(12)接敵

 ──ふと、香織さんと初めて会った時のことを思い出す。

 あの時は、噴火しそうになる黒い感情を抑えるのが大変だったな。


 白眉丸からの報告で、心変わりした香織さんが将棋を始め、修司さんと復縁したのは知っていた。更に、我が神社の秋祭り将棋大会に団体出場を決めたことも。

 情報として知ってはいたけど、二人揃って参拝に現れた時は、ショックだった。


「雫様」


 不安げに私の名を呼ぶほのかに、大丈夫と伝える。


「ここは私が。貴女は待機願います」

「でも……何だか、怖いです」

「大丈夫。何も起こらないから」


 彼女が観ていると思うと、少しだけ気が楽になれた。ほんの少しだけ、勇気をもらえた。絶望に押し潰されそうになる心に、喝を入れる。

 負けるものか。夫婦だから、何だと言うんだ。愛の強さなら、負けていない。


「こんにちは。道場の方ですね?」


 平静を装い、参拝を終えた二人に声をかけた。

 私が居るとは思わなかったのか、修司さんは目を丸くする。可愛い。

 一方の香織さんは、不思議そうにこちらを眺めている。間抜け面(ヅラ)め。


「あ、はい、そうです。よくわかりましたね」

「ええ。匂いがしましたから」


 匂い? と小首を傾げる彼女。

 とても異性を誑(たぶら)かせるような『お利口さん』な悪女には見えないが。顔立ちも控え目に言って並程度だし、スタイルが良い訳でもない。

 こんなのでも、ウブな修司さんは騙されてしまうのか。可哀想に。


「狐は嗅覚が鋭いんです」


 そうだ。腹いせに、少しからかってやるとしよう。

 二人を交互に指差し、私は続ける。


「貴方がたは、夫婦ですね? お揃いの石鹸の匂いがします。この香りは好き。落ち着いた、優しい匂いです」

「え、凄い! 本当に匂いでわかるの?」

「はい、もちろんです。私は狐の化身ですから」


 もちろん、私にそんな能力は無い。

 本当は、狐の化身でも何でもないのだから。


 化身とは、レンのような唯一無二の存在を指すのだろう。私はあくまで睡狐様を奉る巫女の一人に過ぎない。私にできるのはせいぜい、手駒を使って情報を得ることくらいだ。

 そうとも知らず、お間抜けさんは大いに驚いてくれている。恐れ入るがいい。


「雫さん。あまり妻をからかわないで下さい」


 そこへ、見かねて修司さんが割って入って来た。

 直射される鋭い視線に、心臓が跳ねる。

 わあ! やっぱり失神しそうになるくらいに格好良いなあ! ああ、そんなに見つめないで──いいえ、もっと私を見て。遥かな昔に貴女と結婚する約束まで交わした、竜ヶ崎雫という名の女を。

 私を少しでも哀れだと思うなら、今すぐその人と別れて付き合って下さい。宜しくお願いします。


「ふふ。私のことはスイコちゃんとお呼び下さいな」


 思わず漏れ出そうになる本心をお面に隠し、私はキャラに成り切ろうと決意する。そうだ私はスイコちゃん。着ぐるみじゃなくても神社のマスコットなんだ。可愛いでしょ? だからもっと、私を見て欲しい。


「睡狐はこの神社に眠る狐の名前だ」


 ぽかんと間抜け面を晒す香織さんに向かって、すかさず修司さんが説明を入れる。なんて優しい御方なんだ。


「この神社のマスコットはその睡狐をゆるキャラにしたスイコちゃん。で、スイコちゃんの中の人がこちらの女性、竜ヶ崎雫さんなんだ」


 あ! 今、私をフルネームで紹介してくれた!

 嬉しい……大好き!


「はあ、そうなんだ──って、しゅーくん何でそんなに詳しいの?」

「う。それは」


 お茶を濁すように無粋な質問を投げかけるボンクラ妻に、言葉を詰まらせてしまう修司さん。可哀想。


「修司さんはよくこの神社に来て下さっているんですよ。大会が近い時とか、熱心に祈ってらっしゃいました」


 この女は、彼の苦悩も知らずに、一丁前に妻を気取りやがって。思い知らせてやる。


「……それから、奧さんと上手くいかなかった時も。僭越ながら、ご相談に乗らせていただきました」

「えっ!?」


 私の一言に、彼女は目を丸くした。

 ふん、どうだ言ってやったぞ。ざまあみろ。


 ざまあみ──と思った矢先に、修司さんが顔面蒼白になっているのに気づく。

 ああっ!? もしかして、やり過ぎちゃいました?


