(10)昔語り
ショウの眼を、真正面から見つめる。
「デートの誘い、乗った。せいぜい楽しませてよね? 私を口説きたいんなら」
「は、ハハッ……いいねいいねェ! そう来なくっちゃな! 盛り上げようぜ、二人でよ!」
対話する。取り込まれることを、もう恐れない。
将棋は一手一手、怖がって指すものじゃない。相手との会話を楽しんで指すものだ。デートとは言い得て妙なり。
気楽に、かつ全力で指す。しなやかさと力強さとを兼ね備えて、慎重かつ大胆に攻め込んでいく。
28銀打。直感が導き出した一手。
正しいか間違いかは、この際どうでも良い。きっと楽しくなるであろう手を放つ。
これに対し、ショウは22に歩を打って来た。
同飛と浮かせた所で、61の金を成桂で取って来る。
彼はあくまで、私と攻め合おうとしている。
最後まで諦めず、どちらが速いか勝負しようぜ、と誘って来る。面白い、受けて立つ。
39銀成の王手に、同金とさせ、再度28銀打を決める。
ショウは45に打った角で、56の桂馬を取って来た。玉の逃げ場を確保する狙いか。
させるか。39銀成の王手をかける。
同玉に、28歩成の王手。取れば詰んでしまうので、48に玉を逃がすショウ。
そこで馬で56の角を取り、退路を断った。
しかし、そのタイミングで王手が来る。先程角と交換したばかりの桂馬を、54に打たれる。
さあ、どこに逃げるか。心情的には44だけど、55銀打から詰まされる形だ。かといって後退するのも……。
「なあ、燐」
「……何?」
「君の名前。『鬼籠野』の由来を知っているか?」
人が真剣に考えている時に、この男はまた突然何を言い出すんだ?
私の苗字の由来だって? そんなの、知る訳ないじゃない。鬼籠野村から取った、ということしかわからないよ。
「その昔、かの地は『尾呂野』と呼ばれていた」
神の山には、阿波の国を象徴する神『大宣都比売命(おおげつひめのみこと)』が降臨し、直下の村々は五穀豊穣の加護を受けていた。人々は実りを享受し、神を崇めた。
ある時そこへ、神山の噂を聞き付けた一匹の鬼が姿を現す。鬼は田畑を荒らし、村人達を恫喝した。俺にも実りを寄越せ、崇め奉れ、と。
「鬼を神とし、二柱(ふたはしら)の神社を建てる。そのような要求、到底呑めるものではない。困った村人達はどうしたと思う? かの『天児屋根命』の子孫に、鬼退治を依頼したんだよ」
いや、かの、とか言われても。アメノコヤネノミコト? 誰だよ、それ。あいにくと、日本神話の類には疎い。
「子孫は、祈祷を執り行った」
由緒正しき神の子孫が天に祈りを捧げたところ、程なくして六神が降臨したという。
いずれもがこの国を代表する神格らしい。名前を聞いてもピンと来なかったけど。とにかく、物凄い神様達が一堂に会した訳だ。
これは敵わないと鬼は逃げたが、六人もの神々からは逃げ切れなかった。ついには追い詰められ、『籠(こ)められた』のだという。
「籠めるは閉じ込める。つまり封印されたということだ」
「鬼を籠めた野──それが鬼籠野、か」
名前の由来を聞かされると、つくづく自分は鬼に縁があるなと思い知らされる。
鬼といえば。そうだ、目の前にも一人居るじゃないか。
「アンタ、もしかして。その時籠められた鬼?」
「厳密には違う。封印された鬼は、今でも『立岩(たていわ)』の下で眠っているよ」
立岩? ああ、それなら知っている。
直立したビル程の高さの巨岩が、山に突き刺さっているのを見たことがある。
その時はあまりの威容に、畏れをなして逃げ帰ってしまったが。そうか、あの下に鬼が。すると、あそこに岩を落としたのは、六神の誰かなのか。
「燐。天岩戸神話については知ってるか?」
「ええと」
確か、天照大神が引き籠った話だっけ。詳しくは知らないけど。
「天児屋根命は、天岩戸儀礼の日時を占いにより決定した。また、儀礼の最中においては美しい祝詞(のりと)を奏上したとされる」
ショウは続ける。儀礼が成功したのは、天児屋根命の功績によるところが大きいらしい。
「天照大神を岩戸から出した神の子孫が、今度は鬼を封じ込めた。何やら不思議な縁を感じるな」
ふーん。まあ確かに、ただの偶然にしては、出来過ぎているような気がしないでもないけどさ。それと私と、何の関係があるというのだろう。
「で、その子孫のそのまた子孫が、燐って訳だ」
「ふーん……え?」
何か今、さらりと重要なことを言われた気がする。
私のご先祖様が、鬼を退治したっていう神の子孫……?
「世代を経るにつれ、徐々に神力は失われていった。君の先祖は神力を取り戻すため、封印された鬼に、ある取引を持ちかけた。それが、血の交わりだ」
「ふん。馬鹿みたい」
「君は愚かと断ずるが、彼らは追い詰められていたんだよ。かつては現人神(あらひとがみ)と奉られていたのが、ただの人間へと堕とされたのだから」
先祖は神力を渇望し、鬼はそれに応えた。彼らは再び現人神の座へと返り咲き、自ら鬼籠野姓を名乗るようになった。それが私の起源、ということらしい。
なんて下らない。そんなことのために、私は鬼にされたというのか。
「でもそれって。鬼側にメリットが無いよね?」
「ああ。もちろん、鬼は見返りを求めたのさ」
鬼が求めたのは、自らの『分霊(わけみたま)』を祀ることだった。
私の先祖は、新たに鬼籠野神社を建てた。祭神は表向き、鬼を籠めた際に降臨した六柱ということになっている。しかし本当は、七番目の神──鬼の分霊を、ひっそりと匿(かくま)っていたのだ。
「もしかして、それが」
「ああ。俺だ」
ショウは、あっさり頷いた。
私には神話のことはよくわからない。昔に何があったのかなんて興味無いし、大事なのは今だと思っている。
だけど。彼との繋がりを知って、わずかに胸の奥が熱くなった。
「じゃあアンタは……イトコみたいなもん?」
「へっ。随分年の離れた従兄弟だな」
だって。見た目じゃ、そんなに年の差を感じない。
「──兄ちゃん、だよね?」
私の問いかけに、金色の瞳が揺らぐ。薄々そうじゃないかなとは思っていたけど、彼の話を聞いて確信した。
私達は、鬼籠野の里で会っている。雰囲気はまるで違うけど、芯の部分は同じ。この人は、私の──。
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