(3)発動
「なるほどね。俺が鬼だから、鬼殺しを仕掛けて来たって訳か。へへっ、可愛いトコあるじゃん」
「違う。私が鬼だから、だ」
「くく。だがな、鬼殺しが成立するかどうかは、俺にかかっているんだぜ? 俺には、角交換しないという選択肢もある」
「あ……!」
言われてみれば、確かにそうだ。成立しない可能性もある。
鬼殺し向かい飛車の成立条件は、相手から角を取って来ること。同桂と跳ねた手をもって、鬼殺しの形が完成する。
故に、角を取らずに別の手を指された場合は、戦法としては成立せず、別の戦法へと移行せざるを得ない。
そうなると、私の不得手とする、囲い合った将棋になってしまう。
冗談じゃない。何が何でも角は取ってもらう。
「あ……アンタなら」
できるだけ上目遣いになるように気を付けて。
甘えた声で、私は続けた。
「取ってくれると思ったんだけどな。私の、角」
これは完全に盤外交渉だ。とても褒められた行為でないことはわかっている。しかも、色仕掛けまで使って。
だけど鬼を倒すためなら、なりふり構って居られない。
「私、信じているから」
心にも無い言葉。出会って間も無い男の、一体何を信じるというのか。
自分で言ってて、虫唾が走る。
この場に香織さん達が居なくて良かった。恥ずかし過ぎる。
──あ。大森さんは居るけど。
私に背を向けて、耳を塞いでくれているのが見えた。
ごめんね、気を遣わせちゃって。
「俺は正統派の居飛車党だ。互いに囲い合ってからじっくり攻めるのが、本来の対局スタイルなんだ」
いつになく神妙な面持ちで、ショウはそう答えて来た。
くっ……駄目か?
所詮青臭い小娘の色仕掛けなんて、通用しないか。
内心諦めかけた、その時。
「だが。女の頼みに応えられないような奴は、男じゃねぇ」
ふわっ。それまで張り詰めていた空気が、不意に緩んだ気がした。
今までの軟派なニヤけ面とは全然違う、信じられないくらいに爽やかな微笑を浮かべて、彼はきっぱりと言い切った。
「乗ってやるよ。とことんやろうぜ」
「あ、ありがとう」
口にしてから、ハッとする。
私。今、何言って──!
今から戦う相手に、しかもこんな奴に、お礼を言うだなんて。
どうかしている。
一瞬でもこの男にクラッとするなんて。ただ、爽やかな微笑みを向けられただけで!
ミイラ取りが何とか言うけど。色仕掛けを試した方が、罠に嵌(は)まるだなんて!
「はは。礼なんて良いさ。俺だって観たいんだ。この先に、一体何があるのか」
さあ──盤上で、抱いてやるよ。
宣言と共に、角が取られる。
望んでいたはずの展開、そのはずなのに。
どうしてだろう、胸が苦しい。
身体が熱を帯びて熱い。彼の顔を、直視できない。
駄目だ、駄目だ駄目だ。
こんなんじゃ、まともに戦えない。
しっかりしろ、鬼籠野燐。それでも鬼か。将棋指しか。
対局に集中するんだ。こんな無様な姿、皆には見せられない。
特に──彼方の本殿へと目を遣る。
あゆむに見られたら、最悪だ。罵倒の言葉と、蔑んだ表情が容易に頭に浮かぶ。
『不潔。近寄らないで』
そして、もう二度と家には帰って来ない。
そんなのは、嫌だ。
私はあゆむを連れ戻す。絶対に。
そのために、この大会への出場を決めたんだ。思い出す。
なら、こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。
両手で頬を打つと、「パン!」と小気味の良い音がした。痛みが、思考をクリアにする。
「ショウ。私はアンタを、盤上で殺す」
「面白ぇ。やってみな?」
私の中の鬼よ。今こそ目覚めろ。
棋は対話なり、をあえて否定する。
私はこの男に、何が何でも勝つ。対話する余地など与えない。一方的に攻め潰す。息の根を止める。
だから、心を鬼にしよう。たとえ偽物でも、血を分け与えられただけだとしても。
心の中を、殺意で満たす。
桂馬を跳ね、角を取る。
鬼を殺す魔剣が、ついに発動した。
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