「どうやら、今は大丈夫みたいですね」


 慌ててフォローを入れるも、時既に遅し、なのかもしれない。

 香織さんが修司さんをにらんでいる。マズい、話題を変えなければ。私が毒妻から彼を守るんだ。


「あ、そうそう。これをどうぞお持ち帰り下さい」


 冷静さを装い、一枚のチラシを彼女に手渡す。彼らが出場予定の、秋祭り将棋大会の案内状だ。これでも読んで修司さんから離れろ、寝取り女め。

 彼女は素直に受け取り、しばしの間眺めていたが。

 ──ぐしゃ。うわ、無言で握り潰された。

 何かめっちゃにらまれてる。こっわ! 何よ、何で怒ってるのよー?


「あら? どうされたんですか?」

「デートなんてさせません。しゅーくんは私のものですから」


 臆するな、この女にだけは負けちゃ駄目だ。

 私の至極もっともな問い掛けに、彼女は不可解な回答をして来た。はて、デートとな? 一体何を言っているんだこいつ。私と修司さんがデートって、ヤバくない?

 ちょっと想像してみただけで、頭がフットーしそうダヨォ! になってしまう。極楽浄土はこんなにも近くに在ったのか。神社だけど。

 ──あ。もしかして、優勝者に与えられる例の券のこと? スイコちゃんと一日デートできる券。

 つまり、大会で修司さんが優勝すれば、彼は私と……! おおっ、ナイスヘブン!


「いけませんね。旦那さんは奥さんのものではないですよ?」


 ゴクリと唾を飲み込み、香織さんに視線を向ける。私の些細な幸せをも認めないこの女は、やはり敵だ。

 今、はっきりと認識した。こいつを排除しない限り、幸福な未来は永久にやって来ないのだと。

 倒す。将棋大会で、ギッタギタにぶちのめしてやる。完膚なきまでに。


「ああそれと、優勝する前提で話をされてますけど」


 思い切って、狐面を外す。宣戦布告をするのに、仮面は邪魔だ。人前で外しちゃダメとか注意されてた気がするけど、そんなの関係ねぇ。

 私の素顔を見て、香織さんは息を呑んだ。ふん、どうせ可愛げの無い淡白面とか思ってるんでしょ? お間抜け面さん。


「貴方がたは、果たして私達に勝てるでしょうか?」


 びしっ! ふっ、決まった。

 私にできる精一杯の強がり。ぶっちゃけ勝てる自信は全く無いけど、ハッタリは押し通した者の勝ちだ。

 香織さんは石のように固まり、動かなくなる。おお、ビビってるビビってる! どうやら効果は抜群だったようだな。


「妻をからかわないで下さい。そう言ったはずです、雫さん」


 と、その時。香織さんを庇うように、修司さんが彼女の前に出た。

 鷹のような鋭い視線に、真正面から射抜かれる。

 うわあ、超絶イケメン拝顔来ました……! 怒っても格好良いなあ! これは堪らん! ヤバい、鼻血出そう! 心臓が爆音立ててますよ修司さん!

 美貌、美視線に加えてこの美声である。何とも耳に心地よく、私のハートを鷲掴みにして来る。

 地球46億年の歴史の集大成。奇跡の生命体が今、私の目の前に居るのだと実感した。なんて罪深い御方。


「あら、ごめんなさい。からかうつもりは無かったんです」


 そんな彼が、今この瞬間は私だけを見つめている。

 感動の涙が目にあふれた。慌てて狐面を被り直す。イケナイイケメンキツネメン。ああ、変なフレーズを連想してしまった。落ち着け私。今は、この状況を精一杯堪能するんだ。


「ただ、修司さんにはその方よりももっと相応しい女性が居ると、思ってしまっただけで」


 ──あ。お口のチャック、外れちゃった。

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