(11)輝ける龍

 ──ぱちん。


 駒を打ち付けた音で目を覚ます。いや、こちらが夢なのか? 当事者の私には判別が付かない。

 場所は変わらず本殿の中。何故か私は香織さんの中に居て、私自身と対局を始めていた。

 振り駒の結果は……お、こちらが先手番か。幸先の良いスタートだ。


『おはよう、雫さん。よく眠れた?』


 正直、寝たのかどうかさえ不明瞭です。夢の中で数ヶ月前の出来事を追体験している気分なので。しかも夢の間は、記憶も当時のままになっているようですね。少々歯痒い気持ちになります。


『彼女。ほのかちゃんのこと、だよね?』


 ええ。って、あら? 香織さんも観てたんですか? ここで将棋指してたのに?


『何かね。目で見てる景色とは別に、頭の中で映像が流れてる感じ。二画面のテレビを観てる感じに近いかな?』


 うっわ、それ、対局に集中できませんね。軽く発狂しそう。


『何とか我慢してるけどさ。気になるなあ、ほのかちゃんのこと。あの雷の技、しゅーくんが香澄さん相手にやったのと似てるんだよねぇ』


 うーん。確かに、似てると言えば似てますかねぇ。修司さんの遠縁の親戚か何かでしょうか。

 でも、いくら考えても答えは出ないでしょう。今は対局に集中すべきと思いますよ、香織さん。


『……後は任せたとか言ってなかったっけ? 雫さんズルいよ、四十禍津日無しでも十分戦える棋力あるんじゃん』


 ちっ、バレたか。まあぶっちゃけ、それなりには指せます。

 でも相手は、偽物とはいえヨガッピ(写本)持ち。私程度の棋力で通用するかどうか不安です。


『ねえ、雫さん。一緒に指さない?』


 ドキッ。口説き文句のつもりですか今の? ふふふふん、そんなこと言われても私の心は揺るぎませんよよよよ。

 ま、まま、まあでも、貴女がどどどぉしても協力して欲しいと仰るならぁ、引き受けて差し上げなくもないですけどぉぉぉ。


『ホント? ありがとう!』


 あっ、了承したことになってる!? 厚かましい人!

 し、仕方ないですねぇ。誰かと一緒に指し手を考えるの初めての経験ですけど、宜しくお願いしますですます。


『こちらこそ宜しくお願いします! じゃあ、早速なんだけど──』


 ふむふむ。戦法の相談ですか。香織さんの気持ち的には四間飛車を指したいと。でもちょっと自信が無いから、アドバイスして欲しいと。


 うーん、そうですねぇ。単純に美濃囲いに組むのは、定跡化が進んでそうですし。

 例えば、こんな戦法はどうでしょう?


 ──地に伏したる竜の姿と、ほのかの顔がふと、頭に浮かんだ。


『耀龍(ようりゅう)……四間飛車?』


 そうです!

 今こそ伏竜の力を解放する時なのではないかと私は思います!

 うってつけの戦法かと!


『何だかよくわかんないけど。うん、とにかくやってみよう。ありがとう雫さん』


 どういたしました!


 耀龍四間飛車の『耀』は光り輝くという意味の漢字だ。大地に封印されし伏竜が覚醒した時、この世界は光に満ちるのだろうか、それはわからないけれど。

 この一戦を決するに、これ以上相応しい戦法は無いと思った。

 自分では使ったことは無いけど。ほのかがよく使っていたから、見様見真似である程度は指せるはずだ、と思いたい。


『ああ、ほのかちゃんの得意戦法なんだね』


 形としては金無双に近いのですが、一旦右金を上げるまでに留めておきましょう。左金をどう使うかは、相手の出方に応じて決めるという方針で。

 といっても、相手は偽物とはいえヨガッピ持ちの竜ヶ崎雫ですから、意味不明な手を指して来るでしょうがね。


 基本方針として、普通は自陣に隙を作らないように駒組みを進めるものだ。そうすることで、相手に攻めあぐねさせ、自分の攻めを先に通して勝つことが多い。

 ところが竜ヶ崎の将棋は、要所要所にわざと隙を作り、存分に攻めさせるのだ。一見して棋理に反した将棋だが、それでも勝負としては成立しているから不思議だ。


『例えば、今なら角を成り込めるけど。やらない方が良いんだね?』


 左様です。露骨な好機は、十中八九罠と思って下さい。瞬間的には駒得できても、十数手先で手痛いしっぺ返しを食らいます。

 それに香織さん、貴女はあくまで四間飛車で戦いたいのでしょう? 今角を成り込んだら、四間の形を保ち続けるのが難しくなります。


『なるほど、わかった。気にせずに駒組みを進めるよ』


 とはいえ、全てランダムな手のように見せて時たま、ポンと仕掛けて来たりもしますから油断なりません。受けないとマズい局面も生じると思うので、その見極めは私がやります。

 貴女は相手陣を見ず、自陣の隙を無くすことだけを頭に入れておいて下さい。


『了解です、雫隊長!』


 ちょっ、不意打ちで変な呼び方しないで下さい!

