(29)全てに優先する

「貴様の父親は天才だった。どんなに努力しても追いつけなかった。理不尽だと思わないか? 持たざる者には、永久に陽の光が当たることは無い。

 棋の不平等。それこそが、将棋の普及を阻む最大の要因なのだ」


 才ある者は、周囲に強烈な劣等感を与える。普通がどの程度なのか見誤らせ、自分には将棋は向いていないんじゃないかと錯覚させ。最後には、将棋を辞めさせてしまう。故に、天才はただそこに存在するだけでも罪深いのだと、狐面の男は説いた。

 一理ある。俺だってしばしば、劣等感を抱くことはあった。

 親父の矢倉はどうしたって真似できなかったし。道場での地位も低い。所詮は級位者。高段者がゴロゴロ居る中、隅に座って邪魔にならないよう、級位者同士ひっそりと指すのが常だ。


「棋力が絶対の将棋界において、初級者が生き残れる確率は極わずかだ。棋力差による差別は、依然として存在している」


 将棋人口全体から見れば数少ない段位者のみが、純粋に楽しむことのできる世界。そんな状態では普及など進むはずが無いと、浄禊は断言した。

 そうだ、確かに一理はあると思う。しかし。


「あんたが今までやって来たことは、まさに一部の天才を創り出す行為じゃないのか?」


 言葉と行動が、矛盾している。


「左様。余は最強の棋士を創造しようと試みた。棋を極め、真理へと到達するために」


 意外にもあっさりと認めて、彼は続ける。俺の反論など、折り込み済みということか。


「だがそれは手段であって目的ではない。余の最終目的を教えよう。

 棋の不平等を無くし、誰もが笑って暮らせる将棋界へと作り変えること。あらゆる不幸を、取り除くことだ」

「何、だと……?」


 思わず声が漏れた。

 差別の無い、平等な将棋界の実現。そんな大それたことを、眼前の男は目論んでいたというのか。そんな、真っ当な目的のために、何人もの人間が犠牲になったというのか。


「だが、しかし。一体どうやって」

「簡単だ。全棋士から一旦棋力を徴収し、その後均等に再分配するのだ」


 事もなげに、男は俺の質問に答える。そのために、棋の真理を手中に収める必要があったのだ、と。


「四十禍津日はそれを『根源』と呼称していた。全ての将棋指し達の根本は同じ、一つの真理に集約されている。プロもアマも関係無く。根源を得ることで、余は彼らに対しての生殺与奪権をも得られる訳だ」


 そこまで説明した所で、彼は手にした巻物を掲げてみせた。禍々しい瘴気が、とめどなく放出されている。四十禍津日。しかも写本ではなく、原本か。


「かつて。余は王守の長と、この場所で会敵した。奴は老体ながら手強く、四十禍津日を使用せざるを得なかった。その時、余は限りなく真理へと近づくことができたのだ」


 大森さんの石田流三間飛車に対し、浄禊は当時まだ存在していなかった『elmo囲い』を編み出して対抗した。新しい囲いは、石田流を一方的に封殺。優勢を維持したまま、中盤戦を迎えることとなった。

 彼はその時、初めて棋の根源と遭遇したのだという。かの存在を認識し、手に入れようとして。

 逆に、侵食を受けた。


「流れ込んで来た情報量は、余の許容量をはるかに超えていた。脳が沸騰し、破裂するのを感じた」


 生命の危機が、彼の意識を強制終了させ。

 次に目覚めた時には、浄禊は『半身』を失っていた。


「真理の欠片を少しばかり得た代償は、あまりにも大きく。余は半身を、人としての心を奪われてしまった」


 元々冷酷非情な性格だったが、人間性を喪失してからは、他者の命をも顧みなくなった。それこそ捨て駒のように、容赦なく切り捨てて来たのだ。


「被害はそれだけに留まらず。四十禍津日もまた損傷が激しく、計画に大きな遅れを来たすこととなった」


 写本(コピー)を用意しておいて良かったと、男は呟いた。

 彼は巻物を掲げていた手を下ろす。

 今もなお尽きること無く放出され続けている瘴気の正体を、何となく理解できた気がした。


「理想の実現のためには『根源』が必要だが、自らの内に降ろす行為は多大なる危険を伴っていた。どうすればより安全に入手できるのか。日々悩み続け。ついには、ある考えへと思い至った」

