(18)更にその先へ

「やれやれ。騒がしい人達でしたねぇ」


 彼らを見送った後。ため息をつき、燐が声を掛けて来た。言葉とは裏腹に、その表情は晴れやかだ。


「お疲れ様です、修司さん。それから香織さんも。何とか勝てて良かったです」

「燐ちゃんも、お疲れ様。あのショウさん相手に勝つなんてスゴいよ! 頑張ったんだね!」


 互いに労をねぎらう。チームって良いなと、ふと思った。


「……香織、燐」


 だが。戦いはまだ終わっていない。勝った時こそ、気を引き締めて参らなければ。

 きっとそれが、このチームにおける俺の役目なのだ。


「後一試合で、この大会は終わる。勝っても負けても、悔いの無い戦いをしよう」


 あえて笑顔を引っ込め、二人に声を掛ける。自戒の意味を込めて。

 勝て、とは言わない。勝負は時の運。同じ相手と指したって、勝つ時もあれば負ける時もある。余程の棋力差が無い限り、確実に勝てるということは無い。

 それに。勝敗にこだわるあまり、見失ってしまうものもある。


「ん。全力全開で楽しむよ!」

「ふっ! 大船に乗ったつもりで、楽しんじゃって下さい!」


 二人は胸を張って答えて来る。頼もしかった。

 棋力はともかくとして。対局を楽しむという点においては、この二人の右に出る者は居ないようだ。

 俺も、負けずに楽しもう。精一杯、全力で。


 ──ぱち、ぱち、ぱち。

 その時。規則正しく、駒を盤に打ち付けるような音が聞こえて来た。

 俺達は音の出所、伏竜稲荷神社・本殿の方へと目を遣る。


「伏竜将棋道場チームの皆様。決勝進出、おめでとうございます」


 柏手(かしわで)を打ち、称賛の言葉を口にするのは予想通り、睡狐の巫女だった。竜ヶ崎雫。


「準決勝の対局相手は今大会屈指の強豪、サロン棋縁チームでしたが。臆すること無く、見事勝利を収められましたね。睡狐様は大層お悦びになられております」


 極上の棋譜(供物)を、ありがとうございました。

 そう言って、恭しく礼をして来る。

 本殿の入り口に独り佇む狐面の巫女の姿は、夕日に照らされ、朱色に輝いて見えた。


 夕日。そうだ、もうすぐ日が暮れる。

 秋は夕暮れが早い。大会が終わる頃には、夜を迎えていることだろう。

 逢魔ケ刻(おうまがとき)が来る。魑魅魍魎(ちみもうりょう)が活動を開始する、魔の時刻が。


「決勝戦は、神の御座(みざ)にて執り行います。さあ、お入り下さい。睡狐様が、皆様を歓迎しておられます」


 雫の手により、襖(ふすま)が開かれる。


 ぞくり、と総毛だつ。

 その瞬間、外と中を分け隔(へだ)てるものは無くなり。俺達は、本殿の中と繋がった。

 空気が変わる。秋風がぱたりと吹き止み、湿り気を帯び始める。

 お香を炊いたような匂いが、鼻についた。隠し切れない獣の臭いと共に。

 人智を超えた何かが、俺達を見つめている。じっと、闇の奥から。


「さあ、どうぞ」


 手招きされるも、足が竦んで動かない。本能が告げる、逃げろと。尻尾を巻いて、今すぐ帰れと。さもないと、きっと後悔することになるぞ、と。

 頬を、冷たい汗が流れ落ちる。なんてことだ。

 悔いの無い勝負をしようと、言ったばかりなのに。勝負すること自体を怖れているのか、俺は。

 竜ヶ崎家、睡狐、四十禍津日。

 それら人外の存在を相手に、果たして俺達の将棋は通用するのか? 今更ながら、疑問が頭に浮かぶ。

 蛇に睨まれた蛙の気分だ。怖い。こんな心境では、対局を楽しむことなど、とても──。


「しゅーくん」


 その時、袖を掴まれた。香織の声が、耳に届く。


「大丈夫だよ。私達なら、きっと」


 きっと、大丈夫。その言葉に根拠は無い。

 彼女の震えが、袖を通して伝わって来る。怖いと、彼女だって思っている。

 それでも、香織が言ってくれるなら。俺は信じる。俺達の可能性を、信じる。


 一歩を踏み出す。

 視線は前に、本殿の闇を睨み付けて。

 大丈夫だ、体は動く。俺はまだ、戦える。


「はん。狐如きが鬼をビビらせようなんて、片腹痛いですね! 全っ然怖くないし、逆にやる気スイッチが入っちゃいましたよ!」


 俺と香織の隣に、燐が並ぶ。

 そうだ。こちらには鬼が居る。少し自信過剰気味ではあるが、頼もしい味方だ。

 俺一人では敵わなくても。俺達三人なら、きっと大丈夫だ。


「ご武運を」


 今度は、背後から声をかけられる。振り返ると、大森さんが手を振って見送っていた。


「私は参加者ではないので、本殿には立ち入れませんが──皆さんの無事を祈っています。どうか、無理だけはなさらないよう」

「わかりました。必ず三人一緒に戻ります」


 心に誓う。約束だ。

 誰一人欠けること無く、全員が生還すること。チームメンバーの身の安全が最優先。無理はしない。

 まさか、将棋の大会でそんなことを意識する羽目になるとは思わなかったが。穴熊さんの奥さんの前例もある。実際香織も危なかった訳だし、心して臨まなければならない。


 大森さんに礼を言って、踵(きびす)を返す。


「……修司さん」


 本殿手前で、今度は竜ヶ崎雫に呼び止められた。


