(10)兆しの白雷

 明鏡止水の使い手には気をつけろ。

 父の言葉を思い出す。彼らの目が透明になった時、盤上の森羅万象を掌握するという。

 一説には根源へと至る道の一つであると言われるが、正直私には何のこっちゃわからない。

 ただ、相当ヤバい奴らだってことは理解していた。

 まさか目の前の彼女が。可愛いのに……!


『明鏡止水にも何段階か存在するが。こいつのは第一段階の“兆(きざし)”だな。面倒な相手だが、儂の敵ではない』


 明鏡止水・兆、か。

 もしかしてこれが、父が彼女を竜ヶ崎のチームメンバーに推した理由なのか? 確かに強力な能力ではあるが。

 果たしてどれ程のものか、次の一手で見極めてやる。


「ほのか、行きます!」


 ばちぃぃぃん!

 宣言と共に放たれた一手が、閃光を放つ。

 ばちばちばちっ!

 駒が白き雷を纏い、私の陣地を直撃した。


 は……やっ……!?


 思わず声が出そうになった。嘘でしょ?

 一手の踏み込みが速い。速過ぎる。容赦なく大駒をぶった斬り、自陣を深く抉り取って来る。

 神速、いや光速に迫る攻めだ。


 私の読みより数手も早く、彼女は寄せを敢行してきた。

 ──飛車を囮に罠を仕掛けたつもりが、これでは完全に空振りだ。むしろ向こうの攻めを加速させてしまったじゃないか。

 くっそ、何今の。反則的じゃないか。雷が落ちたかと思って怖かったし!

 あれが、明鏡止水の力?


『違うな。今のは“雷刃”だ』


 は? らいじん?

 何それ、初耳なんですけど!


『明鏡止水が静なら、雷刃は動。真剣の如く研ぎ澄まされた集中力があって初めて発動を可能とする絶技だ。これはまずいな。二つの能力を併せ持つとは。あの嬢ちゃん、一体何者だ?』


 何者だ、って。狐の世話係ですが。

 もしかして、ヨガッピでも勝てないのか?


『む。出力を上げれば勝てる。が、貴様の身がもたんだろう。大人しく白旗を揚げることだ』


 いやですぷー。相手が誰であろうと、何であろうと! 竜ヶ崎雫は、最後までみっともなくもがくのですよーだ。

 もうあんたには頼らない。観てなさい、私の将棋を──!


 どかばきごきぐしゃ。


『確かに見届けたぞ』


 これは酷い!

 なんという惨敗! 自分でも信じられない!

 まるでいいとこなし! 一方的にボッコボコにしてやられた!


「ぐああああっ! 負けましたー!」


 慟哭が空しく、本殿内を木霊する。負け組ポイントがまた一つ加算されてしまった。チクショー!


「あ、ありがとうございました」

「どういたしまして!」


 申し訳無さそうに頭を下げるほのかに、悔しさをぐっと堪えて返事する。

 さすがに世話係には負けないだろうと思っていた、己の慢心を恥じる。

 認めよう、彼女は滅茶苦茶強かった。パートナーとして申し分無し。弱いのは私の方だ。


 強くならなければ。

 父より授かりし魔書。その全てを吸収してやる。


『おお、やっとその気になったか。儂を降ろせば、未曽有(みぞう)の棋力を得ることができるぞ。明鏡止水だろうが雷刃だろうが、敵ではないわ』


 残念だけど、その気になった訳じゃない。

 私は竜ヶ崎雫のままで、人智を超えたあんたの力を手にしてみせる。


『何だ、しょうもな』


 ふん。何とでも言え。

 露骨に失望した声を上げるヨガッピを無視し、私は改めてほのかの方へと向き直る。


「貴女の強さはよくわかったわ。明鏡止水に雷刃、いずれも切り札として十二分の威力を持っている。

 だけど、ベースとなる棋力が伴っていない。それでは大会参加者達には到底届かないと思う」


 ごくりと唾を呑む彼女。

 そこで、と私は続ける。

 敗者が偉そうに言うのもおかしいよな、と内心では思いながら。


「どう? 私と一緒に特訓しない? 大会までの間、二人で指しまくるの。強くなろうよ、私達二人でさ」


 私の提案に、それまで不安げな様子だったほのかの顔に、花が咲いた。うん、やっぱりこの子は笑顔が可愛い。


「……はい!」


 将棋は二人で指すもの。対局相手が居て初めて、強くなれる。できれば、同程度の棋力が望ましい。

 幸いにも、私とほのかの棋力差はそこまでない。明鏡止水と雷刃とやらを封印してもらえれば、だが。

 彼女となら、強くなれる気がした。


「……ふう。今日はこのくらいにしておこうか」

「ま、まだやれます!」


 数局指した後に尋ねると、彼女は息を荒らげながらもかぶりを振った。

 いや、余裕ぶってるように見えるかもだけど、私だって大概限界だよ? ふう、に込めた気持ちの重みよ、伝われ。


「もうすぐ日没。逢魔が刻が来る。そろそろ夕飯の準備しないとだし」

「で、でも」

「貴女に肉じゃが、食べて欲しいな」


 私の言葉にハッとするほのか。みるみる頬が紅潮し、コクンと頷きを返して来た。

 肉じゃが作る元気残ってるかな? わからないけど、彼女のためにもう一踏ん張りするか。


 にしても、何で肉じゃがを思いついたんだろ? 別に私の得意料理って訳じゃないんだけど。

 何故か、この子に作ってあげたいと思ったんだ。

 ポンコツのヨガッピに訊いても、まともな回答は得られそうにないしな。

 まあ、いいや。この子の笑顔が見られるなら、それで良い。


 ──余計なことを知ってしまうよりは、何も知らずに居た方が幸せかもしれない。


 それにしても、疲れた。今すぐ眠りに落ちてしまいそうだ。

 ああでも、肉じゃが、作らないと……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る