(9)邪なる存在(モノ)

 形勢が、徐々に傾いていく。地力で上回るはずの私が、じわじわと押され始める。何と言う懐の深い戦法なんだ、竜ヶ崎をも飲み込み、飽和させるとは。

 棋力の差を踏み越え、四間の白刃が自玉に迫って来る。


「雫様。どうして本気を出さないんですか?」


 彼女の問い掛けに、私は答える術(すべ)を持たない。

 負ける? この私が?

 一瞬でも敗北の可能性を意識し、慌ててかぶりを振った。

 確かに彼女の筋は良いし、劣勢なのは間違いない。だが、どんな形勢からでも巻き返せるのが竜ヶ崎の将棋だろう? 今こそ真価を発揮する時ではないのか。

 本気を出す。どんな汚い手を、友達を無くす手を使ってでも、勝つ。


 飲まれるな。四間飛車を粉砕するんだ。私の、竜ヶ崎雫の将棋で。泥の中に這いつくばってでもしがみつき、無様にあがき続けてやる。

 お前の息が切れるか、私が力尽きるか。どちらが早いか、勝負だ。


『──良い覚悟だ。乗ったぜ』


 突如、頭の中に声が響いた。

 知らない男が、耳障りな喚声(かんせい)を上げる。頭痛を覚える。

 脳内が侵される。私のナカに、何者かが入って来る。やめろ、勝手に人の頭を弄(いじく)るな。まだ対局中なんだぞ?

 クククッ。男は下品な笑い声を上げた。


『対局中だから、だよ。今なら儂(ワシ)とお嬢ちゃんは同調できる。今なら、まだ間に合う。負けたくないんだろう?』


 負けたくない。当然だ。

 だが、私一人でも勝てる。


『いいや、負けるね』


 男はあっさり否定して来た。

 読み筋を披露される。悪夢のような手順で、竜ヶ崎雫の将棋は破壊された。

 だけど、そんな手を彼女が指すとは思えない。それこそ、友達を無くす手じゃないか。


『甘いな。棋士は勝つためには手段を選ばんよ。読んだ中で最善と思う手を指す。相手の都合などお構いなしにな』


 確かに、その手を読めたら指すかもしれない。何だろうと、一度読めてしまったなら──勝利するために。


『悪い話じゃないぞ? 儂の力ならば、確実にそいつをくびり殺せる』


 お前は一体、何者だ?


『とっくにご存知なんだろう? 貴様の父親は、何を授けた? さあ、儂の名を呼べ。己が身の内に降ろしてみよ』


 何を授けた、って。

 視線を盤の右横に向ける。駒台の更に横では、古びた巻物がどす黒い瘴気を放っていた。

 ああ、なんだ。ヨガッピじゃん。


『……変な呼び方をするでない。降りられないではないか』


 ごめん。一度刷り込まれてしまったら、もうヨガッピとしか呼べない。


『なんだと?』


 お呼びじゃないってこと。

 父の命で、渋々あんたを使うことになった訳だけど。あんたに乗っ取られるのは本意じゃない。

 ヨガッピ。私はあんたの力だけもらう。後は好きなようにやらせてもらうよ。


『小娘が。儂が承諾すると思うたか?』


 燃やす。


『……は?』


 蝋燭で火あぶりにする。火葬する。あんたが灰になるまで、灼(や)き尽くす。


『莫迦(ばか)め。そんなことをしても儂は痛くも痒くも無いわ。そこに在るのは只(ただ)の写本に過ぎぬ』


 知ってる。そしてあんたはさしずめ、その写本に宿った付喪神(つくもがみ)って所でしょ?

 なら、燃やしたら致命的なんじゃないの? 灰を撒いて、枯木に花を咲かせてやろうか?


『……貴様、正気か? 当主の怒りに触れるぞ?』


 私が私でなくなるくらいなら、巫女頭をクビになった方がマシ。かえって清々するかも。

 それに、私はこの子に肉じゃがを作ってあげる約束をしたんだ。くびり殺されちゃ困るんだよ。

 さあ、どうする? 火元はすぐそこにあるぞ?


『──棋力だけでは、勝てんぞ』


 吐き捨てるように言われた、次の瞬間。魂が、跳ねた。


 身体の奥底が爆発した! 凄まじい衝撃が内から外へと突き抜ける! 手足がバラバラにもげ飛ぶ! 活火山のように、脳天から火柱が上がった! 半径数百メートルを巻き添えに、爆弾と化した私は大爆発を起こしたのだった!


