(16)刻み込む
『よし。じゃあ私は、明鏡止水の段階を上げてみる』
あ、『極』は温存しといて下さいよ? 消耗が激し過ぎてすぐにバテちゃいますから。
『うん、わかってる。伶架さんと戦った時のでやってみる』
私も、棋力を解放してみます!
はあああああっ! んごごごごっ! どりゃあああっ!
よっしゃあ! 心なしか棋力が上がった気がしました! 何一つ良い手は思いつかないけども!
『うーん。例えば、こんな手はどうかな?』
ふむふむ。ダンスの歩大作戦ですか。いいですねそれ! やっちゃいましょうイケイケゴーゴー!
『相変わらずノリが軽いなあ……』
ふっ。金銀よ踊れ、我が意のままに。
ぱちんぱちんぱちんぱちん! 歩で追い回し、金駒の位置を少しずつズラしていく。相手玉への道のりが、段々と開けて来る。
さあ、そろそろ踊(ダンス)っちまう頃合いじゃないか? 不運(ハードラック)を嘆いても、もう手遅れだ!
『それ言いたかっただけだよね』
とにかく、大チャンスです! 思い切って踏み込みましょう! 罠の可能性は高いですが、私達らしい手を指すってことで一つ!
『え? いやでも、やり過ぎは。相手の手も考えて──』
嫌だ! 私はほのかに褒めてもらうんだー!
ばちん! 勢いのままに駒を打ち込む。
くすり、と狐面の奥で、雫が嗤(わら)った気がした。
……あ、これアレだ。指した後で悪手に気づくパターン。
やっば。まんまと罠に引っ掛かっちゃった。
『棋は対話なんだよ、雫さん。自分の指したい手だけを選んでも勝てない。相手の指し手も予想しないと』
そりゃそうですけど、相手は竜ヶ崎ですよ? 予想したって当たりっこないと思うんですけどー。
『だから、二人で一緒に考えようよ。向こうの雫さんに対話する気が無くても、私達二人はできるでしょ?』
ははあ。それならば確かに。
『それに、貴女は雫さんの人生を追体験したんだから、ある程度雫さんの考えそうなことが予測できるはずだよ』
別人ですけどね。ま、試しに予測してみますか。
深層意識の中で、掴んだ腕の感触を思い出す。そうだ、私と雫は繋がっている。腕を千切ったからって、魂の結び付きまでは切り離せない。
雫の将棋は歪んでいて、悪意に満ちている。当然対話するつもりなど一切無く、ギリギリまで好きに攻めさせてからひねり潰す。恐らくは、彼女の父親の影響を強く受けているのだろう。
そうだ、記憶の中で散々食らって来た、あの将棋だ。対局相手の心をいかにへし折るかに特化した、鬼畜外道の所業。きっと、本物の雫は『及第点』などと言われたことも無いんだろうな。超が付く程の優等生ちゃんだ。
食らって来た、その経験を今こそ活かせ。次に雫が仕掛けて来そうな手を見抜き、事前に対処するんだ。棋力では遠く及ばなくとも。
この場に居る者の中で唯一私だけが、竜ヶ崎攻略の糸口を掴んでいる。勝敗の行方は、私の判断にかかっているのだと悟った。
『そうだよ、雫さん。頼りにしてるからね』
正直、プレッシャーは半端ないけど。香織さんに必要とされているのだと思うと、悪くない気がした。
お任せあれ。魅せて差し上げますよ!
盤面を逆にして考える。記憶の中では、私は向こうの雫と同様の手を指していた。本当なら、ほのかがこちら側に座っているはずだったのだ。
だけど、彼女は今居ない。なら、代わりに私が指してやらなければ。
見慣れた陣形、やられて嫌だった手を思い出せ。ほのかの指し回しを、私が再現してみせるんだ。
「何をしようと無駄なこと。一度仕掛けに絡まった以上、絶対に逃れられませんよ。あがけばあがく程、深く食い込んでいくことになるのです」
優勢を確信したのか、雫が冷たくそう告げて来る。確かに私は、勢いに任せて攻め急ぎ、深みに嵌(は)まってしまった。軽率だったと、潔く認めよう。
だけど。将棋に、絶対は無い。
敵の悪意を利用する。破廉恥にも絡み付いて来るというのなら、私自身を軸として、巻き取ってやる。
──というのはどうでしょうか、香織さん?
『何それ、面白そう』
ですよね! 名付けて綿菓子殺法です!
『……ふわっとしてそうだね』
柔よく剛を制す。竜ヶ崎の理不尽を、柔らかく包み込んじゃいましょう!
ぱち……ぃぃん……。
本殿内に、駒音がやけに長く響き渡った。私の指した一手を、食い入るように見つめる雫。どうやら、彼女の読み筋には無い指し手だったようだ。最善手を探し出そうと、盤面を睨み付けている。
どぉだ、恐れ入ったか! これが私達の将棋! 最後まで諦めない、起死回生を図る一撃だ!
「何をしようと、無駄なことです」
長考の末に、雫は咎(とが)める一手を放って来た。
よし、いいぞ。上手く釣れた。無視されたらどうしようかと思っていた所だ。
回せ回せ、とにかくかき回せ。悪手を好手に、劣勢を優勢に。決着をつけたい心理を、逆に利用してやるんだ。
「──勝ち組の新妻風情が、この一局の”勝ち”までも、私から奪おうというのですか」
数手進めた所で、形勢が徐々に傾きつつあることに気付いたのか。彼女はぽつりと、そんな呟きを漏らした。
はあ、と私は盛大にため息をつく。この期に及んで、恨み言とは情けない。こんな奴の記憶から生まれたのかと思うと、涙が出そうになる。
「あのね。私は勝ち組なんかじゃないよ。あんたと同じ、生粋の負け組さね」
「嘘。修司さんの愛情を一身に受けているくせに」
「ははっ。受けてない受けてない。修司さんの愛は、常に香織さんだけに向けられているんだよ。私は、残念だけどお呼びじゃないんだ」
私の返答に、眉根を寄せる雫。どうやら、深層領域の彼女からは何も聞かされていないらしい。そう言えば、めっちゃ表層に出るの嫌がってたもんなあ、彼女。腕まで千切っちゃってさ。
「貴女は──香織さんでは、ないのですか?」
「……私は」
問い掛けて来る雫に、どう答えるべきか一瞬迷う。実は私も竜ヶ崎雫なの、と答えるのは余計彼女を混乱させるだけだし。かと言って、他に呼び名がある訳でもないし。
名前、か。どうせ消える運命だし、好きなように名乗っても良いのかもしれない。
だったら。痕跡を残したいと思った。
本物の、竜ヶ崎雫の心に。あの子の、本当の名前を。
大きく息を吸う。ここは噛まずに言い切りたい所だ。
「私は、園瀬仄華」
一文字一文字を、できるだけはっきりとした発音で、丁寧に。息を吐き切るのに合わせて、名乗り終わった。
「そのせ、ほのか……?」
「イエス。漢字だと、ほのぼのの”仄”に、華々しいの”華”と書くわ」
「仄華」
雫は復唱し、胸の辺りを手で押さえる。正確に刻み込んだか? 二度と忘れるなよ?
あんたはあの子の存在を知らないけど。現在の時間軸で、あの子が誕生することは恐らく無いだろうけど。
それでもあんたは、知っておかなきゃならない。
娘の、名前を。
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