第16話

 しばらくは彼女の家に行ってお線香をあげる気力がなく、僕は自分の精神が落ち着くのを待った。いち早く彼女の家に行きたい気持ちはあったけれど、今の僕の状態で彼女と顔を合わすわけにはいかない。そう思った僕は、彼女の家に行く決心がつくまでの間、自分が今まで彼女に捧げてきた物語が記されてあるノートを手に取り、振り返った。そうして彼女との思い出に浸りながら意志を固めた僕は、彼女の家に行くことを選んだ。

彼女の家である花屋を訪れた僕を、彼女の母親は快く招き入れてくれた。彼女の母親は以前よりも痩せているように見えた。実の娘を失って家族が自分一人になったのだから無理もないだろう。僕は無責任な言葉を掛けるべきではないと判断して、余計な慰めを押し付けることはしなかった。

 彼女の家に上がるのが二度目の僕は、畳が敷かれた居間に通されてすぐにお線香の匂いが漂っているのに気づいた。そして、そこには笑顔の彼女の遺影が飾られた仏壇があり、僕はお線香をあげた。笑顔の彼女の前にある座布団に正座し、両手を合わせた。

 一連の儀式を終えた僕は、それから気がついた。仏壇に、小さな植木鉢から覗く白い花が咲いていることに。そして、僕は合点がいった。これは、僕がいつか彼女に選んだ種が花の姿になったものだと。

 急いで僕は彼女の母親の方を振り返り、この花が何であるのかを訊こうとした。そしてそれから、この花の花言葉も訊こうと、口を開こうとした。すると、彼女の母親は僕がそうするのを予期したように、僕の目の前に一冊のノートを差し出してきた。そして、僕はそれが何であるのかを、瞬時に察した。そして、その答えは、彼女の母親の口から出てきた。

「あの子が、あなたに遺したもの。あの子も、紡くんに倣ってお話を書いていたそうよ」

「…………はい、存じています。生前、咲から聞かされていました」

 僕はそう答えながら、彼女の母親の言葉に少しだけ引っかかっていた。彼女が物語を書いていることを知っているのは納得できるけど、どうして僕が物語を書いていることも知っているのだろうか、と。もしかすると、彼女が母親に僕が作品をいくつか手掛けていることを伝えていたのかもしれない。

 そう思って彼女の母親からノートを拝読する許可を得て開いてから、その答えはすぐに分かった。彼女は、このノートに、今まで僕が書いた物語に対する感想を残していたのだ。

もう二度と新たなものは見ることのできない彼女の筆跡を懐かしく思いながら、僕は一つ一つに目を通した。僕が彼女に書いた作品の数は三十を超えており、彼女はそのほとんどに感想を付けているようだった。ほとんど、というのは、彼女は途中から衰弱したことでペンを握る力を失い、おそらくそれが僕の物語に対する書評が途切れた原因となったのだろう。

それを考えてもかなりの数の感想があり、僕は内心びくびくしながら彼女のノートに目を走らせた。その中でも、生前、彼女が気に入ったと口にしていた三つの物語の感想を取り上げようと思う。

 彼女に向けた記念すべき第一作目の話である「星に少女を想う死神」という物語。彼女がいたく気に入った作品だった。

この物語のあらすじは、人の命を喰らう死神が、余命僅かな少女と命をいただく契約を交わしてしばらくともに過ごすのだけど、二人の絆が深まってしまうというものだ。

これに対する彼女の感想は、こうだった。


「星の少女を想う死神」

余命僅かな主人公の菜穂ちゃん。でも、死神さんの視点で進んでいるから、主人公は死神さんかな?

タイトルからどういう話なんだろう、死神が出てくるから怖い話なのかな? って思ったら、全然違ったからびっくりした。むしろ感動して、泣いちゃった

死神さんは菜穂ちゃんの命をもらうことになるけど、菜穂ちゃんから色々な感情を学ぶうちに仲良くなっちゃって、最後は二人とも消えちゃう。死神さんは菜穂ちゃんのことを大切に想っていたから、菜穂ちゃんの命を取らずに、自分も消えることを選んだ

とっても悲しいお話だけれど、死神さんが菜穂ちゃんに願うことと、菜穂ちゃんが死神さんに願うことが純粋で優しくて、すごく心地良かった

こんな素敵な作品を書いてくれて、ありがとう

またあなたのお話を読ませてください

                                       風野咲


まるで読書感想文みたいな体裁を貫いている。この感想を読んだとき、僕は思わず笑ってしまった。微笑みながら、僕は続けて彼女の他の物語に対する感想を読んでいった。そして、そのうちに彼女が気に入っている物語のうちの一つである、「歯形のついた焼き芋」の感想を見つけた。

