第14話
らしくもない僕は病院に向かったあと、彼女の病室で奇妙な光景を見ることになる。彼女のお見舞いが済んだあと、僕は花言葉から逆引きして花を探すつもりだった。けれど、その必要はなくなってしまうのだった。
「あ、紡くん!」
彼女は僕の顔を見るなり笑顔で手招きをした。彼女は手に木箱を抱えている。
「それは?」
「花の種だよ」
見ると、彼女が抱える木箱の中に無数の種が入っていた。素人目で見ても、そのどれも形が違っているのが分かった。
「あのね、私……」
彼女の意図を把握しかねていると、彼女は衝撃的なことを僕に告白した。
「紡くんの花、やっとみえたの」
「…………なんだって」
彼女の言葉を飲み下すのにいくばくかの間を要した。その言葉をもう一度自分の頭の中で反芻したのち、僕は改めて彼女の顔を見つめた。彼女は、僕に微笑みながら涙を流していた。
「この花以外、ありえない。そう思える花を、見つけたの」
彼女は笑っていたけれど、その目は力強く僕を見据えていた。
「それで、相談なんだけど……」
彼女は僕を窺うようにして上目遣いで見てきた。
「紡くんにも、私の花を選んでほしいの」
彼女の言葉に、僕は力が抜けそうになった。今まで空回りばっかりして必死に彼女の花を見つけようと奔走していたけれど、それがこうやって彼女の言葉で終止符が打たれたのだから。僕はおおよそ、彼女の思惑を把握することができた。
「この木箱には二十種類以上の花の種が入っているの。お母さんからもらったんだ」
「つまり、その中から無作為に一つ選んでほしいってこと?」
「うん。だって紡くん、私のために花を選んでくれようとしてるでしょ?」
僕はこのとき初めて、自分がポーカーに向いていないことを悟った。自分でも分かるくらいに表情が驚きに染まるのを感じたからだ。
なぜ彼女がそのことを知っているのかは、すぐに彼女が教えてくれるだろう。問題なのは、彼女に隠し通そうとしていたことがこうも簡単に漏れてしまった自分の詰めの甘さだ。これで僕のサプライズは失敗に終わってしまった。けれど、情報漏洩してしまった事実は変えられない。大人しくこの事実を受け入れるとしよう。うん、それなりに落ち込んではいるけれど。
僕が落ち込んでいるのを察してか、彼女は申し訳なさそうにしながらどこからその情報を入手したのか、種明かししてくれた。
「この前、紡くんがお見舞いに来てくれたとき、開けっ放しのかばんの中に、花の図鑑があるのが見えたの」
……完全に僕の失態だった。しかも、まだ半分ほどしか確認できておらず、僕を途方に暮れさせている代物だった。まだ夏に咲く種類の花までしか確認できていない。
「それで、ピンときちゃって、お母さんに訊いてみたの。そしたら、紡くんが私のために花を探してくれていることを知って……」
まあ、僕はこんなものだ、と思わず苦笑した。変に構えてしまうと裏目に出てしまう。気取らず見栄を張らずで素直に行動することを心掛けよう。そう教訓を得たと納得していると、彼女は僕をまっすぐに見つめて言った。
「私の花を見つけてくれようとした人は、紡くんが初めてだったから、すごく嬉しかった。本当に、ありがとう」
彼女は涙ぐみながら言った。最近、彼女は涙を流すことが多くなっていた。僕はそれを少し、いや、かなり気にかけていた。彼女は何か、周りには分からないようなことを感じているのではないのだろうかと。死期が迫る人だけが感じ取るような、何かを。
僕の嫌な予感は、続く彼女の言葉で正しかったのだと知った。
「ごめんね、せっかく私のために探してくれていたのに。でも、私、自信がないの」
彼女は今度こそ涙を頬に伝わらせながら僕に言った。
「紡くんが私に花を選んでくれるまで待っていられる自信が、ないの」
「ちょっと待って、それってどういう……」
「寿命が、縮まったの……」
入院してまだ一ヶ月と少しなのに、もう余命宣告の内容が覆されたという事実を、僕は彼女の口から言わせてしまった。本当に、情けない。僕は彼女の変化に気づけなかった。いや、気づかないふりをしていたのだ。見ないふりをして、僕は今までと同じ日常を、彼女と過ごそうとしていたのだ。
僕は自分に辟易しながら、思わず彼女を抱きしめてしまっていた。彼女は木箱を抱えながら固まっている。木箱が僕と彼女を隔てていたので、僕はそれをベッドに置いて、改めて彼女を抱きしめた。彼女は呆気に取られながらも僕の背中に腕を回した。
「ごめん」
「どうして紡くんが謝るの?」
一人で抱え込ませてごめん、そう心の中で呟いた。それを口に出さなかったのは、彼女に後ろめたさを抱かせないためだった。僕が彼女に対して罪悪感を抱いてしまっていることを知らせてしまうと、負担になってしまうかもしれない。それを考慮するならば、僕が彼女に謝った時点で僕の失態だったと言える。彼女は心の機敏を感じ取る能力に長けているため、僕の謝罪から色々と考えてしまうだろう。迂闊だった。
