(7)ユウヤマ ケイカ
「……だめ」
「エ?」
「私は、姉さんのモノだから。貴女の所には、行けない」
何とかそれだけを答えて、両手で胸を押さえる。苦しい。ごめん姉さん、許して。
チッ。対面の少女は舌打ちする。紅い二つの輝きが、私を冷たく見下ろしていた。
「残念過ぎるヨ、キミィ。このあたしが、わざわざ迎えに来てあげたのニ」
「……ごめん」
「謝罪は要らなイ。仕方なイ、今日の所は引き上げよウ」
はあ、と。今度は盛大にため息をつかれた。
残念なのは私だって同じだ。可能性を、自ら潰してしまった。
だけど、こればかりはどうしようもない。私の中の私が、姉さん以外の人に付き従うことを拒んでいるのだから。
私は──姉さんの、所有物だから。
「鬼籠野クン。気が変わったらいつでもおいデ。伏竜稲荷神社で、待ってル」
くすりと笑って、木綿さんは目を閉じた。そのまま、動かなくなる。まるで糸が切れた操り人形のように。
そうだ、今まで彼女を操っていた『何か』はどこかに行ってしまったんだ。彼女と、私を残して。
「鬼籠野! 大丈夫か!?」
そこへ、先生が駆け寄って来た。青ざめた表情で、目が血走っている。
こんな焦った様子の先生、初めて見る。いつだって、彼にはどこか大人の余裕があったのに。私が六枚落ちで勝った時だって、悔しさを滲(にじ)ませながらも、勝利を称えてくれたというのに。
木綿さんに憑依していた『何か』が先生を知っていたように。彼もまた、アレの正体を知っているのだろうか。
「私は、大丈夫ですが」
そう答えて、盤を挟んだ向かい側に座る少女へと視線を向ける。
彼女の中身は、抜け殻みたいに空っぽなのだろうか。先程から、目を閉じたままピクリとも動かない。ずっとこのままだったらどうしようと心配になる。先生と二人なら、家まで運べるだろうか?
彼女の姿を見て、先生はやれやれと肩をすくめた。
「彼女なら大丈夫だ。ただ眠っているだけさ。
それより、こいつがここに居るってことは。鬼籠野、君はヤツと話したのか?」
ヤツ。やはり先生は、知っているんだ。
私がうなずくと、彼はため息をついた。
「すまない。緊急の職員会議が長引いて遅くなってしまった。君を守れなかった」
「大丈夫です。何もされてませんから」
ただ将棋を指しただけだと説明すると、先生は訝(いぶか)しげに視線を将棋盤へと向けた。
「わざわざ君に会いに来たにもかかわらず、何もしなかっただって……? 不自然だな」
「あの。ヤツって何なんですか? それに、この子は一体何者なんです?」
知りたかった。私の知らない先生の秘密を、知りたいと思った。
「正直、言いたくない」
「そんな」
「──が、君には伝えておいた方が良いだろうな。身を護るためにも」
あきらめたようにそう告げて、彼は盤上の駒を動かし始める。私の心が折れた局面から、初期配置へと戻っていく。一つ一つ、丁寧に。
「ヤツの名は睡狐。眠る狐の名の通り、普段は神社で寝ている」
伏竜稲荷神社を知っているか? と尋ねられる。そう言えば、さっき木綿さんも神社の名前を口にしていたっけ。
「丘の上の神社ですよね? 小さい頃、親に連れられて参拝した記憶があります」
「そうだ。睡狐はそこに祀られている御神体の一柱。早い話が、神様ってことだ」
アレが、神様? あんなのが?
「あんなのでも、だ」
表情から私の気持ちを読み取ったのか、先生は苦笑混じりに答える。
「で。そこで眠っている彼女は、その睡狐の依代(よりしろ)として選ばれた存在なんだ。名前を木綿麻山(ゆうやま)桂花(けいか)という。俺とは腐れ縁で、その……いわゆる幼なじみの関係になる」
「アラ? 婚約者の間違いでショ?」
独特のイントネーションが、私達の会話に割り込んで来たのはその時だった。
いつの間に目を覚ましていたのだろう。木綿さん、もとい桂花さんが悪戯っぽく微笑んでいる。その瞳は鮮血のような紅色ではなく、深い緑色をしていた。良かった、睡狐はもう居ないようだ──って。
この人。今、婚約者って言わなかった?
