(30)降臨

「平等な将棋界は愚民であふれ返る。無秩序に暴走しかねない。管理する者が必要だろう?

 その役目を、余自らが担ってやろうというのだ」


 何か問題あるかと尋ねられれば、大有りですわと間髪入れずに雫さんは返す。


「傲慢の極み。貴方に管理されるなんてまっぴらごめんです! ああ、気持ち悪い!」

「親不孝者め。今まで巫女頭に据えてやっていた恩を忘れたか」

「今日で巫女頭は辞めさせて頂きます! 貴方に勝ち、竜ヶ崎当主の座を頂戴しますわ!」


 双方の口調が、だんだん荒くなって来る。実の親子だからか、遠慮なく言い合っているようだが。そろそろ止めないと、つかみ合いの喧嘩が勃発してしまいそうだ。


「貴様ごときが余に勝つだと? 笑わせてくれる」

「貴方のような存在を何て言うか知ってます? 老害って言うんですよ。将棋界のためを思うなら、さっさと引退なさいまし」

「あの、二人共。少し冷静に──」

「ならばかかって来るが良い。獅子は兎を狩るにも全力を尽くす。泣いても許してやらんぞ」

「それはこちらの台詞ですわ!」


 駄目だ、完全に頭に血が上ってしまっている。制止の声は、二人の耳には届かない。どうすれば止められる? 敵方とはいえ、流血沙汰は御免だぞ?


「……待って下さい」


 その時。冷や水を打つように、静かな声が響いた。

 鈴を転がしたような高音。まだ声変わりをしていない若者の一言が、熱くなっていた竜ヶ崎親子を止めた。

 鬼籠野りん。沈黙を破った彼が、二人の前に進み出る。瞳に決意の炎を宿して。


「貴方は、先生と桂花さんの仇です。先に私と対局して下さい」


 浄禊を指差し、りんは挑戦状を叩き付けた。


「鬼籠野あゆむ。貴様、誰のおかげでここまで棋力を高められたと思っている? 恩を仇で返すのか?」

「もちろん感謝しています。だからこそ、貴方を倒すことで恩返しをしたいのです」


 将棋界では、弟子が師匠を試合で打ち負かすことを『恩返し』と表現する。

 仇討ちと同時に恩をも返すとは。さすがはりんだ。


「ふむ。そう言われてしまっては、むげに断る訳にもいかぬか」


 ふぅ、と浄禊はため息を一つつき。


「三局をちまちま指すのは面倒だ。全員まとめてかかって来い」


 そう告げた、次の瞬間。彼の全身から、棋気が放出された。


「ぐっ……!?」


 爆発のような衝撃。体勢を崩す。想像していた以上の重圧。

 よもや、これ程までとは。実際に指すまでもなく理解する。こいつは、桁違いだ。俺一人では、とても勝負にならなかっただろう。

 だが、全員でかかれば。香織の支援を受け、りんと雫さんと三人がかりで指せば、何とかなる。そう信じるしかない。


 浄禊と俺達の間に、目には見えない将棋盤が展開される。


「指す順番は貴様らが決めろ。余は後手番で構わん。どのみち結果は同じだ。気が済むまで指すが良い」


 三対一でも、彼の口ぶりには余裕を感じる。俺はともかく、二人は有段者なのに。どうしてそこまで自信が持てる?


「私から指しても良いですか?」


 りんの進言に、俺と雫さんはうなずきで答える。まずは、指してみるしかない。


「頼む。奴の手の内を知りたいが、俺じゃ煙(けむ)に巻かれそうだ」

「修司さん。脳内将棋盤は使えますか?」


 雫さんの質問に「何とか」と答える。

 盤駒を使わない対局の場合、対局者は口頭で符号を言い合い、頭の中で駒を動かす。局面を正確にイメージできるかどうかが重要だ。

 何とかなる、と信じたい。


「指すと同時に仕掛けます。父の持つヨガッピを奪うことができれば、私達にも十分勝機はあるでしょう」

「……わかった」


 雫さんの提案を、渋々了承する。

 盤外戦術は好きじゃないが、相手が四十禍津日というチートアイテムを持っているなら話は別だ。


「あんまり手荒なことは駄目だよ?」

「ああ。わかってる」


 香織の言葉にもうなずく。奪うだけだ、怪我をさせるつもりは毛頭無い。

 それではいきます、とりんは大きく息を吸い込み。


「宜しくお願いします──76歩」


 開戦の合図と共に、初手を着手した。雫さんと二人で、浄禊目がけて走り出す。狙うはただ一点、彼が右手に持つ四十禍津日のみ。


「さっさと終わらせよう。34歩」


 身をひるがえしながら、浄禊は宣言する。伸ばした手が空を切り、そこに突撃してきた雫さんの肩に触れた。


「きゃっ」

「失礼! 触るつもりは」

「あら、もっと触っても良いのですよ?」


 あわてて彼女から離れ、浄禊の方へ振り向く。


「雫は貴様の嫁にはやらんぞ?」

「俺は既婚者だ!」

「今です! 26歩!」


 すかさず、今度は雫さんが指した。りんが左辺、雫さんは右辺担当か。なら俺はどう指す? 再突撃しながら、懸命に思考を巡らせる。


「妻の目の前で不貞を働くとは、なかなか見上げた男よの」

「変な所で感心するな!」


 老人と思って侮るなかれ。驚異的な身体能力で、俺と雫さん、それにりんの連撃をかわす浄禊。

 駄目だ、身体を動かしながらじゃ考えがまとまらない。


「中止! 攻撃中止だ!」


 地に足を着けて、じっくり考えろ。俺の号令に、雫さん達も動きを止める。全員が肩で息をしていた。

 対局はただでさえ体力を消耗するのに、無駄に運動してしまった。作戦失敗だ。まずいぞ。こんな状態で、終局までもつかどうか。


「無様だな」


 一方の浄禊は息一つ切らさず、悠然と俺達を見下して来る。こいつ、棋力だけでなくフィジカルも化け物か?