彼女は僕の思考を読み取ったのか、逆に僕を安心させるような手つきで僕の背中を優しく叩いた。彼女にはどこまでも頭が上がらない。
「私ね、死ぬのがもっと怖いものだと思ってた。もちろん怖いよ。でも、後悔を残すような死に方じゃないから、その分怖くない」
彼女はこれでもかというほど落ち着いた声で僕に囁いた。僕は彼女から少し離れて、彼女の目をしっかりと見つめた。僕は彼女の力強いこの目が好きだった。物事をしっかりと客観的に見て、自分の信じるものを映し出す彼女の目を、誰の目よりも美しいと思う。死の間際になっても、彼女の目は強い。しっかりと、「いし」が宿っている。
「君は強いね」
「強くあろうとしているだけだよ。実際、怖いから紡くんに早く花を選んでもらおうとしたわけだし」
僕はここへ来て、これでよかったのかもしれないと思うようになっていた。気負って彼女に花を選ぶよりも、運に任せるとしても自然体で彼女に花を選んであげるほうがしっくりくる。
僕と彼女はひとしきり時間を空けて落ち着いたあと、彼女が考えた花選びを実行することにした。冷静になった彼女は本当にいいのかと僕に確認として訊いてきたけれど、僕が彼女のやり方に納得した旨を伝えると、彼女は安心したように実行を決意した。もしかすると彼女は、誰かに花を選ぶという行為の難しさを知っているからこの方法を提案したのかもしれない。
彼女は木箱を両手で抱えて、がさごそと揺らした。中の種は互いにぶつかりあいながら蠢いている。彼女が木箱の動きを止めると、種はシャッフルされたのかどうかも分からない位置に落ち着いた。花はおろか、種に関してからっきしの門外漢である僕は、どの種がどの花の素なのか判別できない。けれど、彼女にはその判別がつくというものだから驚きだ。
「あ、そうそう。私だけ紡くんが私に秘密にしてたことを知ってるの、フェアじゃないから、私も紡くんに今秘密にしてることを言うね」
彼女の言葉に、僕は身構えた。別にそうするつもりはなかったのだけど、自然と身体が強張った。彼女から発せられる言葉はいつも、僕にとっては刺激が強い。それを経験から学んでいるので、反射的な反応だと言える。
「実は私、小説を書いてます!」
「…………本当に?」
「え、疑ってるの? 本当だよ!」
「……マジか」
まさか彼女が執筆に着手するなんて考えもしなかった。僕の周りには、小説を書いている人が一人もいなかった。だから、自分以外の誰かが筆を執るなんてことを考えたこともなかったのだ。僕の世界はまだまだ小さいようだった。
「実は、紡くんに読んでほしくて書いたの……読んでくれる?」
彼女は上目遣いで僕に訊いてきた。
「ぜひ」
「やったぁ!」
彼女はいつものように大げさに反応した。
「さて、隠してることがなくなってすっきりしたよ」
彼女はそう言ってから、真剣な表情をした。もしかすると、緊張しているのかもしれない。
「じゃあ、お願い」
彼女は祈るような声で僕に言った。彼女がそんな調子なので、緊張がこちらにまで伝播してきて僕も手が少し震えた。
思い切って木箱に手を突っ込んで、僕はいくつもある種の上で手を滑らせた。ざらざらとする感触の中で、なんとなくピンときた位置にある種を取り出した。僕はそれを、彼女が差し出してきた手のひらに乗せた。それを見た彼女は、驚いたように目を見開いてから、すぐに柔らかい笑みを零した。彼女はその種を握りしめて、胸の前に添えた。
「ありがとう、私に花を選んでくれて」
彼女は今までで一番屈託のない笑顔を僕に向けた。
「それは、何の花の種なの?」
「まだ秘密だよー。お母さんに育ててもらうから、花が咲いたら答え合わせしてみて! ヒントは、ちょうどこの時期から植えると咲く花!」
この時期、ということは、秋に咲く花のことか。そういえば図鑑も、まだ夏に咲く花までしか確認していないから、僕がまだ見たことのない花だということになる。そういえば、今日行った花畑は秋に咲く花で彩られていたはずだ。もしかすると僕は、すでにその花と出会っているのかもしれない。いや、彼女はこの時期に種を植えると言った。つまり、まだ花畑にも咲いていなかったのか。
「紡くんの花はさ」
「え?」
「私が書いてる小説に添えてあるから」
「…………」
「だから、小説が完成したら、教えるね」
「……分かった」
彼女は笑顔を浮かべながら、けれど時折見せる真剣な表情で僕にそう言った。
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