(4)好カード

「おや、早くも一組決まったのか。なら僕達は、誰と指そうかな?」


 薄暗い部屋の中に、少年の声が響く。闇の奥から、全身白ずくめの竜ヶ崎漣(りゅうがさき・れん)が姿を現した。隣には鬼籠野あゆむ──いや、りんが随伴している。

 まさか彼らを敵に回すことになるとは思わなかったが。致し方あるまい。


「お前が、竜ヶ崎の大将か?」


 レンに向かって修司さんが鋭い視線を向ける。くぅー、凛々しいー! 横顔が格好良い! 素敵!


「ああ、そういうことになるかな。はじめまして、園瀬修司。それから──そちらの鬼の子も」

「アンタがあゆむを拐(かどわ)かしたのか……!」


 今まで黙っていた鬼が、唸り声を上げる。

 鬼籠野燐。鬼(ショウ)から血を分け与えられたという少女は、弟を取り戻すために狐の棲家に乗り込んで来た。本来、『妖(あやかし)』同士の諍いは御法度だけど、人間の事情が絡んでいるからやむを得ない所か。

 左隣でめっちゃ怒ってて、若干怖いけど。私がレン達の仲間だってバレたらズタボロにされそう。


「拐かす? 導いただけだよ、僕は」


 燐の殺気に臆することなく、レンは涼しい顔で返答する。

 その態度が気に入らなかったのか、鬼の少女は「同じことだ!」と叫んだ。今にも飛び掛からんばかりだ。


「ちょ、ちょっと姉さん! 落ち着いて!」


 そこへ慌てて割って入ったのが、あゆむ君だった。


「レン君は何も悪くないよ! 私が自分で決めて、彼について行くことにしたんだから!」

「それを拐かしたって言うのよ! 騙されたんだよアンタ! コイツだけは許せない。私からアンタを奪ったコイツだけは……!」


 おおー、修羅場だ。青春だねぇ。

 止めに入るあゆむ君を押し退け、レンに迫ろうとする燐。

 鬼の拳が振るわれる。


「ふむ」


 鼻先スレスレを剛拳が掠めるも。動じた風も無く、レンは飛び下がる。

 余裕の態度が、何かムカつくなあ。


「悪いけど、逆恨みだね。そんな調子じゃ、りんは戻らないよ。君には本質が見えていないようだから」

「あ、アンタに……何がわかるってのよ!」

「わかるさ。僕はりんの全てを理解した」


 真紅の瞳が、鬼籠野燐の全身を捉えた瞬間。彼女の動きが、止まった。


「鬼に”縛り”が通じるか自信は無かったけど。どうやら君の“人間の部分”には効果があったようだ」

「くっ……そ……!」


 硬直したまま、なおも拳を振り上げようとする燐に、レンは冷たく告げる。


「将棋でなければ、僕は倒せないよ」

「の、ぞ、む、と、こ、ろ、だ!」


 燐の双眸もまた、紅く輝き出した。

 レンとは似て非なる、熱量を伴う命の炎。ぶちぶちと血管が爆ぜ、彼女を縛る空間が耳障りに軋む。

 彼女の時が、強引に動き出す。力任せに振り上げた拳に、猛々しい獄炎が宿った。


「将棋でアンタを──ギタギタにぶちのめす!」


 宣言と共に、レンの顔面目掛けて振り下ろされる爆拳。いかに睡狐の化身と言えども、直撃を食らえばタダでは済まないが──。


 バチィィィィン!!!