『大袈裟な奴め。ほれ、くれてやったぞ』


 ……なんてことはもちろん無く。五体無事だった。


 大袈裟にも言いたくなる。私の体内で起こった変化は、それ程までに劇的なモノだったのだから。

 身体が驚く程に軽い。思考がクリアになる。今までの自分が嘘みたいだ。盤面の隅々まで、つぶさに見渡すことができる。

 ついでに、肩こりも解消した。万全の状態だ。

 よし、試しに一手指してみるか。軽く。


 ぱち。何気なく指した瞬間。

 どどんっ! 指した駒を中心に、衝撃波が発生した。

 おお……お? 大丈夫なのかコレ? 盤壊れない?


「なっ……!?」


 驚きの声を上げるほのか。彼女は盤上を食い入るように見つめている。私の指し手が、余程意外だったのだろうか。


『どうだ、儂の力は? 物凄いだろう?』


 凄いなんてもんじゃない。奇々怪々ここに極まれり、だ。タダで飛車を差し出すなんて、正気の沙汰ではない。せめて金銀と引き換えなら良いが、何も得られないとは。歩さえも。

 こっちは囲いの形を成してすらいないんだぞ? 取られた飛車を打ち込まれたら、勢いで即死しそうだ。

 もっとも。飛車取りを逆用して、寄せ切れるなら別だけどね。

 大丈夫、私の頭がおかしくなった訳じゃない。おかしいのは、棋力の方だ。


『ふむ。今ので一割程度の出力だが。これ以上は貴様がもたんか』


 ぱちん。警戒したのか、彼女は飛車を取らなかった。


『取ろうが取るまいが、結果は同じだ』


 悪魔が囁く。その頃には、ようやく理解が追い付いていた。

 タダより怖いものは無い。警戒して普通は取らない、その心理を利用したのだ。

 なお、万一取られた場合も問題無い。罠は二重に張っている。

 ……と、今更ながらに理解した。恐ろしい力だ。認識を直感が凌駕するとは。


『さあ、存分に殺し尽くすがいい』


 気を付けなければ、やり過ぎてしまいそうだ。


 さて。次の手を指す前に。

 とりあえず一言言っとくか。

 黙れ。


『何だと?』


 今は私と彼女の対局中。第三者の口出しは許さない。


『貴様──!』


 うるさい。燃やすぞ?


『……ぐっ……!』


 それきり沈黙するヨガッピ。

 よし勝った。これで静かになるだろう。

 息を吐き、できるだけ脱力して着手する。


 ぱ、ち。慎重に置いた駒からは、衝撃波は発生しなかった。胸中にて安堵する。この程度なら盤は壊れない。

 だが、その代わりに。パリンと、ほのかの狐面が真っ二つに割れた。


「あっ……!?」


 悲鳴混じりの叫びを上げるほのかと私。か、加減が難しいなあ。

 可哀想に、彼女は涙目になって、両手で顔を覆ってしまう。


「だ、大丈夫! 今は私達二人しか居ないからセーフ! ノーカンだって!」

「で、でも! 睡狐様の御像が!」


 神座からは巨大な睡狐様像がこちらを悠然と見下ろしている。視線を感じないと言えば嘘になるが。


「睡狐様は空気を読む方だから、見てないフリをして下さるわ!」

「ほ、ホントですか……?」


 そもそも睡狐様には素顔を見られても問題無いはずだが。気が動転中の彼女を安心させるために、私はうんうんと頷き、続ける。


「それにほのか可愛いから顔見て指したいなあ、なんて! ほら、私も外すから、おあいこ!」


 実を言うと本殿内で外すのは初めてだったが。彼女のために、私も狐面を取り外した。


「雫様……!」

「さあ、対局を続けましょ。ここからは本気で指すから覚悟してね」

『よく言うぜ』


 うるさい。

 自分でも何言ってるんだろって思うよ。ヨガッピの力を借りといてさ。

 でも、彼女の嬉しそうな顔を見てよ。私との対局を楽しむ純粋な少女の期待を、裏切りたくはない。盛り上げなくちゃ。


「私のためにありがとうございます! わかりました、私も本気でいきますね!」

「え?」

『クク。とんだ隠し玉を持ってやがったな』


 宣言と同時に、彼女の瞳が透き通っていく。鏡のように盤面が映し出される。まさか、これは。いやしかし、どうして?

 ──明鏡止水。

 どうして、この子が使えるの……?

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