足先に魔術師ギルドの研究室へ戻り、エディアは港の倉庫群に事務所を構える貿易商会に足を運んで納品伝票を受け取った。

「高っ!」

 ミックスシードの値段は一粒十万ギールド。購入した十粒の合計額は実に百万ギールドとなる。

 聞かされてはいたが、これはエディアにとって目が飛び出るような金額であった。

 エディアは思う。

 仮にこれで師匠が求める『究極のジュース』が完成したとして、一杯の値段はいくらになるだろうか? 金の有り余った貴族にとって、食の充実は己の力と社会的地位の証。師匠がジュースの開発に成功した暁にはこぞって買い漁ることだろう。


 ジュースの開発は予想以上に難航した。ミックスシードは極めて清浄で澄んだ川の水でしか育たず、土壌に毎日栄養魔法をかけ、じっくりと新たな果実・種が実るのを待たなければならない。

 早く実験材料に使うミックスシードを収穫しようとして促進魔法などかけようものなら、果実内の栄養バランスが崩れ、変な味の失敗作になってしまうのだ。

じっくりと、自然の流れに任せ、丁寧に育てていくしかない。悪天候の日、暑い日、寒い日などは、特に注意が必要だった。生育環境を一定に保つためにゼダとエディアは毎日必死になって畑の土に対して、魔力の限り栄養魔法を唱え続けた。

 しかし、そんな中、魔法料理の専門知識もないド素人の貴族達は「さっさと『究極のジュース』完成させろコノヤロー! 美味しいジュース飲みたあああいっ!」とゼダやエディアを催促する。素人は黙っていろと言いたいが、さすがに研究に金を出すパトロン達には逆らえない。不満を飲み込んで平身低頭するしかない。これは研究者の性だ。

 しかし、師匠ゼダは臆面もなくパトロン達に「素人は黙っていろ」と言い放ち、エディアの心臓をヒヤヒヤさせた。

 

「この分だと実が熟れるまで五年はかかりそうだな」

 そう言ってゼダがため息を漏らした。

 この日もいつものように二人は城下町のはずれに広がる実験農場からギルドへ戻り、研究室で資料の更新・整理を行っていた。ゼダもエディアも魔法を唱え続けて魔力がゼロに近く、もう疲労困憊である。


「師匠、質問なんですけど」

 エディアが尋ねる。

「何だ?」

「仮にミックスシードを使ってジュースが完成したとして、誰が飲むんですか?」

「まあ、王様、王妃様、王子様、あと貴族だろうな」

 ゼダは当然と言った様子で、手に取ったデータ群から視線も離さずに答えた。

「一杯いくらになるか分かりませんが、やっぱり偉い人達のためのジュースになるんですね」

「不満か? その偉い方々を喜ばせないと、我々魔法料理研究家に金が出んのだぞ」

 ゼダが資料を机に置いて、目の周りにしわを寄せてエディアを見る。

「街の人達にも、ジュースの材料となる果物を作っている村のみんなにも、味わってほしいんです。俺達が人生の時間の大部分を割いて研究しているジュースじゃないですか。もっと多くの人達に飲んでほしいんです」

 エディアが熱を帯びて語った。ゼダの下で研究を続けて、ずっと内心で思っていたことであった。

「エディア、この国はうまいもんは全て上流階級に流れていく。下々の者はそれなりだ。いちいち気にしていたら料理の研究などできんぞ」

「俺達は料理人じゃない。魔法料理研究家ですよ。料理を芸術作品として捉えるのなんて貴族お抱えの一流シェフの仕事です。料理は生活です。土地に根差した文化です。俺達研究者は、魔法の力を使ってみんなの生活を良くしていくことに貢献すべきだと思います」

 エディアの主張を聞き、ゼダは怒るでもなく、豪快に声を上げて笑いだした。嬉しそうに。

「今作っているジュースも、この生産性であれば、そりゃあ金持ちしか飲めんだろう。しかし、改良を重ねればきっと質を落とさずに多く作れる時代が来る。もしかして、お前がそれを実現するかもしれんぞ?」

「……師匠は、もっとミックスシードの成長を魔法で促進させろって言いに来た役人を追い払ったんですって?」

「当たり前だ。素材が自力で育つまでゆっくりと待つ。魔法をかけるのは土壌だけだ」

「何とか五年経って種を収穫できたとして、ジュースの完成にはどのくらいかかるんですか?」

「知らん」

 そっけなく答える師匠を見て、エディアはこんなことだったら料理魔法や栽培魔法なんて覚えずに、戦闘で使える魔法を取得し、軍に入隊でもした方が良かったと思った。


 ゼダが目指す『究極のジュース』の研究の志半ばにして、エディアはゼダの下を離れた。理由は『どんな身分の人でも等しく享受できるような料理の研究をしたい』というものだった。

