(7)双角
「燐。怖がる必要は無いぞ。君の血は、俺が与えたものなのだから」
負けま──え?
金色の双眼に、朱が混じる。
凍てつく視線の中に、わずかな熱を感じた。あれは、まさか。
「鬼火」
思わず呟く。
燃えている。
黄金の煌めきに、目が眩みそうになるけど。
煌めきの奥には、確かに燃え盛る紅蓮の炎が在った。
彼の瞳の中には、私の姿も映し出されている。
私の眼もまた、紅く輝いていた。
そうだ、彼と全く同じ──いや。炎の勢いは、むしろ私の方が強い。
「それが、君が鬼眼の代わりに得たものだ」
人と交わることで、鬼の血は変質した。
純粋な鬼の力を失ったと同時に、それ以上の新たな能力を身に付けたのだと、ショウは告げて来る。
それが何なのかまでは、今の私にはわからない。
けど。十分だ。
拳を握り締め。
渾身の力を込めて、自らの眉間を打つ。
「く……あっ……!」
一瞬、意識が飛んだ。同時に恐怖心も、吹き飛んだ。
「アンタの話が本当なら。アンタは、私のご先祖様ってコトになる訳?」
「さあ、それはどうかな? 君はあの日、鬼籠野の里で何を見た?」
「『彼』は神隠しに遭った。私だけが覚えている」
「嬉しいねぇ。覚えててくれて」
今は、ショウの正体もどうでも良い。
額から流れ出る血を拭い、盤上を睨む。
痛みが、脳を活性化させてくれた。
点火する。駒達を次々に発火させる。
その中で、最も強い『紅』を発現させた駒を掴む。
飛車を退く。玉よりも後ろ、最下段まで下げる。これで56歩による飛車銀両取りを回避できた。
ならばとショウは、今度は86に馬を飛ばし、75の飛車を狙って来る。74に退いた所で。
「そう言えば、まだ角(つの)を出してなかったな」
彼は笑う。局面を楽しんでいる。
つまりはまだ、彼の読み筋だということだ。
殺気が膨らみ、金色の津波となって押し寄せて来る。
小細工するだけ無意味だ。火力を全開にし、真っ向から受け止める。
「いくぜ──『双角』」
53角成り。同銀に、もう一枚の角が飛んで来た。
玉の真上に、馬ができてしまった。
これは。すぐに詰まされる訳じゃないけど、プレッシャーが半端無い。守りの金二枚を剥がされたら終わりだ。とてもじゃないけど、放置はできない。
来てすぐで申し訳ないけど、とっととお帰り願おう。馬の頭に、歩を打ち込む。
「つれないねぇ」
「や。だって嫌じゃん」
「せめてお土産をもらって帰ろうかな?」
そう言って、一マス左に馬を移動させるショウ。
次に左斜め後ろに居る飛車を取ってしまう算段のようだ。随分とまた、贅沢なお土産を要求されたものだ。
一応歩で取り返せるけど、ここで飛車を渡すのはマズいかなあ。
「……あ」
飛車を逃がしかけた手を、ふと止める。
この馬、27の歩にも当たっている。危ない。
持ち駒が角一枚と歩一枚しか無い現状、27の拠点を払われると継続手が難しい。
それに、玉のすぐ上に馬が居るというのはやはり脅威だ。角飛交換もリスクはあるけど、あえて強要してみるか。
27を守りつつ、馬の退路を断つ。
54角打。
「こりゃまた。面白い手を指すじゃねぇか」
「どうせ読み筋なんでしょ?」
「おいおい。神じゃないんだから、そこまで読めるかよ。いくつかの候補手には絞れるが、対局相手がその内のどの手を選ぶかまではわからんよ」
苦笑する彼の言葉には、いくばくかの自虐の感情が読み取れた。鬼である自分は、決して神様には成れない。全能ではない。
なのだとしたら。付け入る隙は、きっとあるはずだ。
さあ、飛車を取るか角を取るか。
個人的にお薦めなのは飛車かな? 左辺はある程度守りを固めているけど、右辺ががら空きだから。
ショウはしばらく考えた後、飛車を取って来た。すかさず同歩と取り返す。
こちらの持ち駒は角と歩が一枚ずつのみ。
彼は飛車、銀、香車が一枚ずつに、桂馬が二枚。歩が三枚。
持ち駒の差は歴然としている。だったら、盤上の駒を活かす。持ち駒は『打って』、『使う』に二手必要だけど、盤上の駒なら即座に使える。
多分形勢は不利なんだろうけど、負けちゃいられない。
金色の鬼は、中央に浮いている銀を狙って、85に飛車を打って来た。銀が避ければ、飛車が成り込んで来る。単純ながら受けにくい手だ。
これ以上駒損を増やす訳にはいかない。7筋の歩を突き、銀取りを防ぐ。これに対して同飛なら、64に角を打ち、飛車と91の成香の両取りが成立する。
なので歩を取らずに成り込んで来ると読んだが、ショウは一マスだけ飛車を前に進めた。今度は54の角を狙っている。ええい、しつこい。64に歩を打つ──いや、打たされた。
こちらが歩切れになったのを確認してから、彼は満を持して82飛車成を決めて来る。
これはいよいよ玉が危ない。玉の早逃げ八手の得と言うし、逃げておこう。42玉。
「お次は、こんなのはどうだ?」
中央の銀を狙って、歩が突き出される。歩の無い将棋は負け将棋、ありがたく頂戴しよう。同銀に。
予想していた通り、59香打が来た。
銀が逃げれば角が素抜かれてしまう。だから逃げずに、別の手を考える。65角打。
角二枚と銀一枚が、平仮名の『く』の字を形作って連結した。
「角をここで使うか。ちともったいない気もするが、これもまた一局。遠慮なく、銀はいただくぜ」
銀を取った香車を、角で取り返す。
間髪入れず、55銀打が来る。
76角に、68桂打。元々居た56角との両取りが決まってしまう。
「ここまでは一直線。さあどうする?」
「馬を作り、桂馬を獲る。それで十分」
「うん。悪くない」
67角成、56桂、同馬の進行。
角を渡した分、形勢の差は広がっていると思う。悪くない? どこがだ。
ショウの上から目線の言い方は気に入らないけど。
次に馬で55の銀を取れば、駒損を解消しつつ好位置に移動でき、形勢をひっくり返すことができる。
取られる訳にはいかないから、彼は銀を退くだろう。
手番は、私が握っている。
「そう。悪くない」
だからか、彼は銀を逃さず。
54に桂馬を打った。
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