 閃光と、一瞬遅れての爆風、轟音。畳敷きの床がぶち抜かれ、大穴が開いた。

 ……違う。五角形の穴を覗き込み、私は気付いた。

 燐は、殴り付けたんじゃない。駒を、打ったんだ。


 紅炎に包まれてなお燃え尽きず。

 地面に打ち込まれた『玉将』の駒は、薄暗い室内に灯りをもたらした。蝋燭などよりもはるかに明るく、力強い光を。


「……信じられない。君は、術に掛かったままで」


 呆然と、呻くような声が響く。レンは生きていた。ギリギリで避けたのだろうが、服があちこち焼け焦げている。


「術? ああ、まとわり付いて来たうっとうしいのか。いちいち解くのが面倒だったから、根こそぎ引き千切ってやった。

 人間相手には有効でも、私の中の”鬼の部分”には効果無かったようね?」


 爛々と目を光らせ、燐は勝ち誇ったように告げる。

 術中に捕らえても、その剛力を止められない。もしかしたら、鬼は狐の天敵なのかもしれない。


 レンは「できれば穏便に済ませたかったけど」と、ため息を一つつく。


「拘束できないのなら仕方ない。これ以上本殿を荒らされても困るし──場所を変えよう」


 パチン。彼が指を鳴らした瞬間。

 睡狐様の化身は、鬼の少女と共に、忽然と姿を消した。


「なっ……!?」


 驚きの声を上げる、修司さんとあゆむ君。

 ついでに、香織さんもびっくり仰天していた。


『何が起こったの!? 燐ちゃん達はどこに?』


 落ち着いて下さい。何もこの世から消えてなくなった訳ではありませんよ。

 彼らは、彼らが将棋を指すに相応しい高みへと移動しただけです。神々が住まう、天上世界へと。


『それって、まさか……高天原……?』


 そう呼ばれることもありますねぇ。

 神域・高天原(タカマガハラ)。そこには、巫女である私でさえ、立ち入ることは許されません。今までは神格を持つレンだけが、行き来していましたが。

 なるほど。鬼もまた、かつては『カミ』と奉られる存在でしたか。


『大丈夫かな? ここからじゃ応援しても届かない?』


 さあ? 応援してる暇なんて、無いと思いますけどね。

 そんな暇があったら修司さんをつぶさに観察しますよ、私なら。


「あゆむ。燐がどこに行ったか知らないか?」

「わかりません……が、姉が殺しても死なないタマなのは知っています。恐らくはレン君と同じ場所に居ると思いますよ。彼と対局するために」


 修司さんのイケメンクエスチョンに、あゆむ君が肩を竦めて答える。美青年と美少年(女装)の破壊力たるや、眼福を超えてあらぬ妄想が爆発しそうで怖い。理性を失いそうになる。


『お願いだからやめて』


 などという冗談は置いといて。残る一組は修司さんVSあゆむ君の好カードになった。これは燃える。

 もとい、濡れる。


『──そろそろ本気で怒るよ?』


 もちろん、冗談である。

 こうなればこちらをさっさと片付けて観戦モードに移りましょう、そうしましょう。


 キッと、偽物の竜ヶ崎雫を睨み付ける。見慣れたボディの凹凸からして、肉体は本物の私だ。誰かが私の体を操っているのだ。穢らわしい。瞬殺して追い出してやる。


『でもさ。将棋盤なんてどこにあるの?』


 あ、失礼しました。私としたことが、部屋の電気も点けずに。はい、ポチッとな。


『電気、あったんだ……』


 そりゃ、無いと困るでしょう? レンが嫌がるので、普段は蝋燭の光で我慢してますけどね。


 蛍光灯の明かりが、本殿内を照らし出す。全貌が明らかになる。


 室内は私達が今居る畳敷きの『客間』と、奥にある一段上がった板張りの『神座』とに分かれている。

 睡狐様の『御神体』は、その神座に静置されていた。


 濃い茶色の光沢を放つ、十尾の稲荷像。天井に届く程に巨大な銅像には、圧倒的な存在感と威圧感がある。

 私達巫女が崇拝する、神威の象徴だ。


 某大妖怪に対抗して一尾増やした辺りに虚栄心の高さを感じ──おっと失礼。常に上を目指そうとする、向上心の高さを感じまする。

 なお、実際は何尾なのかは、御本人を拝見したことが無いのでわからない。恐らく実体は無いのだろうが。

 巫女になって、視線を至る所から感じるようになった。見られている。


『見たことが無い、って……本当に睡狐なのかどうかもわからないってこと?』


 ええ。もしかしたら全く別の何かが、睡狐様のフリをしている可能性はあります。ある意味、偶像崇拝に近いですね。古くより竜ヶ崎は、そこにおわす銅像を崇めて来たのです。

 そこに疑問を持つことは、禁じられていました。


 さて、そんなことよりも。視線を巡らす。畳敷きの客間には、等間隔に将棋盤が三つ置かれている。古びてはいるものの、脚付きの立派な盤だ。


「──これが、決勝戦専用の盤です。皆さん、どうぞお座り下さい。各自対局を始めましょう……」


 偽物が陰気な声で告げて来る。むう。私、そんな暗い女じゃないのに。


『今更だけど、決勝戦て今までみたいに一組ずつ指すんじゃないんだね?』


 いえす。人数が限られていますし、本殿内は睡狐様のお腹の中みたいなものですので。同時に指しても、観戦に支障は無いとのことです。


『そっかあ。応援しにくいなあ』


 だから言ったでしょ。応援する暇は無いですよって。


 偽・雫の指示に従い、修司さんとあゆむ君が向かい合わせに座る。

 その左隣の盤に、私と偽物も腰を下ろした。

 一つ余った盤──鬼籠野燐とレンが使うはずだったものだ──には、賑やかしに巫女達が勢揃いしている。どこから湧いて来た。


 さて。いよいよ対局開始だ。

 覚悟は宜しいですね、偽物さん。

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