 三年の歳月が流れ、エディアは異なる研究室で助手を続け、ある程度の事績を認められた後、自分の研究室を持つまでに至った。

 そこでエディアが行った研究とは、砂糖に様々な魔法や、砕いた魔導晶石を混ぜ合わせ、果汁に近い風味を出してジュースを作るというものだった。彼はその砂糖を『魔法糖』と名付けた。

 最初は果物の果汁を入れて、ある程度補助的に魔法糖を使用していたが、それでも貧しい者にはかなり値が張るものだということが分かった。もっと安価に大量に生産でき、農村の貧しい人達でも味を楽しめるようなジュースが必要だ。

 そこでエディアは、ある根本的かつ重大な事実に思い至った。


 果汁なんて必要ない。


 魔法糖の配分だけでジュースは作れる。


 エディアは更に魔法糖の研究に傾倒した。それに伴い、自分にあてがわれた実験農場には足を運ばなくなった。


 ある日、研究室にゼダがやってきた。土をいじってきたのか白衣は泥だらけで、昔、港で見たように、禿げ頭に汗を光らせていた。

「お前は何を作っている?」

 ゼダが目を細め、部屋を見渡す。

「ご覧の通り、ジュースですよ」

 エディアは笑顔で答える。

 しばらくの沈黙の後、エディアが魔法糖の利点についてゼダに述べようと口を開きかけたら、向こうから先に話し始めた。

「これはジュースではない、薬だ」

 そう言ってゼダは机に置かれた、包み紙に盛られた食用晶石の粉末を指でつまみ、さらさらと振りまいた。

「しかし、味は師匠の作っているジュースと全然変わりません。おまけにこれなんてコップ一杯二十ギールドで飲めるんですよ?」

 エディアは脇に置かれている三脚に設置されたフラスコを手に取り、満たされたオレンジ色の液体を一口飲んだ。

「これは素材を使わずに、砂糖に水を入れただけの、魔法漬けの偽物だ」

「偽物ではありません。方向性の違いでしょう?」

 エディアは眉間にしわを寄せた。ゼダはどうして自分の方針に頑なに固執するのだろうか。魔法糖だって、魔法料理の一つの答えではないか。

「これを幼い頃から飲ませたら、その子供はそれをジュースだと思って大人になる。これは国民を、食の王国モグモグの民を欺く行為だ」

「それは酷い言いようじゃないですか師匠。確かに果汁を使っていませんが、これによって貴族も、農民も、全ての身分の人達が等しく手軽に同じ味を楽しむことができるんです。俺は果汁ではなく、食の文化の混ざり合いを目指してるんです。これをジュースと言わずに何をジュースと言いましょうか?」

 エディアは得意げに語った。エディアの心中には既に自分の研究室を持った一人前の魔法料理研究家だという自負があった。

「なぜ、こんな安易な方法に走る。素材を使った、正しい味を量産する方法を考えるべきだ。お前は諦めたのかもしれんが、それは絶対に可能なことなんだ。こんな利に走った研究方法を教えた覚えはない」

「師匠、もうあの頃とは違うんですよ。師匠のやり方では一部の特権階級の人しか食の発展がもたらされない。私は料理人ではなく魔法料理研究家として、もっとジュースの良さをみんなに広めたいだけです」

 すると、師匠は諦めたような、それでいてエディアを悲しむような眼差しで見つめた後、「そこまで考えがあるのなら、もう何も言わん」と静かに言い、部屋を後にした。


 その数ヶ月後、ゼダは静かにこの世を去った。

 天寿を全うした大往生だったとのことで、安らかな死に顔だったらしい。しかし、彼の研究は完遂を見ないままだった。

 葬式で、エディアは心の中で毒づいた。

ほれみろ。そんな時間をかけて何を成し得たというのか。結局自分の方が正しかったではないか。

 袂を分かったとはいえ、師匠を失った悲しみに満たされた毒づきであった。


 かくして、エディアの魔法糖ジュースは一定の完成形を見た。

 ジュースを献上するのは国王ではない。砂糖工場を経営している農村の領主に研究資料を持ち込んで、実際に魔法糖だけで作ったジュースを飲んでもらった。領主からは色よい反応をもらえた。

 エディアと領主は綿密に話し合い、製造工程、投資額、見込める利益になどついて予測・計画を立て、いよいよ製品化にこぎつけた。

魔法糖のジュースは国土中で飛ぶように売れた。人々は手軽で身近な嗜好品として、ジュースは全ての人達に瞬く間に定着した。


 エディアの研究目的は達成されたに見えたが、彼の研究は思わぬ方向へと流れていった。そもそも、エディアはジュースを作るのが目的で、あくまでもその手段として魔法糖を発明したのだが、農村の領主は魔法糖そのものの価値に目を付けた。

 領主は魔術師ギルドに依頼して、菓子や酒、戦争に持っていく兵糧など、もっと他の食べ物に魔法糖を応用できないかと提案したのだ。

 そして、エディアの研究ノウハウは他の魔法料理研究家にも反映され、魔法塩、魔法ソースなど、様々な調味料が開発された。

 そして、終いには、一かけらの肉を培養液に満たしたビーカーに入れると、どんどん肉が膨張し、さも量が増えているかのように見せかけるなどという、経営的・経済的観念に基づいた技術も生まれた。おまけにこの肉は一ヶ月近く常温で置いていても腐らない。