「……生贄、か」


 呟いた単語の、おぞましさたるや。総毛立つのを感じた。

 いけにえ。つまり、他の誰かが犠牲になるということ。桂花や『先生』のように。

浄禊は「言葉は悪いが、その通りだ」と、さらりと肯定して来た。


「最高の棋士を創造し、その身に『根源』を降ろす。それでようやく、制御できると考えた」


 なるほど、だから棋力の高い人材を集め、育成していたのか。より質の高い生贄にするために。やっと話が繋がった。

 危うくりんも、そうなりかけていたのか。


「死んでも構わない、と?」

「変革には犠牲が付き物。心が滅んでも、器となる肉体が残れば問題ない。後は余が、四十禍津日の力で管理する」


 淡々とそう告げて。彼は俺の顔を見つめて来た。様々な色の混じった、よどんだ瞳。一体どんな生き方をしてきたら、こんな風になるのか。想像もつかない。


「園瀬修司。余は貴様ら級位者の救世主なのだ。我らが争う理由は無い。

 跪(ひざまず)き、余に忠誠を誓え。先程の無礼を詫び、我が軍門に下ると言うが良い」


 救世主、か。確かに、ある意味ではそうかもしれない。誰だって対局に勝ちたい、負けたくないと願うものだ。その願いを叶えてくれると言うのだから。誘いに乗る者も、少なくはないだろう。

 さて。俺はどうするか。


「──かおりんはどう思う?」

「ふぇ? 私?」


 突然話を振られ、香織は目を丸くする。


「率直な意見が聞きたい。今の話を聴いて、どう思った?」

「んー。正直、私の頭じゃ半分も理解できてないんだけど。それでも良い?」

「ああ、構わない」


 頷くと、彼女は意を決して口を開いた。浄禊の方をちらちらと見ながら、慎重に言葉を紡いでいく。

 敵にまで気を遣っているのか。香織らしい。


「その。浄禊さんの目指す世界が、将棋指し全員が幸せに暮らせる世界なら、素晴らしいと思うんだけど……。

 誰か、一人でも犠牲にしなきゃいけないのなら。私は断固反対します」


 遠慮がちに、しかしきっぱりと彼女は言い切った。


「──だよな!」


 香織なら、きっとそう答えてくれると信じていた。

 ぷつんと、迷いの糸が切れた。

 訝(いぶか)しげに俺達のやり取りを眺めていた浄禊の方へと向き直る。


「そういう訳だ。俺達はあんたの味方にはならない」

「何を言っておるのだ貴様は? 愚妻の意見を鵜(う)呑みにするのか?」

「ああ。香織の言葉は、全てに優先するんでな」


 香織は愚妻なんかじゃない。俺の、女神様だ。


「それに、将棋ってのは他者と競い合うからこそ面白いんだ。互いに切磋琢磨するからこそ強くなれるし、勝った時の喜びはひとしおなんだ。

 棋の平等は一見理想的だが、努力が報われない。将棋界は停滞するだろう。スター性のある棋士も生まれない。そんな世界が楽しいとは、俺には思えないな」

「貴様は、不平等な現状で構わないというのか?」

「そうは言ってない。棋力の大小で上下関係が決まるのはおかしいと思うよ。将棋界の未来を真剣に憂うなら、改善していくべきだ。

 だがそれは、誰かに強制されるものじゃない。将棋指しの一人一人が、自らの意思で変えていくべきだと俺は思う」

「自発的にだと? 無理だな」


 小馬鹿にしたように笑う浄禊。誰も彼も、己の承認欲求を満たすために将棋を指しているのだ、できるはずがないと断言して来る。


「理想論では何も変わらない。園瀬修司。貴様の考えは『平等棋界』実現の妨げとなる。やはり、この場で葬るとしよう」


 瘴気が突風となり、吹き付けて来た。

 元より話し合いで解決するつもりは無い。対局で決着をつけてやる。

 だが、それにしても凄まじい瘴気の量だ。こうして浴び続けているだけでも、徐々に体力を消耗していく。立っているのがやっとで、対局席に座ることさえ難しい。くそ、このままでは──。


「修司さんを葬る? それは聞き捨てなりませんねぇ」


 突如、眼前で大きな棋気が膨れ上がる。竜巻のように渦を巻き、瘴気を吹き散らしていく。

 ふっと、身体が楽になった。


「……何のつもりだ、雫?」

「お戯れもいい加減にして下さいませ。お父様」


 巫女服をまとった女性の背中が見える。

 そうか、雫さんが守ってくれたのか。しかし、何故敵である俺達を?


「大丈夫。雫さんは私達の──というか、しゅーくんの味方だよ」


 耳元で香織が囁いて来る。どうして俺の味方なのかは首をひねる所ではあるが。

 ありがたい。雫さんが加われば、浄禊とも互角に戦えるかもしれない。


「この父に逆らおうというのか? 理想の世界を実現したくはないのか?」

「クソ食らえですわ」


 鼻で笑って、雫さんは胸を張ってみせる。


「私の理想は、私と修司さんが幸せな未来を築くこと。他の誰がどうなろうと知ったことではありません。お父様もそうでしょう?

 棋の平等など口先だけ。貴方の真の狙いは、徴収した棋力を全て自分の物にすること。自分だけが唯一無二の存在──棋界の神になること」


 そうでしょう? と彼女が問いかけると。

 浄禊は小首を傾げ、「もちろんそうだが?」とあっさり認めて来た。何でそんな当然のことを訊くのかと、不思議そうな様子だった。

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