(28)為すべきこと
怯(ひる)むこと無く、更に距離を詰める。ここまで近づくことができれば、俺にだってやれるはずだ。相手玉は、既に射程に収めている。刃を振り上げ、一息に打ち下ろす──。
その瞬間。
りんの指先が、きらりと光った。
まずい、これは。とっさに身をひねる。閃光と共に、左半身に衝撃が走った。血肉が爆ぜる。
肩口から先が、ごっそり消失していた。左の肺が潰れ、呼吸も満足にできなくなる。
まだこんな技を隠し持っていたとは。予備動作無しで放つ電磁砲(レールガン)。まともに食らえば、即死は免れないだろう。
──もう一発が撃てれば、だが。
電磁砲を撃った方の手首が宙を舞う。鮮血がどくどくと流れ出た。大量の棋気と共に。
俺だけじゃない。りんだって、致命傷を受けている。俺の方が傷は深いが、将棋においては問題にならない。
終盤は、駒得よりも速度が大事。傷ついた身体を引きずり、前進する。右手に駒を握り締めて。
りんもまた、残った手に駒を持っている。じりじりと距離を詰める俺を、静かに待ち構えていた。
先程までの激しい斬り合いから一変。今度は静寂が周囲を包み込む。
最後の一太刀を浴びせる。お互い満身創痍だが、戦意は喪失していない。
先に相手玉に一撃を当てた方の勝ちだ。ぎりぎりまで間合いを寄せろ。
「は、ははは」
自然と、笑みが零れた。りんも笑っている。実に楽しそうに。
この瞬間のために将棋を指していると言っても過言ではない。詰むや詰まざるや。生きるか死ぬか。
ついに来た。何とか、ここまで来ることができた。圧倒的な棋力差のりんを相手に、必死の思いで食らい付いて。途中で振り落とされること無く、何とか最終盤まで辿り着けた。
さあ。今こそ最後の勝負だ。
狙うはただ一点、心臓部を突く。相手より一手でも早く突ければ、俺の勝ちだ。
鞘に刃を納める。力を溜める。限界まで引き絞る。
りんもまた、拳を大きく後ろに引いて構える。打ち出して来るであろう一撃は、今までとは比べ物にならない威力のはずだ。心臓(玉将)はおろか、全身を粉微塵に破壊されかねない。
仕掛けのタイミングが肝要だった。いくら最速で抜刀した所で、りんには易々とかわされてしまう。後の先を突かなければ。向こうから仕掛けて来た所にカウンターを決める。確実に勝つには、それしか無い。
りんも同じ狙いなのか、はたまた俺の攻めを警戒してか。なかなか仕掛けて来ない。両者にらみ合ったまま動かず、時間だけがいたずらに過ぎていく。
将棋を知らない人が観れば、さぞや異様な光景に映ったことだろう。互いに、ひたすら同じ二マスを往復し続ける玉将。千日手にならないよう、時折金も動かして。
やがて二人とも持ち時間を使い切り、秒読みに突入する。俺にとって幸運だったのは、そのタイミングでりんに手番が回ったことだ。
さあ、もう良いだろう? いい加減、仕掛けて来い。
はぁ、とりんはため息を一つつき。俺の顔を見つめて来た。
「行きます。覚悟は宜しいですか?」
「来い。全力で迎え撃ってやる」
交わした会話は短く。時間が惜しいとばかりに、りんは駒を打ち下ろす。
ばちん! 鬼の剛拳が、俺の玉を仕留めんと迫る。必至。詰みへと至る一撃が、ついに炸裂した。今だ──!
駒を持つ手に力を込める。刃を鞘から解き放つ。
血飛沫が上がる。伸び切った鬼の腕を切り裂きながら、心臓目掛けて突進する。猛烈な拳圧に阻まれながらも、懸命に刃を振るう。
捉えた。光に包まれた玉将が見える。守備駒はもう居ない。今なら断ち切れる。いけ──!
伝わって来る、確かな手応え。刃が当たる。輝く玉に、ヒビが入る。
俺の、勝ちだ……!
──あゆむ!
その時。誰かの声が、聞こえた気がした。
断ち切れ、ない。寸前で止められる白刃。切り飛ばしたはずの左手が、いつの間にか再生していた。
金色の瞳に、紅蓮の業火が宿る。
そうか。もう一人居たんだった。俺としたことが、完全に失念していた。
最後の最後で、チームメイトよりも弟を選ぶとは。いかにもあいつらしい。
だが、俺を殺した責任は取ってもらうぞ?
