(11)決着、そして
「感動の再会は、対局後に取っておこうぜ?」
そう答えて、鬼は笑った。
彼の視線がチェスクロックの方へ向けられたのに気づき、私はハッと我に返る。
そうだった、まだ対局中なんだった。危ない、持ち時間を使い切って、秒読みに入る所だった。まずいな、次の手を考えないと。
……このタイミングで話しかけて来たのってまさか、時間切れにさせて勝とうって狙いじゃないだろうな?
彼の正体については一旦置いておき、今は対局に集中しよう。ええと、王手をかけられて、玉の逃げ場を考えているんだった。44は詰む、42は心情的に嫌、だったら。
23の位置に玉を動かす。
「さて。どこまで粘れるかな?」
25香打の王手。24歩に、同香。玉が逃げれば、背後に控える飛車が取られる。
危険な位置に向かうことになるけど、同玉と取るしかない。続いて、25歩打の王手が来る。取るかどうか迷ったけど、今度は取らずに23に退いた。
「畳み掛けるぞ」
24金打、12玉、23銀打。彼は惜しみなく持ち駒を投入して来る。一気に寄せ切る気か? それとも、別の狙いがあるのか。嫌な予感がする。
指し手が速い。タンタンタンと、リズムに乗っている。本当はもう少し時間を使って考えたい所だけど、いかんせん持ち時間が無い。彼が考え込んでくれれば、一緒に考えることもできるけど。間髪入れずに指して来るから、十分に考える時間を取れない。
同金、同金、同飛。まずい、飛車を浮かされた。龍の道が、開放される。
52龍の王手馬取り。これが狙いだったか。
22金打で凌ぐも、龍で56の馬を取られてしまう。
「どうだ、拠点を潰して角を得たぞ」
「なんの、まだまだ」
「へっ。可愛い表情(カオ)してんじゃん」
「うるさいよ! 気が散る!」
だったら、また拠点を作るまでだ。65金打。次に龍取りの一手を放つ。
龍が逃げれば、56桂打から一気に寄せ切ってやる。内心の想いを悟られぬよう、懸命に無表情を装う。さあ、龍を逃がすが良い。
「大きくなったな。身体もだが、心も強くなった」
果たして彼は、龍を逃がすことはなく。
24に、銀を打ち込んで来た。次に飛車取りの王手がかかる。飛車の逃げ場は、無い。
だったら、好きに取れば良い。
55金。龍を取り、玉の脱出ルートを塞ぐ一手。
対するは、予定通りの23銀成。飛車を取られ、王手がかかる。同金に。
52飛車打の、王手金取りが決まる。
「逆転とはいかんが。少しは面倒臭くなっただろ?」
「往生際が悪いっての」
「女を口説くのには時間が必要なのさ」
今度は22に歩を打ち、受ける。下段に斜め駒を打ち込まれるリスクは生じたけど、これ以上攻め駒を消費したくない。
それに──56飛車成と退いた手は、向こうの攻めが遅れることを意味する。二手得したと、前向きに考えよう。寄せ切れるかどうかは別にして。
終盤で、手番を握れたことは大きい。
一気に決めに行く。39角打の王手!
59玉に、今度は49飛車打の王手!
同玉は48金打の一手詰、68玉と逃げた所で。
66銀を打ち、上部脱出を阻む。
「放っておけば77銀打から詰む、か」
彼はぼそりと呟く。そうだ、この一手は詰めろだ。受けざるを得ない。
67金を打って受けて来るも、同銀成と踏み込む!
同龍に、追撃の66香打!
絶対に紛れを許さない。寄せ切ってみせる。
ショウは盤から顔を上げ、天を仰いだ。呟きが漏れる。
「ミスター、ごめん。どうやらここまでのようだ」
視線を合わせずに、いや、合わせられなかったのか。彼は、穴熊さんに謝罪した。淡々とした口調で、敗北の悔しさは感じられない。
「何を言う。見事な一戦であった。我は師匠として、貴様を誇りに思うぞ」
観戦席から穴熊さんが答えて来る。相変わらず辛気臭い口調、だけどその表情は穏やかだった。
「はは。だから、弟子じゃねぇっつの」
軽く笑って、盤へと視線を戻すショウ。彼は投了せず、着手する。78銀打。粘りの一手。
敗北を予感しながらも、最後まで相手してくれるというのか。
だったら。引導を渡してやる。
67香成の王手。同銀に、56桂打の王手をかける。
「名残惜しいねぇ。君とはいつまでも指し続けていたかったんだが」
「冗談。さっさと終わらせて、決勝に進ませてもらう」
「はあ。せめて、綺麗に詰ませてくれよ?」
56桂打に対し、同銀と取り返すショウ。
言われなくても。さっき食べ物をくれた礼だ。とくとその目で見るがいい。
鬼よ。これがお前を殺す刃だ。
今ここに、鬼殺し向かい飛車は完結する。
右手に纏う炎の色が変化する。焼けつく紅蓮から、眩い白炎へと。一層明るく光り輝く。
渾身の力をもって、トドメの一手を放つ。
選んだ一手は、77金打。贅沢にも、金をタダで捨てる。
これで寄る。取るしかなく、9手で詰む。
「77金、同玉、76飛車打、88玉、66角成、98玉、78飛車成、同金、89銀まで……か」
ショウは呟き、うんうんと頷き。よく思いついたな、と微笑を浮かべた。
「美しい投了図だ。気に入ったよ」
「最後銀で〆るの、イケてるでしょ?」
「ああ。立派に成長して──やはり女は、恋をすると一皮剥けるな。口説いた甲斐があったというもんだ」
「ぬかせ。さっさと投了しろ」
何でこの人と話すと苛立っちゃうんだろうな。本当は、普通にお喋りしたいのに。聞きたいこと、沢山あるのにさ。
「負けました」
満面の笑顔で、彼はついに敗北を認めた。
負けたのに全然悔しそうじゃないのは、どうしてだろう? 驕(おご)るつもりは無いけど、私が彼の期待に応えることができたから──なんだろうか。
彼は、再び駒を並べ始める。
「さ。感動の再会と感想戦、どっちからやる?」
「いや、全然感動できる雰囲気じゃないし。感想戦だけで良いよ、もう」
調子狂うなあ。本当、マイペースなんだから。
苦笑しながらも、悪い気はしない。この世から消えてなくなったと思っていた彼が生きていた。それだけで十分だ。
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