「私は貴方のことを、異性として愛しています。貴方が香織さんと別れてくれるなら、痛い目を見ずに済むよう、睡狐様に進言しますが?」


 狐面の下の素顔は見えず、どんな表情をしているのかはわからないが。

 彼女は、わかり易く悪役に徹するつもりなのだと理解した。

 俺が香織以外の人間に好かれるなど、天地がひっくり返ってもありえない。自慢じゃないが、女性にはとんと縁の無い人生を送って来たつもりだ。


「冗談はよしてくれ」

「……私は、本気です」

「誑(たぶら)かそうとしても無駄だ。狐の奸計(かんけい)には騙されないぞ」

「だから、違うって──もう!」


 きっぱりと言い切ると、彼女は言いかけた言葉を引っ込めた。

 どうやら、何を言っても無駄だと理解したらしい。


 ぎゅっ。袖を掴む力が強くなる。

 可哀想に、香織が動揺しているじゃないか。ふざけるのも大概にしてくれ。

 俺がにらみ付けると、狐の巫女は気圧(けお)されたように一歩後退した。

 よし、いいぞ。自分で言うのも何だが、眼力はある方だ。

 諦めたのか、彼女は嘆息混じりに口を開く。


「超かっこい……ああ、もう。わかりました」


 後悔しても、知りませんよ。

 捨て台詞を吐き、竜ヶ崎雫は本殿の中へと入って行った。

 勝った、と確信する。若干目が疲れたが、にらんだ効果は抜群だったようだ。

 俺達を呼び止める者は、もう居ない。


「さあ。行くか」


 覚悟を決める。香織と燐は、力強く頷きを返して来た。


「せーの、で行くぞ……!」


 せーの!

 闇の中へと、一歩足を踏み入れる。

 畳の柔らかな感触が、靴底に広がった。やった。ついに敵陣に乗り込んだぞ。チーム一丸となって──。


「あ、待ってしゅーくん。靴を脱いで上がらないと」

「いや、せーのはちょっと……子供っぽくないですか?」


 ──敵陣に第一歩を踏み入れたのは、俺だけだった。


 一旦外に出て、靴を脱ぐ。

 香織の隣に揃えて置くと、彼女はクスッと笑みをこぼした。

 わ、笑われた……!?


「さっきのしゅーくん、超カッコ良かったよ」

「……え? せーの! が?」

「ううん。雫さんの誘いを、きっぱりと断ってくれたトコ」


 ああ、何だ。そんなことか。

 ──そんなに格好良かった? 眼力が?


 妻以外の女性からの誘いを断る。あまりにも当然のこと過ぎて、格好良いことをした自覚が無い。

 俺なんかより、香織の方がよっぽど可愛くて魅力的だ。この場に燐が居なかったら、スキンシップしたくなる衝動を抑え切れなかったかもしれない。ちょうどそこに、畳もある訳だし。


「大好き、しゅーくん」

「……俺もだ。香織、愛してる」


 駄目だ。やっぱり抑えきれない。

 互いに顔を近づけていく。今こそ、キス大盛汁だくの約束を果たす時が来たのだ。そうだ、約束は守らなければ──。

 唇が触れる瞬間。ジト目でにらむ燐の姿が、目に入った。

 とっさに軌道をそらし、頬に口づける。

 危なかった。理性を失いかけた。


「そこの二人。イチャコラしてる場合じゃないんですけどねぇ……?」

「う。すまん」

「ごめんなさい」


 苛立ちを露わにする燐に、俺達は頭を下げる。別に謝らなくても良いですよとそっぽを向く燐。まずい、機嫌を損ねてしまったか。


「わかった。大会が終わったら、あゆむと思う存分イチャイチャするといい」


 ピシッ。空間に、亀裂が走る音が聞こえた。

 一体何がまずかったのか。燐はそれきり、一切口を利いてくれなくなった。

 助けを求めて香織を見るも、彼女は困ったように微笑むばかり。女心は秋の空。俺には理解不可能だ。詰将棋よりも難しい。


 しかし、確かにスキンシップに興じている場合ではなかった。

 決勝の舞台を見上げ、独り息を吐く。


 伏竜稲荷神社・本殿。

 敵の本拠地が、その威容を眼前に見せ付けて来る。どす黒い瘴気が、辺りに立ち込めていた。

 相手にとって不足無し。

 よし。今こそ、この時のために取っておいた台詞で締めよう。


「俺達の戦いは、これか──」

「この大会が終わったら。私達、ここで結婚式を挙げるんだよね」


 せっかく言いかけた台詞を遮られる。

 意図的ではないのだろうが、少々不完全燃焼気味だ。

 香織は笑顔で、楽しみだね、とはしゃぐ。

 俺の緊張を、少しでも和らげようとしてくれているのだと気付いた。

 ……何だ、気持ちは同じだったのか。

 俺は頷く。そうだ。決勝の舞台は、結婚式の会場でもあるのだ。

 精一杯、楽しまなくちゃ、な。


 当日は、二人共和装でこの神社を訪れることになる。俺は紋付き袴、香織は白無垢。想像しただけで、身が引き締まる思いがした。

 結婚式に比べたら、大会の緊張感など可愛いものだ。

 ふっと、思わず笑みを浮かべる。


 共に行こう、香織。

 楽しみながら、一歩一歩確実に。歩みは遅くとも、いつか必ず辿り着こう。

 終局図の、更にその先。

 俺達二人が描く、理想の未来(あした)へ。



 第九章・完

 第十章に、続く

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