「貴様らの動きは無駄が多く、単調だ。また連携も取れていない。そんな調子では、余から四十禍津日を奪うことなど夢のまた夢。

 忠告してやる。対局に集中した方が身のためだぞ」

「ああ……そうみたいだな」


 悔しいが、認めるしかない。残り全ての体力を、この一局のためにのみ費やす。余計な小細工はもうしない。

 ──そうだ。何を指すかなんて、迷う必要は無かったんだ。

 ぱちん。脳内で駒を打ち付ける。


「矢倉。やはり、園瀬流か。こざかしい真似を」

「正式には継承してないけどな」


 園瀬流矢倉・弐式。荒削りで不完全だが、賭けるしかない。これさえも通用しないのなら、もはや俺に打つ手は無い。


「大丈夫ですよ、修司さん。貴方の矢倉は凄かった。対局した私が言うんだから間違いないです」

「サポートはお任せを。初めての共同作業、必ず成し遂げてみせますわ!」


 俺には、心強い仲間が居る。


「頑張って、しゅーくん!」


 そして、愛する妻が見守ってくれている。

 絶対に負けられない。やってやる。勝つのは俺達だ、浄禊!

 俺の指し手に、りんと雫さんが続く。連携が取れないのは即席チームなのだから当たり前。むしろそれを活かし、変幻自在な攻めへと昇華する。いけ──!


「棋は満ちたり」


 俺達の攻めを真っ向から受け止めながら、浄禊はぽつりと呟いた。

 その言葉の意味はわからない。が、今は攻め続けるしかない。一手でも緩めた瞬間、反撃で全滅しかねない。やれると思い込むんだ。心よ、揺らぐな。俺達は強い、必ず勝てる!


「感謝するぞ。園瀬香織、そして鬼籠野あゆむ。今、根源は降りた」


 ──脳内将棋盤の向こうに、宇宙が視えた。浄禊を中心に、銀河が渦を巻いている。輝く星々の一つ一つが棋士達の人生の縮図、棋譜だというのか。過去から未来に至るまで、膨大な量の情報が一点に集約されていく。渦の中心へと向かって。

 これが、棋の根源? 俺達は、こんなモノを相手にしようとしていたのか?


「何故だ……?」


 根源を降ろすには、生贄が必要だったはずではないのか? どうして、誰の犠牲も出さずに実現できた?


「嬉しい誤算よ。そこに居る二人、園瀬香織と鬼籠野あゆむのおかげだ。四十禍津日の協力を得、極限まで棋力を高めた両名は、ついには根源と接触できた。

 だが。それにもかかわらず、二人共が根源を手放したのだ」


 現世に召喚されたが必要とされず、消滅を待つばかりだった根源。そこに手を差し伸べ、救済したのだと浄禊は語る。四十禍津日の力を借りて。

 なるほど、つまり。この男は、何の努力もしていないのだ。

 本当に凄いのは香織とりんだ。一時的とはいえ、真理に到達するまで棋力を高められただなんて、尊敬に値する。


「盗っ人猛々しい。あんたはそれで勝って嬉しいのか? 借り物の力で」

「勝利こそ我が喜び。手段は問わぬ。貴様らに教えてやろう。敗北の屈辱を。痛みを、哀しみを」


 押し返される。三人がかりでも攻め切れない。借り物とはいえ、真理の威力は絶大だった。

 睡狐の巫女、鬼、園瀬流。全てが、無に還る。

 駄目だ。棋力では勝てない。どんなに頑張っても、全棋士の源たる存在には敵わない。プロに挑むようなものだ。

 そうだ──棋力の勝負では。


「そんな。負けられない、のに」

「力が抜ける。おのれ、クソ親父め」


 へなへなと崩れ落ちる、りんと雫さん。根源の力で、棋力を徴収されたのだと気づく。

 勝つために全力を尽くすと浄禊は言っていたが。そこまで徹底されてしまっては、もう手の施しようがない。

 矢倉が崩壊し、魔の手が自玉へと伸びて来る。その様子を、呆然と見守ることしかできなかった。


「今、世界は変わる。

 変革の第一歩を、その身でとくと味わうが良い」


 意識が、闇に塗り潰される。


 ごめん、みんな。

 俺では勝てなかった。精一杯頑張ったつもりだけど、残念ながら及ばなかった。

 きっと、奴に勝てる人間は限られる。高段者でも、たとえプロでも、棋力を零にされてしまえば勝てないだろう。

 可能性があるとすれば。きっとそれは、勝ち負けにこだわらない将棋を指せる人間だけだ。


 香織。もしかしたら、君なら。

 将棋への、そして対局者への愛情にあふれた君ならば。できるかもしれない。


 すまない。俺はここで力尽きる。一緒には指してやれない。けれども、心はいつだって一つだ。盤上には、常に共に在る。君を独りにはしない。

 俺は君を信じる。君の可能性を、君の愛を。

 後は頼んだぞ──愛してる、香織。


 懸命に俺の名を叫び続ける彼女の泣き顔を見つめて。俺は、精一杯の微笑みを浮かべた。


 きっと大丈夫。

 俺の代わりに、世界を救ってくれ。

 そして。幸せな結婚式を迎えよう。


 二人で、一緒に。



 第十一章・完

 第十二章に、続く

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