(5)ライバル登場?その二

 伏竜稲荷神社、秋祭り将棋大会。決勝戦の幕が、今上がる。

 本当なら私は、修司さん達と同じチームで出場するはずだった。それがどうして、こうなったのか。

 ぐちゃぐちゃになった気持ちは、まだ上手く整理できていない。こうなるのは必然だったのか、それとも。


「迷いを捨てろ。俺に勝ちたいのなら」


 盤上を注視したまま、修司さんがそう告げて来る。私の敵だけど、彼の声はおだやかだった。

 平常心。将棋指しにとって、最も重要な心得を思い出す。さざ波一つ立たない水面を想像し、常に沈着冷静であれ。先生が教えてくれたことだ。

 修司さんは、どこか先生に似ている。


「昔のことを、思い出しました」

「昔? 俺とお前が対局した日のことか?」

「いいえ。もっと前、私が将棋を始めた日です」


 かぶりを振って答えると、修司さんは顔を上げた。黒真珠のような光沢を放つ両の眼(まなこ)が、私をまっすぐにとらえる。それは興味深いな、と彼はつぶやきをもらした。


「俺は道場のお前しか知らない。良かったら教えてくれ」


 盤上には、整然と並べられた駒達が、今か今かと出番を待っている。早く対局を始めたい気持ちもあったけど、対局相手である彼がそう言うならと、話し始めた。

 幸いにも、ここに姉さんの姿は無い。言っても差し支えないだろう。


「なるほど、そういうことだったのか。だから燐は、お前に固執していたんだな」


 私の説明に合点がいったのか、彼はうなずきを返して来る。

 単なる姉弟関係にしては、あの執着はいささか度が過ぎているように見えた。そう言って、修司さんは苦笑いを浮かべた。


「弟を所有物扱いとは。傲慢ここに極まれり、だな」

「周囲が助長させていたせいもあります。みんな、姉さんの力におびえていたんです」


 一族の中で最も濃い血を受け継いだ姉さんは、神にも通じる人外の力を持っていた。鬼の姫と持て囃(はや)されて育った彼女はいつしか、自分は他人とは違う、特別に選ばれた存在だと思うようになった。


「お前は、嫌じゃなかったのか」

「嫌も何も、当たり前のことだと思ってましたから。そう、教えられて育ちましたから」


 私の返答に対し、修司さんは「そうか」と相づちを打つ。納得はしていないようだけど、とりあえず話を先に進めても良さそうだ。


「先生は、そんな私を変えようとして下さいました。今の私が在るのは、あの方のおかげです」

「その辺りも気になる所だ。担任が、そこまで一人の生徒に入れ込むものなのか」


 少なくとも俺の人生経験の中では、教師との接点はそう多くなかったと、修司さんは続ける。

 それは、先生に恵まれていなかったのでは……あるいは、修司さん自身が近寄りがたい雰囲気をかもし出していたんじゃ、と思わなくもないけど。

 確かに、先生は私に優しかった。


「お前に、特別な感情を抱いてたんじゃないか?」

「まさか」


 即座に否定する。それは無い。私が誰かに好かれるなんて、あるはずが無い。

 修司さんは「ふむ」とつぶやく。


「まあいい。六枚落ちでとはいえ、初勝利をきっかけに、将棋の虜(とりこ)になった訳だな?」

「その時点では、虜になる程ではありませんでしたが。もう一度、指してみたくはなりましたね」


 本格的にハマったのは、いつ頃だったか。放課後の教室で、先生と二人きりで指す将棋は確かに楽しかった。だけどそれは、彼と共通の秘密を持てたことへの喜びが大きかった気がする。将棋はあくまで、先生とのコミュニケーションツールに過ぎず。私は、彼以外と指したいとは思わなかった。

