(11)そこに在るもの

 そして。

 わたしはまた、独りになった。


 寂しさには慣れていたけど、慣れていたはずだけど。

 あの人の体温は温かくて。冷えてしまうのが嫌で、ぎゅっと自分の体を抱き締めた。

 嫌だ、この温もりを失いたくない。


 不思議な気持ちが芽生えていた。わたしの中で、何かが燃えていた。

 あの人からもらった、大切なものが。


 気付いてもらえた。

 わたしはここに居るよって、やっと伝わった。

 嬉しかった。

 初めて、優しくしてもらった。

 わたしならできると、言ってくれた。大丈夫だよって、何度も繰り返して。

 あの人が居なくなって──わたしが殺して、初めて他の人のために泣いた。

 あの人は、たくさんの初めてをわたしにくれた。


 その想いに応えたい。

 わたしにできることが本当にあるなら、やりたいと思った。

 一人ぼっちで、寂しいけど。

 任されたから。託されたから。


 思い切って、一歩を踏み出した。

 良かった、何も起こらない。

 道はまっすぐ続いていて、その先にお家がある。

 あそこに行けば良いんだよね、お姉ちゃん?


 歩きながら考える。


 家の中には、何があるんだろう? 怖い人が居たらどうしよう? 人じゃなくて、お化けだったりしたら?

 だんだん心細くなって来て、立ち止まりたくなる。引き返したくなる。

 わたしは弱虫だから、怖いと逃げ出したくなってしまう。


 だけど。

 その度に、胸が熱くなるのを感じた。


 居なくなっても、支えてくれる人が居る。

 わたしは一人だけど、独りじゃないんだと思った。


 一歩ずつ、慎重に、でも前を見て歩く。

 少しずつ家が近づいて来る。

 家の中が明るくなった。中に誰かが居る。

 誰かがわたしを、待っていてくれている。


 大丈夫。貴女ならできるよ。

 あの人の言葉を信じる。


 やがて、玄関の前に立つ。

 息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。

 恐る恐る、呼び鈴に手を伸ばす。


 神様。お姉ちゃん。

 どうかわたしに、勇気をください。


 押した。

 ぴんぽーん。暗闇の中に、おなじみの音が響いた。

 玄関の戸が、ギギギギィときしみながら開いていく。

 ……もしお化けだったら、走って逃げよう。


「あら」


 出て来たのは、お化けじゃなかった。

 じゃなかったけど、体がビクッと震えた。


「意外ね。まさか、貴女が来るなんて」


 一人のおばさんが、わたしの方を不思議そうに見つめている。

 この人は苦手だって、大人のわたしが言っていたのを思い出した。

 ええと確か、しゅーくんのお母さん。


 何を考えているのかわからない。どう思われているかもわからない。話し掛けても、まともな返事が返って来ない。

 だから接し方がわからないって、前に聞いたことがある。


「いらっしゃい」


 手招きされた。

 じっと見られてて、ちょっと怖い。


「どうしたの? この家に用事があるのでしょう?」


 う。そうだった。

 わたしはここに、将棋を指しに来たんだった。


 ここは、しゅーくんの実家。

 子供の頃、しゅーくんはここでお父さんと将棋を指していたんだ。

 二回戦の時に見た光景を思い出す。

 あの時の将棋盤が、今もきっと眠っているはず。


「おじゃま、します」


 弱虫のわたし、がんばれ。


 おばさんの後をついていく。

 暗い廊下の先に、その部屋はあった。


「わあ……!」


 それを見た瞬間、わたしは思わず声を上げていた。

 畳敷の部屋の真ん中に、紫色の布を掛けられた、四角い形の何かが置かれていた。


 何かって、決まっている。

 その中身は、あの人が一生懸命探していたものだ。


 見つけた。

 やっぱりここにあった。

 あの人に教えてあげたい。あなたは正しかったよ、って。

 右手を胸に当てる。

 あの人の鼓動が、聞こえた気がした。


「安心なさい。ここには邪魔者は入って来られない。紫色には、魔除けの効果がある」


 紫色。

 ──そう言えば、結月ゆかりも紫色だ。

 ひょっとして、何か関係があるのかな?


 おばさんが掛け布を取り払うと、立派な将棋盤が姿を現した。

 所々に小さな傷があって、使い込まれてはいるけど。


「きれい」


 思わず、呟く。

 盤はぴかぴかに磨かれていた。

 置きっぱなしになっていた訳じゃない。今でも誰かが、手入れをしているんだ。


 そう、誰かが──おばさんと、目が合った。


「……私の顔に何か付いてる?」

「あ、ううん。おばさんが守ってくれていたんだな、って思って」


 わたしの返事に、おばさんは顔を背ける。あれ、悪いこと言っちゃった?


「この盤は主人の──園瀬竜司の形見だから。私が死ぬまで、守り続ける」


 違う。機嫌が悪くなった訳じゃない。嫌な感じはしなかった。

 もしかして、照れているのかな?


「そんなことより。時間が無いんじゃないの?」


 おばさんの言葉にハッとする。

 そうだ、早く『私』を助けに行かなくちゃ。

 ええと。将棋を指せばいいんだよね? わたし、将棋指したことないけど。


 とりあえず、盤の前に座ってみる。

 まず、駒を並べるんだ。

 この巾着袋の中に入ってるのかな?


 盤の真ん中に置かれた紫色の袋を揺すってみると、じゃらじゃらと音が聞こえた。

 うん、やっぱりこの中だ。えーと確か、盤の上に駒を全部出してから並べるんだよね?


 並べ方、知らないけど。


「どんくさい子ね」


 舌打ちして、おばさんが向かい側に座る。

 ぶつぶつ文句を言いながらも、駒を出してくれた。


 盤上にバラバラになった駒を見て、わたしは「わあっ」と思わず歓声を上げる。

 そんなわたしを、おばさんは怪訝そうな目で見つめて来た。


「何? どうしたの?」

「だって……だって、きれいなんだもん。一つ一つ、表も裏も、ピカピカ光ってるんだもん。すごいね、おばさん。本当に、大切にしていたんだね」


 わたしの言葉に、「何だ、そんなことか」とつまらなそうに呟くおばさん。


「盤駒を隅々まで手入れするのは、将棋指しなら基本中の基本。魂を込めるのだから、綺麗にしておかないと」

「そっかぁ。──あれ、おばさんも将棋指すの?」

「昔の話よ」


 そっけなく応えて、おばさんは駒を並べ始める。

 あ、もしかして。わたしと一緒に指してくれるのかな?

 おばさんを真似して、わたしも駒を並べる。


 何だ、この人いい人じゃない。

 大人の『私』は苦手だって言ってたけど、全然そんなこと無いよ。

 ぶっきらぼうだけど、ちゃんとわたしの相手をしてくれるし。

 根は優しい人なんだ。しゅーくんと同じ。


 何とか駒を並べ終える。

 顔を上げると、しかめっ面が出迎えてくれた。


「背中を丸めない。将棋を指す時は、背筋を伸ばしてシャキッとしなさい」

「はい! 師匠!」

「なっ……誰が師匠だ」


 わたしのために叱ってくれるのが嬉しくて、つい顔がニヤけてしまう。

 初めての対局相手が、この人で良かった。


 ため息を一つつき、師匠は言って来る。


「貴女、将棋入門者よね? そんな調子で、あの『結月ゆかり』に勝てると思っているの?」

「わかんないけど、がんばる。託されたから」

「託された……? とんだ物好きが居たものね」


 師匠の陣地から、王様と歩以外の駒が取り除かれた。これは。


「十枚落ちで勝負よ」

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