(27)罠
ぱちん。歩には歩を。銀で取る手も考えたが、中央への進出を視野に入れ、同歩とした。
ぱちん。当然それも読んでいたのだろう。間髪入れず、次の一手を指して来る。
盤上を、清々しい風が吹き抜けた。風通しが良くなった、つまりは攻めが刺さり始めているということか。
ぱちん。それなら、俺だって。
腹をくくる。相手は格上、しかも複数の人格が統合された、いわば『完全体』と呼べる存在だ。一分の隙も見当たらない。そんな相手と攻め合うなど、あまりにも無謀。
だが、それ以外に道は無い。俺に勝機が万に一つでもあるとすれば。限りなく無理攻めに近くとも、攻めを通すしかないのだから。
「貴方はもっと、受けの棋風だと思っていましたが」
少し意外そうに、りんは呟く。それでも指し手が途切れることは無かったが──意外でも、読みの範疇にはあったということだろう。
「受け潰しが今のお前に通用するとは思えない。玉を戴くぞ、りん」
「そう簡単にはいきませんよ」
雷よ。宿れ。
出し惜しみはしない。それで負けたら洒落にならない。一気に加速し、最速で攻め切る。
ばちばちっ! 放電が盤上を駆ける。敵陣へと突っ込み、相手玉目掛けて襲いかかる。ジグザグに、一の太刀が阻まれても、即座に二の太刀で斬り込む。
「──っ──!」
流石に手抜けないと判断し、受けて来るりん。
一、二、三、四。斬撃の速度を更に上げながら、絶え間無く斬り付け続ける。どこまで受け切れるか、根比べだ。
壱、弐、参、肆。受けの精度もまた上昇していく。俺の攻めに的確に対応し、全てを弾き返して来る。反撃の種がばら撒かれる。
こいつ。さては受けながら攻める気か。器用な真似を……!
押し返される。徐々に、だが確実に。
駄目だ。やはり棋力の差が大き過ぎる。万に一つの奇跡の芽さえ、丁寧に摘み取られてしまう。最速の攻めが、ことごとく潰される。雷撃をもってしても、りんの玉には未だ届かない。
これが、鬼籠野りん本来の力なのか。
だったら、もっと速く。最速を超えて加速しろ──。
「香澄流矢倉──絶式」
イメージするのは、加速器の中の荷電粒子。無限に加速し続けた先に、光がある。
奇跡は起こらない、現在(いま)はまだ。だが、一歩先の未来ならばどうだ?
「トール」
雷神よ。俺に力を貸せ。
相手は神の領域に足を踏み入れようとしている新鋭。相手にとって不足は無いだろう?
今こそ、鉄槌を打て!
──刹那。
視線が交差した。りんの瞳が輝いている。ついに鬼の力を解放したか。
だがその色は、赤ではなく金色。瞬間、とてつもない量の棋気が放出される。
雷神は、既に鉄槌を大きく振りかぶっている。限りなく光速に近い一撃は、もはや誰にも止められない。大地を粉砕し、地上の全てを無に還さんと迫る──。
着弾する寸前で、鉄槌は止まった。雷神の腹部に、深々と拳が突き刺さっていた。鬼の拳が。
亜光速状態でのカウンター。その威力たるや、推して知るべし。
粉微塵に吹き飛ぶ雷神。攻めが止まる。完全に。唯一無二、千載一遇の勝機は、こうして絶たれたのだった。
盤上に、黄昏が訪れる。
終焉の刻が。
鬼の牙が、喉元に突き立てられる。最後の、全力の一撃を受け潰された以上、もう俺には何もできない。勝負は決した。
後は、お決まりの挨拶をするだけ。それで終わりだ。
りんは強かった。負けたとて、何を恥じることも無い。
さあ、言うんだ。今なら、綺麗な棋譜を残せる。これ以上あがいて汚す前に。
さあ。口を開いて言葉を紡げ。今まで何度も言ってきた、あの言葉を。一局の重みは関係無い。同じだ、いつもと。
そう。あの時と、同じ。
「負けま──」
どうしても勝てない。
俺はこの日のために努力を重ねて来た。強敵達と戦い、棋力を高めて来た。強くなった。
それでも届かない。あの時のように。
鬼の力に目覚めたりんは、確かに強かった。疲労していたとはいえ、元奨励会員の桂花さんをも苦しめたその実力は、俺の予想をはるかに超えていた。
だが、それは。自分を納得させるための、言い訳でしかない。
俺が弱かった。
ただ、それだけのことだ。
──悔しい。
「頑張って! しゅーくん!」
その時。彼女の声援が聞こえた。幻聴ではない。はっきりと、間近から。
ハッと顔を上げると、視線が合った。彼女が観ている。俺の一局を。雫さんとの試合は、もう終わったのか。
何てことだ。俺はまた、彼女の前で負ける所だった。あの時と、同じ相手に。
言葉を飲み込む。駒を手に取る。
まだだ。
突き立てられた牙は、紙一重で頸動脈には届いていない。
彼女がくれた扇子が護ってくれた。愛羅武勇の四文字が、燦然(さんぜん)と光り輝く。まさに紙一重。されど、その薄紙は鋼の硬度を持っていた。
そうだ。向こうが四人がかりなら、こっちだって。俺には最高のパートナーがついている。雷神にも決して劣らない。
神速では鬼に敵わなかった。ならば、それを超える。もっと速く。光の速ささえも、超えて。
鬼よ。お前は知っているか? 愛の速さを。
ばちぃ──ぃぃん!