 エディアは王国内でもトップクラスの研究家として富と名声を得た。

 しかし、界隈ではエディアの意図と正反対の現象が巻き起こったのだ。

 これらの魔法調味料で作られた料理の数々は安物の紛い物だと貴族達が言い始め、こんなものを食べたらモグモグ王国貴族の食のプライドが損なわれるという風潮が生まれたのである。そして、魔法調味料は下層階級御用達、貧乏グルメの代名詞とされ、食べ物の住み分けがより顕著になってしまったのである。

 食の王国モグモグでは食の上下が文化レベルの上下となる。食文化のミックスを目指したエディアは、身分間での食文化の隔たりという結果を招いてしまったのだ。


 海に面したモグモグ王国城下町の港。

 はるか海の向こうから、貨物船がやってくるのが見える。

 真っ白なシャツを着た、日焼けした屈強な海の男達の中に混じって、エディアは一人埠頭に立ち、船の様子を見守っていた。

 こうやって船を一人で待つのは何回目になるだろうか。

 船には大量の魔法糖が積まれている。

 モグモグ王国が他国へ侵略して手に入れた植民地で作らせた魔法糖。保存が利き、栄養価が高い魔法兵糧があれば海を越えた大陸の国を攻めるのも容易いものだ。

 離れた遠征地でも兵の士気を損なわない、大量生産できる栄養価の高い魔法兵糧の発明が、国王や大臣達に侵略戦争を決断させたのである。

「師匠、俺は間違っていたのでしょうか」

 エディアは一人でつぶやくが、答える者はいない。

 彼の研究成果は、もはや彼の手を離れ、完全にコントロールを失い独り歩きしていた。


 失意の内に研究室へ戻ると、同僚研究員Aが血相を変えてドアを開け、足早に駆け込んできた。

「おお、エディア、どこ行ってたんだよ! 大変なことになっているぞ!」

「どうした?」

「ゼダさんの実験農場から、凄い種類の木が生えてるんだ! ポポカとかマンボとかありえない果実が実ってる!」

「何だって?」

 エディアが驚愕した。

 ゼダの実験農場は彼の死後ミックスシードの栽培が頓挫して、ずっとそのまま放置されていたが、まさかそんなことになっているとは。

 自分の目で確かめるべく、すぐに丘の上の農場に向かった。

 実験農場は、魔術師ギルドの魔術師や魔法料理研究家がニュースを聞きつけ、大勢で賑わっていた。


 雲一つない青い空の下、太陽の光を受け、青々としなる葉を携えた木が立ち並び、まるで虹でも見ているかのように、様々な種類の果実が実っている。

「どうしてこんなことが」

 エディアには理解できなかった。どれもここの風土では育たないような果実ばかりなのだ。

「土じゃないのか? たしかゼダさん毎日土に栄養魔法かけてたって」

 やじ馬に来ていた同僚研究員Bがぽつりと言った。

「なるほど、そうかもしれん。おい、土を持って帰って調べよう」

 同僚研究員Cが農場に入って土を拾い始める。

 別の場所では同僚研究員Dが「うまい! こんな甘味があるポポカがあるのか」と、真っ赤なポポカにかぶりつきながら感嘆の声を上げた。

「何でこんなことになるまで誰も気づかなかったんだよ。いや、ほったらかしにしてたのが却って功を奏したか?」

 同僚研究員Eは腕を組んで、しかめっ面でぶつぶつ独り言を言っている。


 エディアもふらふらと農場に入り、側にあるマンボをもいで、一口食べてみた。

 果肉が舌で溶けるような水々しい触感に、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。

 こんなものは食べたことがない。自分が研究してきた魔法糖ではこんな味は決して再現できなかった。なぜなら味わったことがないからだ。味わったことのない味を再現することはできない。

 ゼダはミックスシードを媒体とした素材の融合を目指していたが、その副産物としてこの肥沃な土が生まれたに違いない。だからこれほど自然の恵みが詰まった果実が生まれ、この国では育たないとされていたポポカやマンボの木が生えてきたのだ。


 ゼダはこの結果を意図していたのだろうか、していなかったのだろうか。それはエディアには分からない。確認する術もない。

 しかし、ゆっくりと、木を育む土に栄養魔法をかけて、もっと大地は豊かになり、果実は自分達の力でその数を増やしていく。

 もしそれが叶ったら、今度こそ本当のジュースをモグモグ王国に広めることができるかもしれない。

 そんなことを考えていると、土が入ったビーカーを持った同僚研究員Fに肩を叩かれた。

「よー、エディア。ゼダさんに感謝しなきゃいけないぜ。お前の夢の叶え方をこうやって示してくれんだからな。あーん?」

 エディアは胸中より溢れ出る膨大な感情が喉に詰まり、言葉が出なかった。


<終>

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