(6)あたしの●●にならない?
「さァ、羽ばたいてごらン?」
「くっ……!」
こちらも角道を開ける。角の成り込みを防ぐ手段は、向こうには無い。馬を作ってやる。
優勢のはず、なのに。一手指すごとに、焦りが増していくのは何故だろう。得体の知れない少女の将棋が理解できないから? それとも。
「何でよ」
姉との実力差を、否(いや)が応でも感じてしまうから、だろうか。
馬を作り、次に飛車成も確定する。対する木綿さんは、相変わらず平手のような駒組を進め、一見して隙だらけの陣形だ。負けるはずが無かった。
そうだ、彼女は単純に駒落ちの定跡を知らないだけだ。ここからなら、適当に指したって勝てる。そう思う、のに。
ばぢん! 再三の強打に、心が打ち砕かれそうになる。
駄目だ。どうしてだか、勝てる気がしない。何を指しても形勢が悪くなる気がして、思い切った手を指せない。一歩を踏み出せない。
こんな将棋があったなんて。知らなかった。
姉さんとも、先生とも違う。一方的に嬲(なぶ)るでもなく、かといって対話してくれる訳でもなく。
果てしなく広がる、砂漠のど真ん中に放り出された気分だ。
「あレェ? 迷子になっちゃったのかナ?」
私の胸中を見透かしたのか、木綿さんはケタケタと笑い声を上げる。まるで感情のこもっていない、無機質な音声を。まるで、事前に録音しておいた笑い声のデータを、再生しているだけのような。
あ──そうか。やっと気づいた。この子には、この子自身の心が無いんだ。
指し手に迷いが無いのも、強打なのも、平手と同じように指すのも。先程から感じていた違和感も、全ては。
彼女自身が、何も思考していないのが原因だ。
「貴女は、誰?」
この子は、操られている。恐らくは、鮮血のように紅く輝く瞳の主に。
盤上には、砂漠よりもなお広大な地平が広がっていた。
ぱちん。迷いを振り切り、駒を打ち下ろす。
しっかりしろ、あゆむ。惑わされるな。ここに在るのは、全て虚構だ。
「へェ? 気づいたんダ?」
彼女はニヤリと笑う。いや、本当は笑っていない。無理矢理に口角を吊り上げて、笑みの形を作ってみせただけだ。かわいそうに。
他人の身体を、勝手に操るだなんて。外道め、虫唾(むしず)が走る。
「でも、あたしが誰かわからないようじゃまだまだだネ。教えて欲しかったら、勝ってごらン?」
ばちん! 強打が私の攻めを止める。くそ、まだ届かない。龍と馬があっても、彼女の陣地から駒を補充できない。上手くかわされてしまう。
するすると、相手玉が逃げて行く。砂の中へと、逃げ込まれる。
駄目、入玉されたら終わりだ。駒落ちのアドバンテージは意味をなさなくなる。わかってはいても、止められない。安全地帯は、既に確保されていた。
最初から、狙いはこれだったのか? だから私の攻めをわざと通したのか? 私の陣地をがら空きにして、逃げ込む隙間を作るために?
今さら思い知るも、もう遅い。
くそ、これじゃ泥仕合だ。勝負がつかな──。
「半分正解。だけド残念、あたしの狙いはそれだけじゃなイ」
「……え?」
思わず、間の抜けた声が出た。
ばぢん! 放課後の教室に、一際大きな駒音が響く。
「将棋に勝つコツはネ、駒の”ぽてんしゃる”を最大限に引き出すことだヨ。そウ、全ての駒のネ」
「あっ……そんな……!」
そこまで言われて、ようやく気づく。
いつの間にか、私の玉の目前に、彼女の玉が迫って来ていたということに。
──全ての駒の性能を最大限に引き出す。その中には、守るべき存在であるはずの、王様まで含まれていたのか。
駒落ちだから仕方なく? 否。彼女は恐らく、平手でも同じことをする。やはり異常だ、この将棋は。
「さァ、一騎打ちといこうじゃン」
守備駒は、無い。入玉を食い止めようとした結果、陣形を大きく乱されてしまった。
持ち駒があれば、簡単に追い払える。だけど無い。歩一枚すら残っていない。全部、彼女の陣地に置いて来てしまった。
ごくりとつばを飲む。零距離での殴り合いなら、仕掛けた方が負ける。
駒を取られちゃ駄目だ。持ち駒を増やされたら、こちらの玉の逃げ場が無くなる。でも、勝つためには駒を取らなければ。取られずに取る? 格上相手にそんなの無理だ、必ずどこかで取り合いが発生する。
頬を、冷たい汗が流れ落ちた。指せない。これ以上、続けられない。
「……負けました」
ついに。心が、折れた。
「ハァ? 今何テ?」
「私の負け、です」
訊き返して来る彼女に、盤を見つめたまま答える。
負け。そうだ、活路を見出だせない以上、これ以上続けたって無駄なだけ。負けだ。認めよう。
「いやいヤ、何あきらめちゃってんノ? ここからが面白いんでショー?」
なのに彼女は、そんなことを言い出した。
面白い? 何がだ? 私が自ら凶器(自駒)をあんたに差し出す様を眺めて、悦に浸りたいのか?
