(8)強くなりたい

「桂花。お前」

「黙ってても埒が明かないでショ? いいヨ、あたしが代わりに答えてあげル。

 キミが鬼籠野神社の宮司(ぐうじ)の長男であるようニ。りょーちゃんも、伏竜稲荷神社の次期宮司なんだヨ。本当はとっくに神主やってなくちゃならないご身分なんだけド、特別に、期限付きで教師やらせてもらってるのサ」


 顔をしかめる先生を尻目に、桂花さんは「実にゆにーくだよネ」と笑う。


「しんぱしー、って言うのかナ? 彼、キミのこと自分と重ねて考えてるみたいなノ。

 キミが将棋とか頑張る姿を見たらサ、彼自身も頑張ろうって励まされるんだってサ! わァ、きもイよネー!」


 キャキャキャと、耳ざわりな笑い声だった。

 腹の立つ言い方だったけど、腑(ふ)に落ちる部分もある。先生が私を自分と重ねていたなら、彼が私のために一生懸命になる気持ちも理解できた。

 そっか。好意とか、そういうんじゃなかったんだ。一人で舞い上がってて馬鹿みたい、私。


「鬼籠野。桂花の言葉は半分正解だ。だがそれだけじゃない。俺は君のことを──」


 そこまで言いかけて、先生は言葉を飲み込んだ。かぶりを振り、彼は自ら駒を初期配置に戻した将棋盤を見つめ。

 意を決したように、改めて口を開く。


「君の指す将棋が、俺は好きだ」


 どくん。たった一言で、心が揺さぶられた。せっかく拒絶しようと思っていたのに、あきらめようと思っていたのに。

 ずるいよ、先生。

 よりにもよってこのタイミングで、最高のほめ言葉を贈られるだなんて。気を引き締めなければならないのに、どうしても口元が緩んでしまう。

 本当にずるい。卑怯。でも、どうしようもなく嬉しい。


「それを言うなラ、“キミと”指す将棋が、でショ?」


 桂花さんがニヤニヤ笑って言ってきたけど、気にならなかった。


「それだけじゃ君を護る理由にならないか? 鬼籠野」

「……いえ、十分です。ありがとうございます」


 高鳴る胸を押さえて、何とかそれだけ答える。

 きっと私の顔は、ゆでダコみたいに真っ赤になっていることだろう。この場に鏡が無くて良かった。

 私も、彼と指す将棋が好き。彼と指す自分が好きだ。


「そレ、まるで告白してるみたいじゃン? 婚約者の前で言うかなァ、ふツー?」


 そこへ割って入る桂花さん。口調は怒っている風だったが、顔は笑っていた。この人、状況を楽しんでいる。


「なっ……! 俺は決してやましい気持ちでは!」

「いいのヨ、りょーちゃん。素直になりなさいナ。鬼籠野クン、可愛いもんねェ?」


 二人はなおも言い合いを続けたけど、私の耳にはそれ以上入って来なかった。

 まるで夢のようで。熱に浮かされたようなぼんやりとした頭で、机の上に置かれた将棋盤を見つめる。

 ボードゲーム一つで人生が変わるって、あるのかな? 私も……変われるのかな?


「何も変わらない。あんたは私のモノだ」


 そう思ったとたんに、またもささやく声。

 その声は、私が何か行動を起こそうとする時、決まって邪魔をして来る。何度も何度も、繰り返し言い聞かせて来る。私に自由など無いのだと、一生を所有物として生きろと。よほど、私を手放したくないのだろうか。


 だけど、ごめん。姉さん。

 私、本当は変わりたいよ。


 駒を手にする。歩を突き出す。


「強くなりたい」


 もらしたつぶやきは、誰に向けたものでもなかったけど。先生と桂花さんは、ほぼ同時に私の方へと視線を移した。


「姉さんだろうと、睡狐だろうと、付きまとっているっていう何かだろうと。誰にも負けないくらいに、強くなりたい……です」


 二人に見つめられて我に返り、気恥ずかしくなって盤上へと目を落とす。

 そこで初めて気づいた。突き出した一歩が、淡く光っていることに。雪のように白く、今にも消えてしまいそうな程に弱々しい輝きだったけど。確かに光っている。私の指した一手が。


