(5)四十禍津日

 ぱちん、ぱちん。


『ねえ』


 盤に駒を並べていく。私は几帳面な性格だから、どこかの誰かさんとは違って少しの歪(ゆが)みも認めない。マス目に平行に、大橋流の手順通りに。


『あれで巫女さん全員揃ってるの? あの子が居ないようだけど』


 ぱち……ん。


 駒音が、ブレた。

 指先が震えている。もう、気づかないフリをしていたのに。


 私の考えていることは、香織さんに筒抜けだ。でもまさか、記憶まで共有しているとは思わなかった。

 ちっ。胸中で舌打ちする。

 ああそうだ。今ここに『あの子』は居ない。

 だから何? 対局直前に訊くようなこと?


『う、ごめん。気になっちゃって』


 風邪でも引いて休んでる可能性だってあるでしょう?


 気になる気持ちはわかる。でも、今は対局に集中しなければ。相手は仮にも竜ヶ崎雫。はっきり言って、無茶苦茶強い。序盤中盤終盤全て隙が無く、駒達が躍動する将棋を魅せてくれる。更に『四十禍津日』の妖力が加わったことで、正に鬼に金棒状態だ。

 そんな相手に勝つには、限界まで棋力を高めるしかない。


『ねぇ。四十禍津日って……あの巻物のこと?』


 偽物の対局席に置かれた一巻の書物を指差し、香織さんが訊いて来る。

 ええそうですよ。一見ただの巻物に見えますが、所持するだけで無限の叡智を授けてくれる、有難い『宝巻(ほうかん)』です。

 もっとも、あれは写本ですけどね。原典はお館様が秘匿されています。


『ふぅん。写本でも嫌な感じがビリビリするね。私達、勝てるのかな?』


 ふっ、ご安心を。所詮は偽物、四十禍津日の力を使いこなせはしませんよ。今こそ見せて差し上げましょう、本物の力を!

 さあ! 我が命に応え出でよ、四十禍津日ー!


 ぱちん、ぱちん。


 偽物が、駒を並べる音だけが響く。

 ……あれぇ? 何も起こらないよー?


 風邪でも引いて寝込んでるのかな、四十禍津日?

 なんちゃって。はは、我ながらウケるぅ。


『もしかして、私の体だから反応しないのかもね。四十禍津日』


 マジかー。それは想定してなかったですわー。

 そうかそうか、じゃあ使えないのかあ。困ったなあ、どうしようかなあ。


 ──ってぇ!? ダメじゃん!?


 何を冷静に言っちゃってんですか香織さん! 一大事ではないですかっ! のほほんとしている場合じゃないですよ!


『え? いやまあ、そうなのかもしれないけど』


 ああそうだ! コピーですよ香織さん! 偽物が持ってる四十禍津日をくすねてコンビニでコピーしましょう!


『いや、泥棒は善くないでしょ』


 何を甘っちょろいこと言ってんですか!? アレは元々私のモノ! コピーして返すくらいしても罰当たりませんよ!


『うーん。気が引けるなあ』


 ええい、こうなれば私が……!

 無理矢理手を動かして、巻物を掴んで──あ痛ぁっ!?

 ばちばちばちっ! 触った瞬間、電流が走って弾かれたー! しまった、盗難防止の術式が施されてるんだったー!


『ちょっと、雫さん。落ち着いてよ。そんなに錯乱してちゃ、勝てる将棋も勝てないよ』


 これが落ち着いていられますかっての! いいですか、私の将棋は四十禍津日を基盤に成り立っているんです。アレがなくちゃ、私は……私は……!

 初心者同然になってしまうのですよ!


『……え? そうなの?』


 マジです!

 今までずっとアレに頼り切って、何も考えずに指して来たんですから!

 今なら、将棋始めたばかりのヒヨコちゃんにだって負ける自信があります!


『いやそんな、自信満々の口調で言われても』


 香織さん。駒並べはキチッとやっときますから。後は宜しくお願いします。私にできることは、もうありません。

 修司さんの対局する時の横顔、また一段と素敵ですよね。ほうじ茶でもすすりながら、まったりと至福の一時を送ることにします。ああ眼福。


『ちょ、ちょっと! 本気なの?』


 よく考えたら貴女が勝とうが負けようが、私には何の関係も無いんですよ。


『むう……”仲良し”はいいの?』


 ぐっ。それは、名残惜しいですが……!

 だって! アレ無しじゃ勝てないですしおすし!

 二人がかりでも瞬殺されるのがオチですもーん!

 私、負けるの嫌ですもーん!


『雫さん。私だって負けるのはヤだよ。でも、何もせずに逃げるのはもっと嫌だ』


 ふん! 格好付けないで下さいよ!

 貴女はそうやって主人公ぽいこと言ってりゃいいのですよー!


 私に押し付けるな!

 私は所詮負け組なんだー!

 自分で言ってて悲しくなるけど! どうやったって勝ち組になれないの、自分でもわかるから! せいぜいが主人公のライバルポジでしょ、私?

 空しいわ! 努力するだけアホらしーですわ!

 昔の約束だって平気で忘れられちゃうんだから! 小ズルく生きるしか無い!


 私なりに処世術を身に付けて、やっと前向きに悪役ぶろうと思った矢先がコレですよ?

 何の因果か、よりにもよって大っ嫌いな貴女の身体の中に入っちゃうなんてね! 人生お先真っ暗ですよ!

 ああでも、修司さんが振り向いてくれるからいいか! マイナス帳消し! むしろプラスに転じちゃったかなー? もう大満足!


 だから──勝てなくてもいいんです。あんまり欲張ると、神様が幸せを奪っちゃいます。だから私は、頑張りません。

 私の分まで、貴女が頑張って下さい。人生の勝ち組さん。


『う。わかった……何か、ごめんね?』


 謝られると余計惨めになるからやめて下さい。こちらこそ、無断で身体に入り込んですみませんでした。


 最後の駒を盤上に置く。ぱちんと、小さな音がした。

 これで私の出番は終わり。さあ、対局は香織さんに任せて、一休みするとしよう。

 何だか急に、眠く、なって、来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る