 この物語のあらすじは、上司に歯向かって退職したOLの女性が、体調不良の父親に代わって次の職を見つけるまでの間、焼き芋屋さんを引き継ぐというものだ。

 彼女のこの物語に対しての感想は、次のようなものだ。


「歯形のついた焼き芋」

焼き芋っていう言葉を久しぶりに見て、とても懐かしくなったのが私の第一印象でした

あと、すごく焼き芋が食べたくなった(笑)

主人公の綾乃さんが、失声症の男の子が妹のために焼き芋を全部食べさせてあげて死んじゃったのを知ったとき、綾乃さんがそうしたように、私も大泣きした。大げさだって言いながら紡くんはそんな私を笑っていたけど、私はこんなお話が書ける紡くんを本当にすごいと思った

あと、私は紡くんの書く文章の一つ一つにはっとさせられることが多かった。入院生活でいつも不安だけど、自分の心にどう向き合えばいいのか、紡くんの言葉から学ぶことが多かった

紡くんは私をよくすごいって褒めてくれるけど、私からすれば紡くんの方がもっとすごいと思っているんだよ

あれ、なんだか趣旨がぶれちゃったかな?(笑)

今日も、私にお話しを読ませてくれてありがとう

これからも、紡くんがお話を書き続けてくれますように

                                       風野咲


 僕は彼女の書いてくれた感想を読んで、目頭が熱くなった。泣きそうになりながら、僕はこれも彼女が好んでくれた物語である「ワールド・ウォーカー」の感想が書かれたページを開いた。確かこの頃にはすでに、彼女の体力が落ちていたので、僕が読み聞かせていた。

この物語は、パラレルワールドにジャンプすることができる主人公が、自分の住む世界では亡くなった彼女がまだ生きている世界に行き、その彼女に恋をしてしまう話だ。

そして、彼女の感想は、このようなものだった。


「ワールド・ウォーカー」

主人公の男の人が、どういう想いで違う世界で生きる彼女と過ごしていたのか。その気持ちを考えると、私はとても切なくなる

最後は自分の周波数と彼女のいる世界の周波数が合わなくなって、元の世界に戻ってしまう

二人とも生きているのに、二つの世界は重なっているのに、本当は目の前にいるはずなのに、二人はもう、二度とお互いに会うことができない

遠く離れた二人が、いつかまた会えることを、私は心から願っています

私は、読み聞かせてくれている君の横顔にキュンとしながら、とてもこのお話が好きになっていました

今日も私にお話を届けてくれて、ありがとう

もうすぐ、私は文字も書けなくなってしまうと思う。とても残念

だけど、これからも、どうか、お話を書いてください

そして、これは私のわがままだけど、もし私が目を覚まさなくなったとしても、生きている限り、隣であなたの話を読み聞かせてほしいな

これからも、私はあなたのお話を待っています

                                      風野咲


 彼女の字は、震えた手で書かれたことが分かるような、乱れた形をしていた。きっと、もうペンを持つことも難しかったのだろう。

 彼女の感想を読んで、気がついたことがある。彼女はもしかすると、自分にとって身近な死を取り扱った作品や、別れを取り扱った作品に共感を覚えていたのかもしれない。今取り上げた三つの作品は、どれも死や永遠の別れが絡む物語だ。それらのテーマに、死期の近かった彼女は、それらの物語に、自分の境遇を重ねていたのかもしれない。

 彼女の文章を読んで、僕が切なさでいっぱいになってしまったのは、後半に進むにつれて、彼女の字が生力を失い、一字一字が異様に大きく、乱れながら羅列されていることだった。健気に、気力を振り絞って書かれたと思われる彼女の文字に、僕は今にも零れ落ちそうな感情を爆発させてしまいそうになった。けれど、必死で堪えた。

 そして、今度は僕の番だった。今度は僕が、彼女の残した物語を読む番だ。

 彼女のノートは最初のページから始まって、ちょうど半分より少し前くらいで僕の物語に対する感想が終わっていた。そこから数ページ分だけ空白のページが続き、ちょうどノートの半分ほどの部分から、彼女が書いたと思われる物語が始まっていた。

 タイトルは、「私があなたに選んだ花と、あなたが私に選んだ花」だった。

 僕は一つ息を吐き出した。そして、僕はまだ元気だった頃の彼女の文字が連ねられている物語の冒頭から順に、一字一句、噛み締めるように読んでいった。

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