──勝てよ、燐。
「負けました」
頭を下げる。敗北を認める。
最後の一太刀を防がれた以上、万策は尽きた。俺の玉は、後一手で詰む。
負けたのはもちろん悔しい。が、不思議と晴れやかな気分だった。心の中には温かさが残る。
良い将棋を指せた。ありがとう、りん。
それにしても、疲れた。何しろ『先生』が扮した『木綿麻山桂花』との激闘からの連戦だ。棋力、体力共に尽きかけている。
「ありがとうございました」
一礼したりんもまた、肩で息をしていた。それだけ集中していたということなのだろう。
「感想戦しますか?」
「すまん……遠慮しておく」
せっかくの申し出だったが、かぶりを振って断った。
色々と限界だったせいもあるが。俺には他に、為すべきことがあったからだ。
りんは頷く。俺の心中を察したような、神妙な面持ちだった。
「二人とも、お疲れ様!」
そこへ駆け寄って来る香織。立ち上がろうとしてよろけ、彼女に支えられる。
「すまない。ありがとう」
「大丈夫? 本当にお疲れ様だね、しゅーくん」
心配して尋ねて来る彼女に、「大丈夫」と笑って答える。消耗は激しいが、命に関わる程ではない。
彼女の体温は名残惜しいが。自分の足で立ち上がる。
「面目ない。勝てなかった」
「いいよ、そんなの。良い勝負だったじゃん」
香織の笑顔が、疲れを癒してくれる。そうだ、俺はまだやれる。彼女が一緒だから。
周囲を見回す。燐とレンの気配は無い。別世界での対局は、未だに終わっていないようだ。
なら、やっぱり。俺がやらなくちゃ、な。
視線を本殿の奥、巨大な睡狐像へと向ける。
「出て来いよ。そこに居るんだろう?」
「しゅーくん? どうしたの?」
俺の言葉に、香織が怪訝な表情を浮かべる。彼女は事情を知らない。できれば巻き込みたくはない。
だが、彼女が居なければ。俺はきっと、奴には勝てない。
「かおりん。俺の頼みを聞いてくれるか?」
「なぁに?」
「俺と一緒に──戦ってくれ」
全ての因縁に、終止符を打つために。
驚く香織の手を握る。俺の気持ちよ、温もりと共に彼女へ伝われ。
今から俺が行う戦いは、試合じゃない。ただの私闘に過ぎない。義務は無く、必要も無い。
「どうしても許せない奴が居る。そいつのせいで、今まで何人もの人間が不幸になった。これ以上野放しにはしておけない」
それでも、良いか?
「──わかった」
しばらく考えた末に、香織は頷きを返して来た。瞳に決意の輝きが宿る。
「でも一つだけ約束して? 何があっても、この手を離さないって。独りになるのは、もう嫌だよ」
「……ああ。約束する」
ずっと一緒だ。この先どんな苦難が待ち受けていようとも。俺は君を、絶対に独りにはしない。
俺の返事に、彼女は顔をほころばせる。本当に嬉しそうに、うんうんと何度も頷いた。
その笑顔を守り抜くためにも。俺は奴を倒す。この町の将棋界に、平穏を取り戻してみせる。
「下らぬ」
その時だった。睡狐像の目が、ぎらりと光ったのは。
「茶番は終わりだ。余が直々に、幕を引いてやろう」
睡狐像の陰から、誰かが姿を現す。藍色の着物をまとった、初老の男性。狐面を着けているため顔はわからないが。よどんだ視線が、俺達をなめ回して来た。まるで、値踏みするかのように。とっさに香織の前に立ち、奴の視線からかばう。
「愚かな。大人しく帰っていれば、命だけは助かったものを」
「あんたが、当主か?」
俺の問いかけに、男は「いかにも」と頷いてみせる。
相対して理解した。本殿内に立ち込める瘴気の源は、眼前のこの男だ。間違いない。確かにこいつが、竜ヶ崎の現当主。先生と桂花さんを死に追いやり、りんを利用した諸悪の根源だ。
「余こそが、竜ヶ崎十四代目当主──浄禊(ジョウケイ)である」
名乗った瞬間、弾丸のように文字が頭に突き刺さる。『浄(きよし)』と『禊(みそぎ)』だと……?
おお神よ。何故貴方は、この男に最も不釣り合いな二文字を名前に選んだのか。
めまいがして来たのは、疲れのせいだけではないだろう。
「竜ヶ崎浄禊。あんたに対局を申し込む」
それでも何とか宣言する、と。
浄禊は俺を一瞥(いちべつ)し、再び口を開いた。
「その目。あの男にそっくりだ。虫唾が走る」
あの男だと? まさか、親父を知っているのか?
狐面の奥の瞳が、妖しく瞬く。
「園瀬竜司は、余が知る中で最高水準の棋士だ。特に全盛期の強さは、神にも届く程だった。この町に住む将棋指しは皆彼に憧れ、こぞって矢倉を指したものだ。
誇らしかった。そんな男を親友に持てて」
残念だ、と浄禊は続ける。
「まさか、病気で死んでしまうとはな」
知らなかった。親父と竜ヶ崎が旧知の仲だったとは。にわかには信じがたいが。
だが、嘘を言っているようには見えなかった。本心から、彼は親父の死を残念だと思っている。親友として。
「実に残念だ。奴だけは、この手で地獄に落としてやりたかった」
──いや、違う。憎悪の感情に満ちている。ぎらりと光る眼。心なしか、瘴気の密度が増した気がした。
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