(12)真相

 元通りの位置に駒を並べ直す。デタラメにならないよう、伊藤流を意識して。対局者に、精一杯の配慮を見せて。作法とは本来、他者を気遣う心を表したものだと思うから。

 形だけ真似した所で中身は無い。けれども、形すら無いものに比べれば雲泥の差だ。少なくとも、相手にこちらの誠意は通じる。

 礼をもって礼を尽くす。やり過ぎるということは無いんだ。


 以上は大森さんからの受け売りだけど、一局を終えた今になって、実感として感じる。

 今までの私とは、確かに違う。


 一回戦、二回戦の私は、礼節に欠けていた。対局相手を尊重するという意識も無かった。驕り高ぶった結果、二回戦で敗北を味わった。どん底に突き落とされ、初めて自分の無力を思い知った。

 謙虚になり、相手を敬う気持ちが必要なのだと、大森さんから教わった。

 人として、強くなるために。


「見違えるように綺麗だよ。どうやら、良い師に巡り会えたようだな」


 整然と並べられた駒達を見て、ショウは感慨深げに感想を述べてきた。

 うん。心がスッキリしたよ。

 鬼の力を限界まで引き出したのに、意識を鬼に乗っ取られなかった。人として、最後まで指し続けることができた。

 並べ方一つで、私は変われたんだ。


 同時に、強力な武器を得た。戦法という名の白刃。作法と戦法、この二つが無ければ、私はショウには勝てなかったと思う。

 ありがとう大森さん。私は貴方のおかげで強くなれた。道を間違えずに済んだんだ。


「王守一族、か。自らを駒に例え、守護する王はこの町か。あるいは、この国そのものか」


 二人して、視線を大森さんの方へと向ける。

 大森さんは、いつもと変わらない温和な微笑みを浮かべていた。

 それでいい。貴方はそうやって、私達を見守っていてくれれば十分だ。それだけで、私は──いや。私達は、戦える。


「食えない爺さんだな。よりにもよって、鬼殺し向かい飛車を伝授するなんてよ」

「効果は抜群だったじゃん」

「そりゃあ、鬼だからな」


 ぱち、ぱち。互いに駒を動かしていく。

 今思えば、よく受けてくれたな。鬼殺し向かい飛車。拒否する権利は、彼にあったはずなのに。


「アンタが受けてくれなかったら、私勝てなかったかもね」

「それはどうかな。俺が普通に囲った所で、結果は変わらなかった気がするぜ」

「それは」

「やってみるか?」


 悪戯っぽく彼は微笑む。私は笑って首を振った。

 きっと結果は変わらない。私が本気で勝ちを目指したのに対し、彼は試すような指し方をしていたから。言うなれば、平手の指導対局みたいなものだ。

 悔しいな。私じゃ、この人の本気を引き出せなかった。


「何だその遠い目は。さては勘違いしてるな?」

「勘違いって。アンタ、途中まで本気じゃなかったじゃん。最後の方だって、もっと良い手があったと思うしさ」

「買いかぶり過ぎだ。君が俺の指し手を温いと思った理由は──ああ。本当はこんなこと、言いたくないんだけどよ」


 ポリポリと頭を掻き。珍しく困ったような顔で、彼は続ける。


「俺が本気を出してなかった訳じゃない。俺の本気を、燐が凄いと感じなかったんだよ」

「えっ……?」

「つまりよ。君は俺より強い、ってことだ」


 ポカンと口を開く私を尻目に、彼はそっぽを向いてしまった。え、ええー?

 私が彼より強い? そんなことある訳ないじゃん。だってあんなに余裕ぶってたし。


「俺は最初から本気だった。なのに君はその俺を上回っていたんだからな。再会した幼馴染に一方的にボコボコにされるなんて、格好悪いだろ? そりゃあ、虚勢の一つも張りたくなるわな」

「いやそれ、余計カッコ悪いから」

「何だとー?」


 彼の言葉は嘘だと思う。けどその嘘は心地よくて、思わず笑ってしまった。

 そもそも、彼が本当に鬼の分霊なら、私より遥かに年上のはずだ。幼馴染というのは無理があると思うんだけどな。どちらかと言えば、お爺ちゃんに近い?


