(16)永遠

 紫色のウィッグが、外される。

 闇色の髪と瞳。彼女は遂に、その素顔を晒した。

 ──なるほど。それが、導き出した最善手ということか。


「はじめまして、香織さん。

 私の名は『永遠』。誰よりも貴女の幸せを憎む者です」


 漆黒の少女は、改めて名乗った。

 とわちゃん、か。

 不思議な雰囲気の子だ。


「できれば、この姿を見せたくはなかったのですが。致し方ありません」

「何で? 私は今の姿も可愛いと思うけど」

「……そういう所が、私の神経を逆撫でさせるんですよね」


 刺すような視線に射抜かれ、体が震える。

 はっきりと感じ取った。剥き出しの殺意を。この子は盤上で、私を殺そうとしている。


「私は、私が嫌いなんです」


 彼女は着手する。玉を端に逃がす。

 当然の一手にはしかし、並々ならぬ感情が込められていた。


 私は4筋の歩を成り、同金と取らせる。

 よし、金を吊り上げて隙間を作った。すかさず角を打ち込み、その金を狙う。


「結月ゆかりは皆のアイドル。私は彼女に成りたかった」


 金を守れば、彼女の玉は即詰み。

 歩を打って受けさせ、角成りを決めつつ金を取る。

 更にその手は、次に隣の銀も取れる、いわゆる『味の良い手』だった。


「貴女は私を友達と言ってくれたけど。今日初めて会ったというけど。

 永遠は、もっと早くに貴女を観ていたんですよ」


 ここで、桂馬で金を取られた。

 だけどその手は王手じゃない。

 放置すれば次に片美濃の銀は取られるけど、構わない。

 まだ詰まない……はず。


 なら、相手しない。

 彼女の玉を詰ませにいく。玉の横に打った歩を叩きにいく。


「あの日。公園で独り泣いている貴女を見掛けた時に、私と貴女は繋がったんです。運命の針は、動き始めた」


 これに対して同歩なら、同金同玉から寄せきることが可能。

 そこで、彼女は玉の上に銀を打ち、何とか凌ごうとする。


 恐らくこの時点で、私と永遠ちゃんの読みは合致している。

 だからこそ彼女は告白するのだ。本心を、包み隠すこと無く。後悔の無いように。


「貴女の涙は美しかった。一目惚れでした」


 私が将棋を指すきっかけになったあの日は、彼女にとっても特別な日となったのだという。


 誰も居ないと思っていたあの公園に、永遠ちゃんは居たんだ。

 今日のように晴れ渡った秋空に、一人泣いた私の姿を見て。彼女は一体、何を思ったのだろう。


「あの時感じたときめきは、今でも忘れられません」


 彼女は私の後を尾行した。

 そして、私が伏竜将棋道場に入っていくのを見届けたのだという。


「将棋なんて、それまで全く興味ありませんでした。いいえ、将棋以外の何事に対してもそう。私の人生は、空っぽでした。

 ──でも、その日を境に変わったんです。将棋を指したいと、思うようになりました」


 その時彼女が勇気を出して道場に入っていれば、私との関係は異なるものになっていたかもしれない。

 ひょっとしたら、この大会にも同じチームで参加できていたかもしれない。

 たらればでしかないけど、そんな想いを抱かずには居られなかった。


「私は貴女と違って、勇気がありませんでした」


 道場の門を潜ることは無く、彼女は来た道を引き返した。

 その後、将棋を指してみたい気持ちは日増しに強くなって行った。だけど、未経験者の自分と指してくれる人なんて、誰が居るだろうか。友達なんて居ないし、ネットで募るのも何だか怖い。

 そんな時に偶然、サロン棋縁の広告が目に留まった。


『将棋囲碁サロン棋縁。

 のんびりした雰囲気の初心者向けのサロンです。畳の上に座り、ゆったりと将棋や囲碁を楽しんでみませんか?』


 ──あ、これなら怖くない、かも。

 初心者が多いなら、下手くそと苛められることも無いだろうし。

 マスコットの『熊田さん』に和んだ。


 お寺の中にある和室を借りているというのも、落ち着いた雰囲気で良いと感じた。騒がしいのは苦手だった。

 彼女は早速、サロン棋縁の席主、ミスター穴熊さんに電話を掛けた。

 最初は物々しい喋り方にビクビクしていたけど、話している内に穴熊さんの優しい人柄を知り、打ち解けることができた。


「ちっぽけな私を、穴熊さんは拾い上げて下さいました。いくら感謝しても足りません。私は勝ちたい。穴熊さんへの恩を返すためにも、この勝負は負けられないのです」


 サロン棋縁の常連さん達は皆、将棋について何も知らない彼女を、温かく迎えてくれた。

 生まれて初めて、他者の気遣いに触れた。


「初めて指した一局のことを、私は今でも覚えています。相手は、ここに居る照民。

 当時は彼も駒の動かし方を知っている程度で、私達はお互い、よくわからないままに指しました」


 泥沼の勝負の結果は、彼女の敗北。

 それでも楽しかったと、懐かしむように彼女は呟いた。

 照民さんとは、その後何局も指した。


 対局を通して、彼と親睦を深めた。

 ただ、彼女には男性との付き合い方がわからなかった。舐められては困ると、つい高圧的な口調を選択するようになった。

 幸いなことに、照民さんは喜んで付き合ってくれた。


 サロン棋縁には席主を始め、高段者が多く居た。

 彼らとの指導対局を通じて、彼女は強くなっていった。


「そんな時です。結月ゆかりというVTuberの存在を知ったのは」


 将棋を指す人間の中には、自らの有する知識を世に広めたいという人も居る。

 サロン棋縁の常連客の中にも、そんな考えの人は居た。


 その人は『たいふり』というHNで、結月ゆかりの将棋実況動画をネット配信していた。

 不思議と、興味を惹かれた。


 動画を観てみると、個性的な性格の結月ゆかりが、将棋盤くんというマスコットキャラと掛け合いトークをしながら、和気あいあいと対局の解説をしていた。


「すごいと思いました。将棋について語るだけで、あんなにも面白い動画になるなんて。私もあんな風になりたいと──自分を変えたいと、強く思いました」


 意を決して、たいふりさんに相談してみた。

 結月ゆかりのキャラクターを貸してもらえないか、と。

 事情を説明すると、たいふりさんは快く承諾してくれた。

 ある条件付きで。

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