「始まりを告げる76歩には、対局者の一局に懸ける想いが表れるという。鬼籠野、よく言った。やはり君は、俺とは違う」


 柔らかい口調で、先生がそう言って来る。彼の言葉が本当なら、私の気持ちに将棋が応えてくれたことになる。

 ああ、そうなんだ。今まで無理だと、始める前からあきらめていたけれど。変わろうと思えば変われるんだ。私も、私の将棋も。


「強くなりたい、ネ。だけど鬼籠野クン、具体的なぷらんはあるのかナ?」

「おい、桂花」

「りょーちゃんは黙ってテ」


 顔を上げると、桂花さんと目が合った。深緑の瞳が、きらきらと輝いている。何かを期待している目だと悟った。

 でも、ごめんなさい。その期待には、応えられません。私がかぶりを振ると、彼女はため息を一つついた。


「なりたい気持ちだけじゃ、強くなれないヨ。仕方ないなァ、桂花サンが一肌脱ぎますカ」


 彼女の思惑はわからない。睡狐の依代として、私を眷属とやらに迎え入れる手引きをしようとしているのかもしれない。

 信用できる相手だとは言いがたい、けど。私が強くなれる方法があるのなら、試してみたいと思った。

 先生の顔を見上げると、彼は仕方ないと言った様子で首を縦に振った。


「お願いします」

「よろしイ。では鬼籠野クン、今からあたしが言うことを実行してくれるかナ」

「はい」

「まず、キミがこの世で一番強いと思う人のことを想像してみテ」


 桂花さんは盤上の駒を動かした。角道が開放される。

 一番強い人? それなら姉さんだ。姉さんは、私の知る中で最強。何しろ、今まで一度も負けた所を見たことが無い。


「強くなる手っ取り早い方法はネ。そのヒトの真似をすることだヨ」


 にやりと笑う桂花さん。真似をするって──姉さんの真似を、私が?

 暴虐の限りを尽くす独裁者の姿を想像し、ブルッと体を震わせる。無理だ、私にできる訳が無い。


「……できません」

「おやおや、早くも投了? 始めてもいないのにあきらめル?」


 呆れた様子の桂花さんに、私はため息を返す。無理なものは無理だ。どんなに頑張ったって、あんな風にはなれない。せっかくの申し出だけど、辞退するしか──。


 その時ふと、先生の視線に気づいた。

 眉間に皺(しわ)を寄せて、彼は心配そうにこちらを見つめていた。

 彼に、心配させてしまった。私が……弱いから。


 私もきっと、子犬やよちよち歩きの幼児を見たら同じ目をする。つまりはそういうことだ。彼にとって私は、庇護の対象でしかない。対等の関係にはなれない。今のままでは。

 かぶりを振り、拳で額を打つ。痛みが心地よかった。迷いが晴れる。思考がクリアになる。

 着席し、すぐさま飛車先の歩を突き出す。


「ごめん。逃げてる場合じゃなかった」

「へェ。覚悟を決めたんダ?」


 桂花さんもまた、飛車先の歩を前進させる。

 私に姉さんの真似ができるかどうかはわからない。けど、鬼籠野燐の将棋は、私が誰よりも間近で観て来た。

 覚えている。食らった痛みも、感じた熱気も。

 だから指す。盤上に再現する。


「真っ向から攻め合うカ。面白イ」


 互いに飛車先の歩を突き越す。もうこの将棋は、どちらが先に攻め潰すかの勝負だ。桂花さんは乗って来た。やるしかない。

 神経を研ぎ澄ませ。もっと鋭く、もっと熱く。一手一手を、燃え上がらせろ。たとえ姉さんに及ばなくても構わない。全力を引き出し、指し貫け。


「てっきり”横歩取り”をご所望と思ったんだケド……まさか受けないなんて、ネ」

「しないよ。だって」


 私の憧れている人は、そんな戦法知らないから。

 答えたとたんに、桂花さんは目を丸くする。

 そうだよね。強い人って、普通は戦法に精通しているものだよね。姉さんは、色んな意味で異端児なんだ。


 初期配置の状態だと、角頭の歩には何の利きも付いていない。そのままだと、易々と飛車先を突破されてしまう。だから普通は、金銀を上げて守りを補強するものだ。けれど姉さんは、普通じゃない。

 守る一手すら惜しんで、攻め急ぐ。そこで相手が攻め合いに応じれば最後、一方的な蹂躙が始まるのだ。

 単に定跡を知らないだけじゃない。異常なまでの勝負強さが、姉さんの将棋をそう進化させた。一手でも早く攻め、対局相手を完膚なきまでに叩きのめす。

 私はそんな彼女の背中を観て育った。だから一切受けない。思考を攻めだけに集中させる。


「ナルホド。対話する気ゼロって訳ダ。あたしの一番嫌いなタイプだネ」


 忌々しげに、桂花さんはつぶやきをもらす。


「キミを蝕(むしば)んでいる奴の正体がわかったヨ。それハ、キミ自身ダ。キミの憧れは、キミを束縛すル」

「私自身……?」


 予想だにしていなかった言葉に、私は呆気に取られた。

 私に付きまとって離れないという影が、私自身であるというなら。確かに、離れられる訳もない。

 だけど、自分に自分が苦しめられるってどういうこと? 彼女の言っていることの意味が、まるで理解できなかった。

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