(14)決別

 もっと強くなりたい。将棋指しとして、人として。今ここで、足を止める訳にはいかない。だから、貴方の愛を全力で拒絶する。


「あゆむを取り返すためにか? よせ、『四十禍津日』は君にどうこうできる代物じゃない」

「……知ってたんだ?」


 私の言葉に、彼は「あっ」と短く声を上げる。まさか。知っていて、私を引き留めようとあんな告白を? 私を竜ヶ崎から──いや、ヨソマガツヒから守るために?


「大丈夫。私は負けないよ」


 ありがとう、心配してくれて。その気持ちは素直に嬉しい。でも、私なら大丈夫だよ。

 彼を安心させようと、胸を張って答えるも。

 違う、違うと彼は首を横に振って来た。


「本殿全体から噴き上がる、あの邪悪な瘴気を感じないのか? 禍々しい気が、ここにまで漂い始めている。次元が違うんだよ。

 今ならまだ引き返せる。『奴』が完成する前に、神社から立ち去るんだ」

「弟を。あゆむを見捨てろっていうの?」

「あゆむは、俺が必ず助け出す。この命に代えてもな。約束する」


 彼の言っていることは矛盾している。私と子供を作りたいと言いながら、私のために命を投げ出そうとしている。そんな矛盾に気付かないくらいに、必死で私を引き留めようとしてくれているのだと思うと、胸が熱くなった。


「駄目だよ、兄ちゃん。だって、決勝に進むのは私達なんだもの。あゆむと対局するのは、私だよ」

「燐。君は──」

「次の一手で、過去(あなた)と決別する」


 私は、未来へと進む。

 パチィィィン。甲高い駒音が、周囲に響いた。立ち込めていた禍々しい瘴気が、爽やかな秋風に吹き飛ばされていく。


「……何て、清々しい一手だ」


 呻くように呟き。ショウは、力なく頭を下げた。


「負けました」

「ありがとうございました」


 彼に合わせて一礼する。

 その一言で、感想戦という名の練習対局が終わった。

 ごめんね。貴方の気持ちを利用して。おかげで、覚悟ができたよ。


「あゆむは取り返す。けど、竜ヶ崎を倒して終わりじゃない。私は将棋を続けるよ。どうせやるなら、頂点を目指したい」


 将棋指しの頂点が何なのかは、いくら無知の私でも知っている。そこに踏み込んでいくということは、この先の人生の全てを捧げるということを意味する。竜ヶ崎や四十禍津日など、それに比べれば瑣末事(さまつごと)に過ぎない。この程度の試練を乗り越えられずして、その先は無いのだ。


「そうか」


 彼は、短く応えた。

 ふらふらと立ち上がる。私の方へちらりと視線を向けた後、すぐに背を向けた。


「なら、長居は無用だ。お別れだ、燐」

「ありがとう。会いに来てくれて嬉しかった」

「へっ。格好悪いったらないぜ。対局に負けた上に、フラれちまうんだからな。

 ……じゃあな。頑張れよ、燐」

「うん。絶対に勝つよ」


 こちらには顔を向けず、彼は右手を上げた。天に向かってまっすぐに、拳を握り締めて。

 彼はもう笑いかけてはくれない。けれど、精一杯応援してくれている。

 込み上げる想いがあった。駒を一つ一つ、丁寧に並べ直していく。感謝の気持ちを、形にする。

 ありがとう、ショウ兄ちゃん。

 どうか、元気でね。


 歩き去って行く彼の背中を、私の他にも見守る人達が居た。

 一人は大森さん。それに、ミスター穴熊と永遠だ。


「行くのか」

「ああ。長い間世話になったな」


 穴熊さんの呼びかけに、ショウは振り返らずに答える。


「サロン棋縁に鬼が出るなんて、ますます客足が遠退いちまうだろ」

「笑止千万である」


 全く問題ないと、穴熊さんは笑い飛ばした。


「むしろ宣伝に利用してくれるわ。どんなモノでも温かく受け入れる、居心地の良い将棋喫茶であるとな」

「へっ、そうかい。だが、しばらく留守にさせてもらうぜ。傷心旅行ってヤツだ」

「棋力を上げて戻って来い。我らは貴様の帰りを待っておるぞ。いつまでもな」


 穴熊さんの言葉に、ショウは手を振りながら去って行った。


「ああ──ムーとの約束もあるし、な……」


 最後に聞こえて来た呟きの意味は、私にはわからない。ただ、誰かと大切な約束をしたのだということはわかった。

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