 えー、こほん。指しにくいとは思いますが、竜ヶ崎を相手に戦うとはそういうことです。我慢して柔軟に対応しましょう。

 耀龍四間飛車はその点で、通常の四間飛車よりも向いている気がします。美濃囲いの制約から解き放たれた分、自由度が増しているので。


『……反面、美濃の防御力に頼れなくなった訳だけどねぇ』


 ま、それは致し方無い所でして。あっちを立てればこっちが立たず。もし完璧な囲いなんてものが存在したなら、皆それを採用すると思いますよ。

 ──ある意味で、『不完全さ』こそが将棋の多様性の根源である、と言えなくもないかと。


『うーん。じゃあ、いつもみたいに捌くような指し方はマズいかも?』


 そうですね!

 捌くのではなく押え込む、相手の主張を封じる指し方を心掛けましょう。

 ……なんですけど、竜ヶ崎の将棋には主張が無い、もしくはボヤけています。

 ここは指し慣れている私に任せて下さい。


『わかったよ。じゃあ私は自陣の整備に集中する。ありがとう、雫さん』


 か、勘違いしないで!

 誰が貴女のためになんか! お礼を言われる筋合いはありません!

 私はただ修司さんのために──あの人の笑顔を見たいから、貴女に協力するだけなのです! あわよくば『仲良し』にも参加できれば僥倖ですがね……!


『はいはい。……あ、そう言えば。しゅーくんと雫さんが幼馴染みだなんて知らなかったなあ。しゅーくん一言もそんなこと言ってなかったよー』


 ぬう、そこまで知られてたとは。

 ええそうですよ、負け組の私には遥かな昔、勝ち組になるチャンスがあったのです。あの頃、私と修司さんは、同じ幼稚園に通っていました。

 笑顔の可愛い『そのせ・しゅうじ君』と私は、おままごと遊びの戦友。将来を誓い合った仲なのです。


『将来を……って! そんな昔の約束なのー?』


 しゅうじ君は言いました、私をお嫁さんにしてくれると!

 私は彼の言葉を胸に、ずっと生き続けて来たんです! 彼が迎えに来てくれるのを、首を長くして待っていたのです!

 どうですか滅茶苦茶一途でしょう私の愛は? 貴女とは年季が違うんですよ! 私こそ彼に相応しいと思いませんかっ!?


『雫さん。愛に年数は関係ないよ』


 ……ふん。そんなこと、貴女に言われなくてもわかってますよ。

 修司さんの愛情は貴女だけに向けられていて、私が入る隙間は一ミリもありません。幼い頃の約束なんて、すっかり忘れられちゃってますよ。

 あーあ、こんなことならもっと早く、修司さんを探していれば良かった。待ってるだけじゃダメでしたねぇ。


 盤上を警戒しながら、ありえたかも知れない未来を妄想する。もし、結婚する前の修司さんと再会できていたなら。もしかしたら、香織さんの代わりに、私が彼のお嫁さんになれていたかもしれない。

 父は反対するかもしれないけど、押し通す。何なら駆け落ちしたって良い。彼と一緒なら、どこへでもついて行く。

 辛いこと苦しいことも、二人で乗り越えてみせる。やがて二人は、慎ましいながらも幸せな家庭を築くのだ。子供は三人くらいは欲しいかな? 兄弟が居た方が良いよね。私は一人っ子で、小さい頃寂しかったから。名前は、男の子なら『○司』で、女の子なら──。


『ちょっとー! 妄想に耽(ふけ)ってる場合じゃないでしょ!』


 香織さん、うるさい。勝ち組は引っ込んでて下さい!

 大体貴女、将来設計はちゃんとしてるんですか? 修司さんとの未来をキチンと計画できてますか?


『え、今そんなこと訊く? い、一応考えてはいるよ! まだ実行には移せてないけど』


 はん。お話になりませんね。余裕ぶっこいてると痛い目見ますよ。


『そのための第一歩なんだよぅ……! 大会に勝って、ここで結婚式を挙げるの! それから道場で披露宴して、新婚旅行は世界中を回るつもりなんだから!』


 ふん。左様でございますか。

 だから、勝ちたいんですね? あの竜ヶ崎雫相手に。


『うん。勝敗は関係無いって言われたけど、やっぱり勝ちたい』


 なるほど、貴女の事情はわかりました。

 腹立つ程にまっすぐな理由ですね。

 どこまで戦えるかわかりませんが、精一杯サポート致しましょう。


『ありがとう』


 だから、お礼は要らないと──いえ。勝ってからお願いします。


『ん。わかった』


 お互いに言いたいこと言えた所で。ちゃちゃっと片付けますか!


 ぱちん!

 良い感じの力加減で、駒を打ち下ろす。この身体にもだいぶ馴染んで来たようだ。

 心地よい駒の手触りを名残惜しく感じながら、そっと指を離す。感触の良い一手が指せた。

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