(18)切り札

「なんと無様な。恥を知らないのですか、貴女は」

「あんたにだけは言われたかないよ」


 侮蔑の視線を向けて来る雫に、私は苦笑混じりに答える。

 地面に這いつくばり、泥水を啜(すす)りながらも、虎視眈々と反撃の機会を狙う。彼女からすれば、弱者の悪あがきのように見えたことだろう。

 それでいい。


 背伸びしたって良いことない。私には彼女やほのかのような、華のある将棋は指せない。 大地に縫い付けられた龍のように、ジタバタともがき続けるのみだ。無様で大いに結構。私には、これが最善だ。

 ただの悪あがきと侮ってくれれば幸い。さあ、存分に攻めて来るが良い。バタつく脚でも、当たると痛いぞ?


「引導を渡して差し上げましょう」


 ばちん! 再度、嵐が来る。かわす、ひたすらかわす。のらりくらりと、風に乗って流される。決して反発はしない。通常は玉を守るために囲いを保持しようと努める。が、伏竜四間では囲いに拘らない。無理に受けず、逃げ道の確保を優先する。

 受けたところで、どうせ突破されるのだから。


「ちょこまかと……!」

「や。王様が捕まったら負けだし、そりゃ逃げるっての」


 思わず毒づく雫に、軽口で答え。私は全力で逃げに徹する。平然と泥の中にも潜る。小綺麗な棋譜など残さない。捕まえられるものなら、やってみるがいい。

 一見追い詰められているのは私の方だが、その実はどうかな?


 堅実に囲い合った将棋では、こうはいかない。敵の攻め駒に包囲され、しまいには自分の駒までが退路を塞ぐ邪魔駒となる。

 固さよりも攻防のバランスを重視した、耀龍四間飛車からの派生形だからこそ。加えて、相手が竜ヶ崎だからこそ成り立つ戦い方だ。


 果てなき根比べ。

 雫。あんたは我慢強い方かな?


「いい加減に観念なさい。みっともないですよ!」


 バチィィィン!!!

 一際大きな駒音を立てて、彼女は桂馬を跳ねて来た。私も人のことは言えないけど、気が短いタイプのようだ。

 指してから、ハッとしたように慌てて手を引っ込める雫。


 この時を待っていた。

 竜ヶ崎の将棋は、攻めさせてから本領を発揮する。


 指し過ぎで前のめりになった彼女の陣地に、攻め駒を送り込む。

 寄せ切れるかどうかは正直わからない。けど、千載一遇の好機であることは確かだ。

 怒りで我を忘れた雫の陣形は、大きく乱れている。かろうじて保持されていた均衡が今、ガラガラと崩れ落ちた。


 ──その時。彼女は、狐面を外した。


 血の気の無い、青ざめた素顔。まるで人形のように整った顔立ちは、様々な感情によって醜く歪められている。銀色の冷たい光を放つ双眸が、私を捉えて離さない。

 ようやく姿を現したか。今まで仮面の中に隠されていた、本当の竜ヶ崎雫が。


「私に敗北は許されない」


 彼女は、四十禍津日を手に取った。


 どす黒い瘴気が、巻物から立ち昇る。一体何人の怨嗟を食らって来たのだろう。所詮は写本に過ぎないはずなのに、凄まじい威圧感を抱かされる。

 もはやヨガッピなどと軽くは呼べない。追い詰められた狐は仮面を脱ぎ捨て、最後の切り札を解き放ったのだ。


『すまんな、嬢ちゃん』


 頭の中に、あの男の声が響く。


 あの男──四十禍津日に宿りし自我。嫌味な性格だが、個人的にはそんなに嫌いではなかった。良くも悪くも裏表が無く、あけすけで。恐らくベースとなったのは、棋書を作成した人物の性格だろう。


『何だ。勘付いていたのか』


 わざわざ棋理に反する棋書を遺すくらいですから。どんな奴か、大体想像つきますよ。


 きっとそいつは、私みたいな奴だ。

 世の不条理を憎み、自分よりも強い棋士に嫉妬して、元々は好きだったはずの将棋にまで逆恨みして。いい加減性根が捻じ曲がった頭で、鬱憤を晴らすために書いたのが、四十禍津日の原典。

 そいつは私より遥かに強かったが、精神的には大差無かったのだろうと判断する。


『随分と手厳しいな』


 男は苦笑するも、反論はして来なかった。

 恐ろしいのは、その程度の気持ちで書いた『落書き』が後世まで残り、伝説の棋書として大衆の噂話にまでなってしまっているということだ。

 悪意は徐々に増幅され、現実に影響を及ぼし始めた。犠牲となった者の恨みを吸収し、更に棋力を増していき。

 そして今や、四十禍津日『当人』にも制御不可能な状態になってしまっている。だからこそ竜ヶ崎の当主は、危険極まりない原典ではなく、写本を雫に託したのだろう。愛する娘が、闇に飲み込まれぬように──自分と同じ過ちを犯さないように。

 違いますか?


『残念ながら、貴様の言う通りだ。儂(わし)の原型(オリジナル)は”棋の根源”へと到達し……発狂した』


 今度ははっきりと肯定される。発狂したと来たか。

 棋の根源とやらが何なのかは明確ではないが。きっと世の中には、知らない方が良いこともあるのだろう。


 それにしても。貴方とは今日初めて会ったはずですが、どうして私のことをご存知なのですか?


『儂は真に全知の存在。多次元から情報が集まって来る』


 なるほど。いわゆる一つの、ご都合主義って奴ですか。


『黙れ。貴様が何者であるかは、一目見て察したわ。起源は異なっているが、貴様の”軸”は雫と同じ。雫の模造品と考えれば、合点が入った』


 へぇ、ご明察の通りで。

 ──って、そんなにアレと似てます? 私の方が、少しは可愛げがあると思うんですけどねぇ。


『減らず口を叩いている暇は無いぞ。雫が儂を発動させてしまった以上、貴様の死は絶対だ』


 あらあら? 心配してわざわざ声を掛けて下さったので?


『今生の別れだ。最後に一言、挨拶くらいはしてやろうと思ってな』


 実は善い人なの……?

 そうですね。勝っても負けても、これでお別れです。お気遣い、どうもありがとうございました。


『哀れな模造品よ。さらばだ。誰からも望まれぬ仮初の生に、終止符を打つが良い』


 ええ。せめて最期は華々しく、盛大に散ってみせましょう。

 さようなら、四十禍津日。


 ──ぱちん。


 駒音が、静かな室内に響く。

 先程とは打って変わって、恐ろしいまでに落ち着いた指し手だった。

 盤上に、瘴気が満ちる。


 いや、盤上だけではない。対面に座する女の全身を、漆黒が彩る。これが、本気の竜ヶ崎雫なのか。


「貴女は、園瀬仄華ではない」


 双眸は闇よりもなお昏く、それでいて一切の澱みなく透き通っている。見透かされる、私の全てが。

 嫌がってたけど、ついにお出ましか。深層の雫さん。


 さあ。対話を始めようか。

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