「おい、失礼なこと考えているな? 言っておくが、君に逢うまで、俺はずっと神殿で眠り続けていたんだ。実年齢はそんなに変わらんよ」

「ふーん。じゃあ、兄ちゃんて呼んでいい?」

「……懐かしいな」


 私の言葉に、ショウは呟きを漏らす。

 確かに懐かしい。あの日以来、か。鬼籠野の村が神隠しに遭って、彼が姿を消したあの日。何が起こったのか理解できず、廃墟と化した村の中に、私は独りで佇んでいた。

 ついさっきまで一緒に居たのに。手を繋いでいたのに。目の前で、彼は消えた。


「何で居なくなったの? 兄ちゃん」


 寂しかった。駒を動かす手が震える。

 彼はそんな私に「ごめんな」と答えて来る。違う。謝って欲しかったんじゃない。私はただ、理由が聞きたいだけ。そんな、悲しそうな顔をしないで。


「簡単な理由さ。鬼籠野の由来を思い出してみな? 鬼は、封印される運命なのさ」


 鬼籠野。鬼を籠めた野。そんな場所を鬼がうろついていたから、彼と一緒に神社に祀られていた六柱の怒りを買ったのだという。

 封じ込めてもいずれまた逃げ出すに違いない。神々は封印ではなく、追放を選んだ。強制的に、彼を時空の彼方へと消し飛ばした。


「悪い。随分、時間がかかっちまったな」


 それって。私のせいだ。

 思い出した。崖の下、少しずつ温もりを失っていく弟を抱えて、どうすることもできずに泣き叫ぶ幼い私の姿を。

 紅に染まる世界。鬼となった私の前に、少年は現れた。救いの手を、差し伸べてくれたんだ。

 私の助けを呼ぶ声に、彼は応えてくれただけなんだ。彼は、何も悪くない。


 私が彼を呼んだせいで、彼が鬼籠野村と共に消し去られたのだとしたら。全ては私のせいじゃないか。

 彼が謝る必要は全く無い。謝らなければならないのは、私の方。


「ごめん。私のせいで」

「アホ。俺が選んだ道だ。お前のせいじゃねぇよ」

「でも」

「今こうしてもう一度巡り会えた。それで十分だよ」


 俺を封印しやがった神々は嫌いだが、将棋の神様には感謝しなくちゃな。そう続けて、彼はニッと笑ってみせた。


「将棋続けてたんだな。嬉しいよ」

「だって。兄ちゃんと指す将棋、楽しかったから」

「定跡も何も知らない、力任せの殴り合いだったけどな。神社には他に娯楽が無かったから仕方なく始めたんだが、見事に二人ともハマったな」


 同居人どもはまるで相手にならなかったがな。思い出したのか、クスクスと彼は笑う。釣られて、私も笑ってしまった。鬼にボロ負けになる神様達って。威厳も糞も無いなあ。


「あ、そうだ。知ってた? あゆむも始めたんだよ、将棋」

「へえ、あのハナタレ小僧がな。そいつは良い。今日は来てないのか?」

「え? 二回戦の時、私の隣に居たじゃん」

「は? お前に似たあの美少女が……あゆむだってのか!?」


 まさか女装しているとは夢にも思わなかったのか、彼は驚きの声を上げる。さては、対局は観ていても、ロクに話を聞いてなかったな?


「決勝戦で、私はあいつと対局することになると思う」

「あ、そういや巫女さんの格好してたな。何でか知らんが、竜ヶ崎家の一員として大会に出場しているのか」

「兄ちゃん、私はあゆむを取り戻したい。だから、力を貸して欲しい」


 時間が無い。感想戦という名目で、稽古を願う。鬼殺し向かい飛車以外にも、いくつか戦法を知っているから。試してみたい。

 私の願いに、彼はしばし考えた後。いいぜ、と頷いた。


「だが、この後大将戦が控えている。一手十秒で指すぞ」

「ありがとう!」

「何、積もる話もあるしな。指しながら話そうや」


 ああ、やっぱりこの人は兄ちゃんなんだな。お互い成長して、姿は変わっても。

いつまでも、私達を支えてくれる。

 それにしても、秒読みで指しながら会話するというのは、なかなかしんどい。ついつい、指し手の方を優先してしまう。いやまあ、本来はそれが正しいんだけどさ。


「そういえば、何で兄ちゃんはこの大会に出ようと思ったの?」


 ぱちん。ぱちん。リズミカルに駒の音が響くのを聴きながら、気になっていたことを尋ねる。


「ん? ああ。サロン棋縁が経営難らしくてなー。宣伝のためだ」


 へえ、そうなんだ? 横目で穴熊さんの方を見るも、露骨に顔を背けられてしまう。どうやらお金に困っているのは事実のようだ。

 ──って、そうじゃなくて。


「サロン棋縁じゃなくて。兄ちゃんはどうして出たいと思ったの?」

「俺か? 俺はだな」


 急に顔を引き締め、彼は告げる。


「嫁探しに来たんだ」


 ……は? 一瞬、目が点になった。

 何真剣な表情で言ってんの、この人?

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