(2)鬼殺し

「君の瞳は、紅く燃え上がるように輝く。だが、純粋な鬼は違う。彼らの瞳は、氷のように凍てつく光を放つ」


 そうだ、目の前に居る男のように。

 この男は──人間の皮を被った、鬼だ。

 にわかには信じられないけど。金色に輝く男の双眸が、真実を如実に物語っていた。


 鬼が、私と将棋を指そうとしている。

 私が鬼との混血であることを知り、その上で試そうとしている。私の真価を。


「は、はは。ははは」


 ……面白い。

 自然と、笑みが零れた。

 試してやろうじゃないか、アンタで。

 この私。鬼籠野燐の、さらなる進化を。


 刺すような視線を、真正面から受け止める。鬼の顔を睨み付ける。

 私の瞳は今、どんな色をしているだろうか。自分で確かめられないのが残念だ。


「良い眼だ。荒々しくも気高い。是非とも俺のモノにしたいね」

「アンタが本物だというなら。アンタを倒して超えてやる」

「いいぜ。全力で口説いてやる」


 ──宜しくお願いします。


 挨拶を交わした瞬間、盤上に幾筋もの雷光が走る。縦横無尽に駆け巡り、ぶつかり合い、爆ぜる。

 まだ一手も指していないのに。互いの思考が、狙いが、読み筋が交錯する。

 大局観を比べる戦いが、既に展開されているのだと気づいた。


 冷たい汗が頬を流れ落ちる。

 押し負ける……!


「さあ、初手を指すぞ? 覚悟は良いな?」


 男は飛車先の歩を、人差し指と中指で挟んだ。

 初手にして、早くも居飛車の宣言。打ち破れるものならやってみろと、力強く打ち込んで来る。


 ばちん!


 爆風に吹き飛ばされそうになる。

 爆音に耳を塞ぎたくなる。

 鬼の膂力(りょりょく)に圧倒される。

 心臓を、ぶち抜かれる。


「くっ……う……!」


 駄目だ。屈するな。踏み留まれ。

 相手は本物の鬼だ。少しでも臆したら最後、瞬く間に食い殺される。


 何のために道場に行ったんだ?

 作法を習いに行っただけじゃない。武器を手に入れるためだろう?


 定跡、戦法。

 それらは鬼に対抗する牙であり、刃。

 今こそ、武装する時だ。


「燐ちゃんは元々乱戦を得意としています。ガチガチに固め合う将棋よりも、最小限の守備で殴り合う将棋を目指しましょう。その方が、付け入る隙が多いはずです」


 そう言って、大森さんは短時間でも覚えられる戦法を教えてくれた。

 マイナー故に、あまり定跡化は進んでいない。


 意を決し、角道を開ける。


 開けた瞬間、爽やかな風が吹き抜けた。

 私の角が、淡い光を帯び始める。


「さあ。まずは一旦受けてもらおうか」


 ショウは更に飛車先の歩を突いて来る。

 私は角を上げ、それ以上の進撃を阻んだ。


「当然そう来るよな。で、これに対してはどうする?」


 そう言って、自分も角道を開けて来るショウ。


 このままだと、角交換されてから、飛車先を突破されてしまう。

 そうなってしまえば、敗北は確定したも同然だ。まだ玉を囲ってもいないのだから、飛車が自陣に成り込んで来ることは詰みを意味している。

 何かしらの手を打たねばならない。


 手堅く行くなら、まずは角道を閉じて様子を見る手だ。

 それが自然だし、きっと香織さん達ならそうするだろう。


 だけど、手堅く指すということは、私の得意分野からは離れるということでもある。

 それこそ、鞘に納まった真剣だ。せっかくの持ち味を活かせないまま、なすすべなく封殺される。


 男は金色の瞳を、夜空に瞬(またた)く星々のように輝かせている。期待されている、私の応手を。

 一回戦、二回戦を観てきた彼は、常識に囚われない指し手を見たいのだろう。

 望み通り、見せてやろうじゃないか。後悔するなよ?


 私らしい将棋を指す。

 骨子となる部分はあくまで私自身。それに定跡を合流させ、肉付けする。

 幸いにも、数多ある戦法の中には、私の棋風に合うものがいくつか存在していた。

 将棋というボードゲームの奥深さに感謝しつつも、新たなる武器として利用させてもらう。


 鬼を──殺す。

 飛車には飛車を、ぶつける。


「ほお……こいつはまた……!」


 さすがに驚いたのか、感嘆の声を漏らすショウ。

 驚きはすぐに、満面の笑みへと変わる。先程垣間見えた仮面の笑顔とは違い、心からの歓(よろこ)びを表している。


「良い……良いじゃねぇか、お嬢ちゃん……! それだよそれ、そういうのが観たかったんだ!」

「別にアンタに見せたかった訳じゃない。後、お嬢ちゃんて言うな」


 将棋には、鬼をも殺すという、嵌(は)め手に近い戦法がある。

 その名も『鬼殺(おにごろ)し』。

 まともに決まれば、わずか数手で勝負が終わる。


 さらにそこから研究を重ね、単純な嵌め手の領域を超えて、現役プロにも通用する戦法へと昇華させたものが──。


「鬼殺し向かい飛車。貴女なら、必ずや使いこなせると思いますよ」


 道場で受けたアドバイスを思い出す。

 大森さん、遠慮なくやらせてもらいますよ。やるからには、絶対勝ちますから。

 観客席をちらりと横目で見ると。大森さんは、両手でサムズアップしていた。


 不思議だ。今までよりも、一手一手に力がこもる。

 これが鬼殺し向かい飛車という名の戦法の力──いや。それを構築してくれた先人達の、戦法に懸ける想いの力なのか。


 これならきっと、戦える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る