駒音は、打ち終えた後から聞こえて来た。発生した衝撃波が、本殿内を揺るがせる。
「くっ……! 今のは?」
りんの顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。
今の一手は、無我夢中で放った。香織の愛に応えたい。ただそれだけで、後のことは何も考えなかった。
だからこそ。りんの読みを超えることができたのだろう。
金色の瞳が、戸惑いに揺れる。確実に勝てると思っていたに違いない。事実、俺の心は折れていた。
だが、今は違う。折れた心は、愛に融(と)けた。
一度融かした後に、打ち直したのだ。鋼がより強度を増すように。今度は、そう簡単には折れない。
ぱちん! 鬼が襲いかかって来る。俺にトドメを刺すために。一撃一撃が致死の威力。勝ちたい気持ちは、りんも同じだ。
ぱちん! 悪いな。勝つのは俺だ。勝てないとは二度と考えない。真っ向から攻め合う。
「往生際が悪い。貴方ではどうやっても私には敵わないのに。私にはまだ、切り札が残っているんですよ?」
「四十禍津日か。使ってみろよ」
「……は?」
「今のお前なら使いこなせるだろ。いいからやれ」
俺には、これ以上は無い。未だに明鏡止水も使えない。四十禍津日を使われたら、終わりだ。
賭けだった。俺の挑発にりんが乗るか、それとも拒むか。
使われないなら、それに越したことは無いが。もし、使われた場合は──。
「良いでしょう。貴方の誘いに乗るのは、はなはだ不本意ですが。このまま続けても勝負がつきそうにない。最大の棋力で、決着をつけさせて頂きます!」
果たして、りんは乗って来た。
今までのりんは、そこまで勝利にこだわりを持っていなかった。何が何でも勝ちたいという気迫が、いささか欠けていたように感じる。
だが、この一局においては違う。りんを支える人達の想いに応えるため、俺に勝とうとしている。
すまない。その気持ちを利用させてもらう。
全身に施された紋様が、妖しく輝き始める。
四十禍津日の発動。瞬間的に膨れ上がる棋力。傍目で観ていてもわかる、りんの体内で起こった大いなる変化。
その瞬間こそが。俺の狙い筋だ。
ばちん! 渾身の力を込めて打ち込む。
ばちん! りんもまた、力強く打ち返して来て。
「……って、あれ?」
戸惑ったように呟いた。
自分の思惑と異なる手を指して。
四人分の棋力に四十禍津日が上乗せされた今のりんは、まさしく最高レベルの棋力を有している。アマチュアどころか、プロにも通用するかもしれない。俺が勝てるはずが無かった。
そう。棋力だけを見れば。
今の一手は、指し手の鋭さとは裏腹に、心がこもっていない。いかにも機械が指すような手だ。
そんなモノに、俺達の愛が屈するはずが無い。何も怖くない。
そうだよな? 香織。
ぱちん。想いのままに打ち返す。機を逃さない。このまま攻め切る。
「そんな。どうして」
「先生や桂花さん、あゆむはお前と完全に一体化していた。そこに付け入る隙は全く無かった。
だが、四十禍津日が割り込んだ」
四十禍津日は、所有者の棋力を爆発的に増幅する。言い換えれば、所有者以外には作用しない、ということでもある。
りんの棋力は確かに増大した。他の三人を隅へと追いやることによって。
結果、わずかな隙間が生じた。ほんの少しではあったが、決定的な隙が。
「くっ……! まんまと罠に嵌(は)まった訳ですか」
悔しそうにうめき、りんは駒を打ち込む。紋様の輝きが消える。四十禍津日を解除したか。賢明な判断だ。
だが、もう遅い。隙間が完全に閉じる前に、刃を滑り込ませる。間に合わせる、絶対に。今しか無い。もう二度と、好機は巡って来ない。
「すまない。今度は俺が勝つ番だ」
「まだ……まだですっ……!」
斬撃の嵐。型も何も無い。デタラメに刃を振るい、りんの全身を切り刻んでいく。力の限り。攻撃の手は一切緩めない。たとえこの身が砕けようと、お前の命は俺がもらう。
鬼の爪が腹を薙(な)ぐ。何と鋭い一撃。肉が削げ、臓腑を撒き散らす。この上ない激痛。致命傷。
──問題ない。命尽きる前に仕留めるだけだ。
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