 転機となったのは、確か──。


 その日は、あいにくの空模様だった。厚みを増して来た黒雲を眺め、塾に行く前に降り出さなければ良いけどとため息をつく。

 放課後の教室、独り先生を待つ。急な職員会議で、少し遅れるとのことだった。はやる気持ちを抑え、詰将棋のハンドブックを開いていると。

 それは突然、姿を現した。


「キミが鬼籠野クン?」


 独特なイントネーションで声を掛けられ、顔を上げる。見知らぬ女子生徒が、教室の入り口に立っていた。

 誰だ? と思う間に気づく。彼女の瞳が、紅い輝きを放っていることに。姉さんと同じ──いや、違う。

 姉さんのは、燃える炎の色だ。だが、目の前に居る女子の瞳からは、熱を感じない。氷のように凍てついている。


「そう、だけど」


 姉さんとは違う。けど、この子も普通じゃない。背筋に冷たい汗が流れる。蛇ににらまれた蛙の気分だ。


「うわァ、良かったァ! 会いたかったんだよネ!」


 口角を上げて、彼女は喜びを表現する。無理矢理に、表情筋を吊り上げて。だけどその眼は笑っていない。私をとらえて離さない。


「私に、何の用?」

「キミに興味があってネ。ちょいとあたしに付き合ってくれないかナ?」


 そう答えながら、少女はこちらに近づいて来る。逃げ出したい気分だったけど、残念ながら入り口は彼女の向こう側にある。相手をせざるを得ない。

 こんなことなら、護身術でも習っておけば良かった。


「付き合うって……?」

「キミ、将棋するンでショ?」


 彼女の返事に、ハッと気づく。今まで彼女の眼にばかり気を取られていたけど、その手には折り畳み式の将棋盤が、しっかりと握られていた。

 将棋。どう見ても普通じゃないこの子は、私と将棋を指しに来たというのか? でも何で私と? 私なんて、未だに駒落ちで先生に勝てない程度の棋力なのに。

 正直に言うと、この子とは指したくない。気味が悪いし、何より、先生以外の人と指す勇気が無かった。

 だけど、私に拒否権は無いのだろうと理解していた。長年姉さんの付き人をやって来たからわかる。この手の人種には、話が通じないのだと。


「あたしに見せて欲しいナ。鬼籠野クンの将棋ヲ」


 ばさっ。机の上に、将棋盤が無造作に広げられる。その勢いで詰将棋のハンドブックが落ちてしまったが、彼女が気にする様子は無い。ため息をつき、本を拾い上げる。


「……一局指したら、出て行ってくれる?」

「イイヨ。キミが勝てたら、ネ?」


 また、笑う真似をする少女。どうやら、棋力に自信はあるらしい。

 いよいよもって、彼女の目的がわからない。どうして私なんかと? 私より強い人は、そこら中にゴマンと居るだろうに。

 いや、そもそも何者なんだ? この学校の制服を着てはいるが、全く見覚えが無い。明るい栗色の髪で顔立ちも良いから、印象に残りやすいと思うが。

 名札には『木綿麻山』と書かれている。

 もめんあさやま? 多分違うと思うが、他に読み方が思いつかない。仕方ないので『木綿さん』と呼称する。

 ドカッと派手な音を立て、向かい側の椅子に腰掛ける木綿さん。先程将棋盤を広げた時といい、勢いがあるというか──どうも、加減がわかっていない気がする。


「何枚落ちでやル?」

「……平手で構わないけど」


 最初から格下に見られていることに少しムッとして私が答えると。カカカカと、抑揚の無い変な声で笑われた。

 彼女の陣地から、飛車、角、それに二枚の香車が取り除かれる。訊いてみただけで、私に選ばせる気は無かったようだ。

 それにしても、まさかの四枚落ちとは。ずいぶんと舐(な)められたものだ。


「さア! やろッカ!」


 ばぢん! 静かな教室に、耳ざわりな駒音が響く。どうやら、駒を落とした方が先手というのは知っていたようだが……いささか強打が過ぎる。


「──って」


 彼女の指し手に、思わず目を丸くする私。飛車先の歩を突いてきた? 駒落ちで、飛車も無いのに? 舐められているのか? それとも、私が知らない何かの作戦なのか?

 わからない、けど。向こうがその気なら、こっちだって。飛車先の歩を突いてやる。

 それは、軽い気持ちだったが。


「あっ……!?」


 指した瞬間に、ぞくりと全身を悪寒が駆け抜けた。

 な──んだ、今のは?

 駒をつかむ指先が、カタカタと震えている。早く手を離さないと。でも、怖い。きっと後悔することになると、直感が告げていた。


 だけど。じゃあ、どうしろと言うんだ? 飛車先の歩を突く一手は極めてポピュラーなもので、私には何がまずいのかも理解できない。そんな状態で、他の手を探せと言われても。

 こんな時、姉さんなら。迷うことなく、自分の信じる一手を放てるんだろうな。

 苦笑し、次にため息をつく。私には、無理だ。


 駒から指を離す。私は姉さんのようには指せない。ならば、背伸びをせずに、やれるだけのことをやるまでだ。

 顔を上げると、少女はちろりと舌を出していた。


「キミの将棋はサ、誰かの影におびえているようだネ」


 ばぢん! またしても力加減を知らない強打が来る。風圧で、体が吹き飛びそうになった。


「そんなんじゃ、いつまで経っても羽化できないヨ?」


 放たれたのは、角道を開ける一手。角は無いというのに。

 彼女の指し手は早く、一切の迷いが無い。駒落ちだからと言って、平手と手を変えて来ることも無い。

 理解の範疇(はんちゅう)を超えている。この子の将棋は、異常だ。

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