彼女の言い方に苛立ちを覚えて、顔を上げる。どんな顔で言っているのか、見てやろうと思った。どうせ作り物の笑顔で嘲笑(あざわら)っているんだろうけど──。
「……え?」
きょとんとした表情の、木綿さんと目が合った。
「どうしたノ? まだ詰んでないヨ?」
不思議そうに、彼女は続ける。まさかの、素の反応? これは答えに困る。てっきり、馬鹿にされてると思ったのに。詰んでない。確かに詰んではいないけどさ!
「だ、だって。ここから勝てる気がしないし。一種の必至だよ、これ?」
「それは、あたしも同じじゃン?」
え? そうなの? 言われて改めて盤面を見つめる。彼女の玉の周辺には駒が少なく、逃げ場が多そうに見えたんだけどなあ。
「詰むヨ」
こうやってこうやって、と彼女は空中で駒を動かす真似をしてみせる。そんなことをされても私にはさっぱりわからなかったけど、彼女の真剣な表情から、嘘ではないのだろうと悟った。
勝ち筋は、あったのかもしれない。だけど、それに気づくことなく、私は早々に諦めてしまった。可能性を、自ら潰してしまったのだ。
それは、何だか……くやしい、な。
「ネ? だから続きヲ」
「ううん。私の負けだよ。もう無理だって、一度でも思ってしまったんだから。この一局は、貴女の勝ち」
「エー?」
心が折れた時点で、勝てる勝負も勝てなくなる。きっとこのまま続けても、今の私に勝ち筋を見出すことはできないだろう。
くやしいけど、認めるしかない。
──が、木綿さんは不満そうに頬をふくらませた。
「むゥ。だったらもう一局!」
「それは駄目。もうすぐ先生が来ると思うし……今のままじゃ勝てない」
私の返事が気に入らなかったのか。彼女はフンと鼻を鳴らして、
「あんな奴と指してたって、キミの棋力はすぐに頭打ちになるヨ。実にもったいなイ。せっかくの才能が、宝の持ち腐れサ」
などと、ありえないことを告げて来た。才能? 誰の? 私の? 馬鹿な。
それにこの子、もしかして先生のことを知っているのか?
「あいつのことは、奴が赤ん坊の頃から知ってるヨ。残念ながら、棋士としての才能には恵まれなかったガ。教育者としては、どうだろうネ?」
「素晴らしい先生だよ!」
ため息混じりのつぶやきに、思わず即答していた。私がどれ程先生の言葉に励まされたことか。彼との将棋は楽しかった。否定したくない。
「鬼籠野クン。キミが奴の肩を持ちたい気持ちはわかル。だけどネ、奴にキミの潜在能力を引き出せる力は無い。
さっき駒のぽてんしゃるの話をしたよネ? 人間だって同じサ。十分に能力を発揮できなければ、いつまでも盤の片隅で腐り続けるだケ。
キミはこのまま朽ち果てたいカ?」
「私に、才能なんて」
「あル」
私の言葉をさえぎり、彼女は断言して来る。相変わらずのイントネーションだけど、心なしか熱を帯びてきたように感じる。
「鬼籠野燐の力は、弟のキミにだってあル。力を発揮できないのは、姉へのコンプレックスで抑え付けられているからダ。もっと言えば、キミ自身が姉を超えることを恐れていル」
「……はぁ?」
木綿さんの言っていることは滅茶苦茶だ。私に姉さんと同じ力がある? あの、鬼とまで称された異能が?
ある訳がない。生まれてこの方、力の片鱗すら目にしたことが無いのだ。あると言われた所で、到底信じられない。
「そこで、素晴らしい提案をしよウ。あたしの眷属(けんぞく)にならないカ?」
彼女の言葉に、目を丸くする私。その反応を見て、彼女は薄く笑みを浮かべた。
……ところで、ケンゾクって、何?
「あたしなら、キミの棋力を最大限に高められル。強くできル。鬼籠野燐以上にネ。
どうかナ? 悪い話じゃないと思うケド」
それは、一見魅力的な提案だった。
姉さんより強くなれる? それが本当なら。
私には才能が無いと思い込んでいたけど。もし木綿さんの言うように、私にも人を超えた力があるのなら。欲しいと思った。姉さんのようになりたいと──。
ドクンと、心臓が跳ねる。
許さないと、耳元でささやく声が聞こえた。
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