(8)勝機
打たれた瞬間、全身に震えが駆け巡った。
ここで王手が来る、か。
大丈夫、落ち着け。まだ詰みは無い、はずだ。彼の狙いは62桂成と見た。確かに痛いが、すぐ寄せられるものでもない。
しかし、どこに逃げる?
「君の玉は、後退を知らない。常に前へ、先陣を切って進むんだよな?」
……そうだ。考えるまでもなかった。
一回戦、二回戦共に、私の玉は自ら敵陣へと進撃していた。
脆弱な王など要らないと。退くくらいなら、死んだ方がマシだと、本気で思っていた。
その考えは、囲いの大切さを教わった今でも変わっていない。
42から33へ。あえて矢面に立つ。
逃げるのではなく。相手の攻めを利用し、一歩前進した。
戦法を学んだ今でも、相手が人外でも。私の根っこの部分は変わらない。
「いい目だ。どうやら覚悟を決めたようだな」
「うん。肉を斬らせて骨を断つ覚悟を、ね」
「いいぜ。骨ごと食らってやるよ」
46に銀を退くショウ。すかさず44に香車を打ち込む。この銀は、確実に仕留める。
彼は笑みを浮かべ、57に銀を打った。
今、馬を渡す訳にはいかない。
この馬には大切な役目がある。銀から離脱しつつ、89の桂馬を掠め取る。
だが、その代償として手番が彼に渡った。絶好のタイミングで、62桂成が来る。
読み筋だけど、実際に指されてみるとやっぱり痛い。これに同金と相手すると、向こうの攻めが加速してしまう。無視だ。
46香で銀を取り、同銀とさせた所で、先程掠め取ったばかりの桂馬を早速使う。
56桂打の、王手。
ショウの顔から、ようやく笑みが消えた。
大丈夫だ、きっと。きっと寄せ切れる。この一局に、終止符を打つ。
38玉。67馬。58歩打。26銀。
逃さない。炎よ、今こそ我が手に宿れ。今こそ、鬼を殺す時だ。
次の一手は既に決めている。
28銀打。恐らくそれが決定打になるはずだ。
さあ。受けられるものなら、受けてみろ。
「正直、ここまで追い詰められるとは思っていなかったよ」
私の右手、その指先で揺らめく紅炎を見つめ。
彼は神妙な面持ちで、感想を述べて来た。
それから天を仰ぎ見る。雲一つ無い空を。
「燐。君は本当に強くなった。本気になった俺の指し手を、的確に予測していたな。中盤は俺が優勢だったが、諦めずに粘り強く指し続けた」
「ショウ……?」
「結果、今では形勢逆転だ。お見事と言うしか無い。認めるよ。君は、己の中の鬼を超えたんだ」
はあ、と彼の口からため息が漏れた。
「最後の勝負だ、燐。君が俺を詰ませられるか、俺がもう一度逆転するか。次の一手に、命運を懸けよう」
金色に輝く双眼が、盤上を見据える。凝視している、一マス一マスを。局面を隅々まで解析し、最善手を導き出そうとしている。
なんて真剣な表情。これが強者の余裕を捨てた、一人の将棋指しの姿か。
逆転なんてさせない。ここで仕留められなければ、もう勝機は巡って来ない。対局が長引けば長引く程に、私は体力を消耗する。鬼で居られる時間は、残りわずかしかない。
28銀打に、全てを懸ける。
ショウは一個の駒を手に取った。眩しく光り輝くその駒を、彼は渾身の力を振り絞って打ち付ける。
ばちん!
白光が、辺り一面を覆い尽くす。
盤が爆発したのかと思った。腰が抜けそうになるも、必死で踏みとどまる。頑張れ、燐。ここが正念場、勝負の分かれ道だ。
徐々に、光が収まって来る。
ある駒から、湯気のようなものが立ち昇っていた。
彼の指し手が、ようやく明らかになる。
──45角打。
想定外の一手が飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます