(15)らしくない
それにしてもまさか、元々は香織さんを倒すために開発した竜ヶ崎流耀龍四間飛車で、彼女を助けることになろうとはね。運命とはかくも皮肉めいたものかと苦笑する。
盤上では、駒達が七色に輝いている。相手の指し手に応じて、如何様(いかよう)にでも、自在に変化する陣形。私達の求めた理想形が、ここにはあった。
観ていなよ、ほのか。
貴女が出られなかったこの大会。私が優勝してみせる。
大丈夫、きっと大丈夫だから。大船に乗った気持ちで、応援だけしてて頂戴。
「何ですか、その囲いは」
ぱちんと銀を取りながら、雫は陰気な声を上げた。
「伏竜の気配を感じる。気持ち悪い」
彼女は吐き捨てて来る。
睡狐の巫女たる雫にとって、仮にも『龍』の名を冠するこの戦法は、嫌悪感を伴うものであるようだ。
──いやそんなこと言ったらあんさん、名前に思いっきし『竜』入ってますやん、とツッコミたくもなるが、空気を読んで我慢する私。
ともあれ、苦手意識を抱いてくれるなら僥倖(ぎょうこう)だ。そのまま詰まされてくれ、お願いお稲荷。
「格好良いでしょ? 私とほのかの友情パワーが生み出した新戦法よ」
「……ほのか?」
私の言葉に、首を傾げる睡狐の巫女。あれ、もしかしてご存知無い?
ああ。やはりあの子は、現実に存在する訳ではないのか……?
『え? どういうこと?』
いやまあ、私は間違い無く会ってるんですけどね。追体験の中で。
多分それは、園瀬香織が竜ヶ崎雫の視点で、雫の人生を振り返った影響で。本来の時間軸では、雫はほのかに会ってないんだと思います。
じゃあほのかって何者なんだ? って話なんですけど。
ネタバレになるので、ここは一旦伏せておきます。
『ちょっ!?』
はいはい。
ちょいバラししますと、『伏竜の巫女』です。
『ふくりゅうのみこ? そんなの居たんだ?』
や、私も本人から聞くまで知らなかったんですけどね。言われてみれば当たり前の話で、睡狐と共に祀(まつ)られている伏竜にだって、巫女は必要なんです。
『そうなんだ? 封印されてるから要らないのかと思ってた』
それ、伏竜が聞いたら天変地異引き起こしちゃいますよ?
まあとにかく、昔は伏竜の巫女なる者が居たそうです。ところが現在は居らず、誰もその存在を覚えていない。恐らくは、睡狐の介入があったのだろうと予想しますが。
ほのかは、絶滅したはずの伏竜の巫女でした。
『ふうん。……あ、王手来たよ』
ぱちん。
不愉快に感じながらも、攻撃の手を緩めない雫。
遠見の角とは、なかなかにイヤらしい。薄い囲いだから、どうしてもこういうのは避けて通れないんだよね。もっとも、向こうさんのはもっと薄いけど。ペラペラのハリボテみたいに。
無理に受けず、軽くかわす。戦力を攻撃に集中させる。
露骨なチャンスは罠と見て、踏み込んだ手は指さない。じっくりと押し潰す。
どうだ、私にだってこのくらい手堅い手は指せるんだぞ。何もさせずに、ぺちゃんこにしてやる。
『ねぇ、雫さん』
数手進めた所で、香織さんに声を掛けられた。はい何でしょう? 対局中なので手短にお願いします。
『何か……あんまり面白い指し方じゃないね』
──え?
『私達らしくないっていうか』
上手く言えないけど、と彼女は続ける。いや、らしくない、って言われても。向こうの方が地力で上だし、ヨガッピなんてチートアイテム持ってるし。いくら明鏡止水を発動させてるからって、迂闊な手は指せないですしおすし。
『うん、確かにそうなんだけど。どこかで思い切った手を指さないと、勝てないと思う』
にゅーん。そゆこと言う?
思い切った手と言われても……これまでの負け組人生の中で、それをやって勝てた試しが無いんだけど。まあ、堅実に指しても結局負けるんだけどさ。
だったら貴女が次の手を考えて下さいよ、香織さん。私達らしい手ってヤツを!
『わかった。でもできれば、一緒に考えて欲しいな』
はあ、構いませんが。負け組のどどめ色の脳細胞で良ければね。
その代わり、私の提案した手にあーだこーだ文句言わないで下さいよ? チキンハートがしなしなに萎(な)えますからね。
『そんな、自信を持ってよ。貴女だって、ほのかちゃんと猛特訓して来たんでしょう?』
それはもちろん。指タコできる程に駒を打ちまくりました。
対局数だけなら、有段者にも負けていない自信がある。残念ながら、中身が伴っていないけれど。
特訓と言いながらも、基本的に私はボコられる方だ。ほのかの将棋は『まとも』で、まっすぐで、清々しい程に基礎に忠実だった。長い年月をかけて先人達が構築して来た定跡に、ポッと出の邪道が勝てる道理は無かったのだ。
……あ。でも一度だけ、勝ったことがあったっけか?
その日の私は冴えていて、彼女の陣形の中に、普段なら見逃すような微細な隙を見つけることができた。ホント、歩一枚通るか通らないかくらいの小さな隙間だった。
けれど、攻めを通すには大駒を全て捨て去る勇気が必要だった。反撃を食らえば即死。私は迷い、一度は諦めかけたが。
ほのかと、目が合った。
練習とはいえ対局中だからか、彼女は言葉を発さなかった。それでも、視線を通して気持ちが伝わって来た。
駒を持つ手に、ずしりと重さを感じた。次の一手で勝負が決まるのだと直感した。
臆して好機を見過ごせば、確実に負ける。ならば、大駒をぶった切ってでも、一か八かの勝負に賭ける方がずっと良い。
ばちん!
力強い駒音が、静謐(せいひつ)な本殿内に響く。爆ぜたのは彼女の陣か、私の心か。飛車角が躍り、守備駒を剥ぎ取る。代償に二枚とも歩で取られてしまったが、気にしない。
一歩を、成り込ませる。
ほのかは受けようとするも、間に合わない。いや、間に合わせない。荒波に揉まれて誕生したと金は、何者をも寄せ付けない強靭さを有していた。
「負けました」
頭を下げるほのか。一滴(ひとしずく)の煌めきが、盤上へと落ちた。
涙? でも、どうして? そんなに負けたのが悔しかったの?
頭に浮かんだ疑問は、
「さっきの一手、ものすごく格好良かったです!」
称賛の言葉にかき消された。喜びに頭が満たされていく。誰かに褒められるのって、悪くない気分だな。
今まで私は、対局に勝つことのみを求められて来た。敗北は許されず、いわゆる勝負手の類は、勝率を下げるものとして封印された。父との将棋は義務であり、時として苦痛を伴うものだった。
けれど、ほのかとの将棋は違う。負けっ放しだったけど、楽しかった。心が通い合っていたからだと、今になって思う。
そんな彼女に奇跡的に勝てて、褒められて、私はすっかり舞い上がってしまっていた。彼女の涙の意味を尋ねることも無く、時は流れ去った。
どうして忘れていたんだろう。
あの一手の感触。勝利に導いてくれた、駒の重みを。
『雫さん。将棋は楽しんだ者勝ちだよ』
ふっ。異論はありません。
では、楽しみますか!
ついでに本物の雫の奴にも教えて差し上げましょう。将棋の楽しさ、醍醐味を。
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