「親同士で勝手に決めたことだ。俺は従うつもりは無い」
「あたしはりょーちゃんと結婚したいって思ってるヨ?」
「冗談はやめてくれ。生徒の前だぞ」
独り混乱する私をよそに、二人の会話は進行していく。幼なじみって、どう見ても桂花さん私と同い年くらいにしか見えないけど。うちの学校の制服着てるし。
不純異性交遊という単語が頭に浮かんだ。この間の学園ドラマで観たヤツだ、これ。先生と生徒の、禁断の。
「ほら。鬼籠野が勘違いしてるじゃないか」
「頬っぺた赤くしちゃって可愛いなァ。ウブなのネ、鬼籠野クン」
「鬼籠野。こいつの言葉に耳を傾けるな。俺と桂花は何でもない、ただの幼なじみだ」
矢継ぎ早に言葉を重ねて来る先生と桂花さん。ただの幼なじみにしては、妙に息が合うというか、連携が取れている気がしてならない。
いや、そもそも年の離れた彼らが幼なじみというのが無理筋。
やっぱりこの二人は。胸の奥に、チクリと針を刺された気分だ。
先生のこと、尊敬していたし、目標にしていたのにな。
「おい。聞いてるか、鬼籠野?」
「心ここにあらずといった風だネ」
「誰のせいだと思ってる」
「ン? 睡狐サマ」
ニヤリと笑って、桂花さんは視線をこちらに向けて来る。
新しいおもちゃを見つけた時の子供のような、楽しげな表情だった。
「大丈夫ヨ? 見ての通り、りょーちゃんはあたしのこと嫌いだかラ」
さらりと告げる口調にも、余裕を感じるのは何故だろう。見ての通りって、イチャついてる風にしか見えないんだけど……。
全然、大丈夫じゃない。今すぐにでも帰りたい気分。
「いや別に、お前を嫌ってる訳じゃないが」
お前の背後に居る睡狐が苦手なんだと、先生は続ける。
ほら、やっぱり仲良いんじゃないか。
「もウ。鬼籠野クンの前でそんなこと言うなんて、ダメじゃなイりょーちゃん」
たしなめながらも、まんざらでもない様子で微笑む桂花さん。
駄目だ、もう我慢できない。
「……帰ります」
席を立つ。ただでさえ将棋で負けて落ち込んでいるのに、これ以上はとても耐えられなかった。
「待ってくれ、鬼籠野!」
歩き出そうとした所で、先生に左腕を掴まれた。なんて強い力だ、振りほどけない。
「痛いです。離して下さい」
「すまん。だが話はまだ終わっていない」
彼と目が合った。いつになく真剣なまなざしで見つめられ、心臓がドキリと跳ねる。
「君は狙われている。俺は君を護りたいんだ、鬼籠野。信じて欲しい」
熱を帯びた口調。私だってできることなら信じたい、けど。
「狙われているって、あの睡狐にですか? ご心配なく。自分の身は自分で護りますから」
自分でも驚く程に、冷たい声が出た。腕に伝わる力が、わずかに緩む。
「狐もそうだが──邪(よこしま)なる気配を感じる。そいつはずっと、君に付きまとっていて離れない」
「それって」
姉さんのことじゃ? と思わず口から出かかった言葉を飲み込む。確かに事あるごとに姉さんに遭遇して来た気がするけど、ずっと付きまとっている訳じゃない、と思いたい。
「心当たりはあるか?」
「……いえ。でも、何で先生、そこまで私のことを気にかけてくれているんですか? てっきり」
てっきり、私個人のことを、好いてくれているんだと思っていたのに。
危ない。思わず口走ってしまう所だった。
「それは。担任教師として」
「それはネ、鬼籠野クン。りょーちゃんもキミと同じ、神社の跡取り息子だからだヨ」
先生の言葉をさえぎり、桂花さんが答えて来た。深緑の瞳がきらりと光る。
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